第26話 英雄たちの覚悟と厄災のキューピッド
王都の大通りは、まるで建国記念日のような熱狂と歓喜の渦に包まれていた。
沿道を埋め尽くす何十万という市民たちが、色とりどりの紙吹雪を舞い散らし、割れんばかりの歓声を上げている。彼らの視線の先にあるのは、白馬に跨り、ゆっくりと王城へと続くパレードの道を歩む二人の英雄——王都最強の剣士アーサーと、聖女エルリアの姿であった。
「万歳! 我が国の英雄万歳!」
「神話の大魔王を討ち果たし、あの軍事大国を平伏させた我らが至宝に、神の祝福を!」
民衆の熱狂は最高潮に達していた。
無理もない。隣国であるグランヴェルザ帝国に大魔王が復活したという凶報は、すでに王都の市民にも知れ渡っていた。世界が闇に飲まれると誰もが絶望したその時、アーサーたち精鋭部隊が見事に事態を収拾し、帰還を果たしたのだ。
しかも、その圧倒的な力に完全に心を折られた帝国皇帝から、王国に対して「永久不可侵」および「無条件の従属」を誓う血判状が届けられたのである。
長年の軍事的な脅威であった帝国が事実上降伏し、大魔王の脅威も去った。王国は今、歴史上かつてないほどの絶対的な平和と栄華の絶頂にあった。
しかし、市民から神の如く称えられる二人の英雄の顔に、喜びの表情は微塵もなかった。
「……団長。市民たちが、俺たちを世界を救った救世主だと拝んでいますよ」
アーサーの斜め後ろを歩く副官のルークが、引き攣った笑顔のまま小声で囁いた。
「……ああ。だが、実際に世界を救ったのは俺たちじゃない。俺たちを理不尽なおもてなしで鍛え上げた挙句、ピクニック気分で大魔王を粉砕した『あの化け物』だ」
アーサーは前を向いたまま、誰にも聞こえない声で自嘲気味に呟いた。
彼らの肉体は神殿の力で癒えているものの、魂には大魔王に乗っ取られた恐怖と、何よりも伽羅に『|地獄竜の超圧縮激辛マカロン《ヘル・ドラゴン・マカロン》』を無理やり食わされ、絶対零度のお茶で内臓を崩壊させられた地獄の痛みが、生々しく刻み込まれていた。
民衆は知らないのだ。この絶対的な平和が、少数の英雄たちの「顎と胃袋を犠牲にした生け贄のシステム」の上に辛うじて成り立っている砂上の楼閣であることを。
「アーサー様……。私たち、これからどうなってしまうのでしょう」
エルリアが、純白の法衣の袖を握り締めながら震える声で尋ねた。
アーサーはゆっくりと息を吐き、静かに、しかし鋼のような決意を込めて答える。
「……俺たちは、今まで通りにやるだけだ。王都の平和は護られた。軍事大国の脅威も消え去った。俺たちが毎週、あの白百合邸へ足を運び、あいつの出すクッキーと紅茶を笑顔で完食し続ける限り、この世界は安全なんだ」
アーサーの言葉に、エルリアもまた、悲壮な覚悟を込めて頷いた。
彼らは強くなりすぎた。いや、強くなるしかなかったのだ。もはや普通の人間と剣を交えることすらできないほどにバグってしまった彼らには、あの狂気のティータイムに付き合い続けるしか、生きる道は残されていない。
「……ええ。私たちの命と精神が削り取られるだけでこの笑顔が護れるのなら、私は何度でも、喉を溶かされてみせますわ」
降り注ぐ紙吹雪の中で、二人の英雄は誰にも悟られることなく、世界の平和を背負って永遠の生け贄となることを改めて誓い合ったのである。
一つの巨大な脅威が去り、王国の歴史において、この波乱の時代は、英雄たちの涙ぐましい覚悟と共に、ここに一つの完結を迎えたのであった。
一方、その頃。王都の熱狂などどこ吹く風とばかりに、静寂に包まれた白百合邸の美しいテラスでは。
「ふふっ……ふふふふっ」
伽羅・ヴァン・ディザスターは、お気に入りの黒いレースの扇子で口元を隠しながら、思い出し笑いをこらえきれない様子で身をよじっていた。
「お嬢様、本日は随分とご機嫌麗しゅうございますね」
傍らで紅茶を淹れていたメイド長のセバスティア——上位悪魔——が、恭しく首を垂れながら尋ねた。
「ええ、ええ! とっても気分が良いですのよ、セバスティア!」
伽羅は嬉しそうに立ち上がり、テラスの手すりに寄りかかって青空を見上げた。
「私、先日のピクニックで、とても素晴らしいものを見てしまったのですわ」
彼女の脳裏に浮かんでいるのは、帝国の迎賓館跡地での出来事だ。
凄まじいダメージを受け、白目を剥いて倒れ伏したアーサー。そして、そのアーサーに泣き叫びながらすがりつき、己の魔力の限界も顧みずに奇跡の浄化をかけ続けていたエルリアの姿である。
アーサーが悲鳴を上げていたのは伽羅の料理のせいであり、エルリアが泣き叫んでいたのは「このままではアーサーが狂気の料理に殺されてしまう」という純粋な恐怖と焦燥からであった。
しかし。
生前、悪役令嬢として破滅する運命の乙女ゲームをこよなく愛し、そして「客人を喜ばせること」にすべての情熱を注いできた伽羅のフィルターを通すと、あの凄惨な地獄絵図は、まったく別の『美しいメロドラマ』へと変換されていた。
「アーサー様が反抗期の熱で倒れてしまった時、エルリアちゃんはご自分の身の危険も顧みず、大粒の涙を流してアーサー様を抱きしめていらっしゃいましたの……!」
伽羅は両手で熱を持った頬を押さえ、うっとりとした吐息を漏らした。
「あれは間違いありませんわ。エルリアちゃんは、アーサー様のことを深く、深く愛していらっしゃるのよ! そしてきっと、アーサー様も同じ気持ちのはず……!」
「ほう……。あの人間どもが、愛し合っていると」
セバスティアは微かに目を細めた。彼女から見れば、あの時の二人はただ死の恐怖に怯える哀れな羽虫に過ぎなかったが、絶対の忠誠を誓う主がそう言うのであれば、それがこの館における『真実』となる。
「でも、お二人ともとても真面目で、国を守るという使命感の塊のような方々ですもの。きっと、自分たちの恋心に蓋をして、素直になれないでいるのね。……ああ、なんて健気で可哀想なのかしら!」
伽羅は本気で同情の涙を浮かべ、胸の前で両手をギュッと握り締めた。
彼女にとって、アーサーとエルリアは、自分の過激なおもてなしを全身で受け止めてくれる最高に大好きな『常連客』であり、初めてできた『親友』である。
その大切な友人たちが、恋の病で苦しんでいるのを見過ごすことなど、彼女の矜持が許さなかった。
「決めましたわ、セバスティア。私、お二人の恋を全力で応援させていただきます!」
「お嬢様が直々に、恋の橋渡しをなさるのですね。素晴らしいお心掛けかと存じます。……して、具体的にはどのような手配を?」
「ふふっ。恋を燃え上がらせるには、やはり『非日常のドキドキ』と『吊り橋効果』が不可欠ですわよね!」
伽羅の赤い瞳が、悪戯を企む小悪魔のように妖しく、そして決定的に狂った光を帯びて輝いた。
「次のお茶会は、極上のロマンチックなシチュエーションをご用意いたしますわ! 例えば……そうですね、触れれば魂まで溶ける愛のマグマの密室に二人きりで閉じ込めて、キスをしなければ脱出できない愛のデスゲームなんていかがかしら!」
「……素晴らしいアイデアです、お嬢様。必ずや、お二人の絆は文字通り骨の髄まで深まることでしょう」
「ええ! お二人が結ばれるその日まで、私、最高の恋のキューピッドとして、どんな過激な試練……いえ、愛のイベントでも用意して差し上げますわ!」
王都で平和を噛み締め、これからも耐え忍ぶ覚悟を決めた英雄たち。しかし、彼らを待ち受けていたのは「平和なティータイム」などという生易しいものではなかった。
純度百パーセントの善意と、果てしなくズレた恋愛観が暴走を開始する。厄災の令嬢が仕掛ける『絶対死のロマンチック・イベント』という、遥かに理不尽な絶望の幕が、静かに幕を開けようとしていたのである。
====
(あとがき)
『災厄の悪役令嬢は優雅に《おもてなし》する』、第1部終了までお読みいただきありがとうございます。
伽羅の活躍はいかがだったでしょうか。蝶よ花よと好き放題育てられた令嬢がMMORPGの世界へ転生、これまで培った非常識さを、最強の悪役令嬢として発揮しました。
最終的には、『アーサーとエルリアは愛し合っている!』と伽羅が勘違いしたまま終了しましたが、これまでお読みいただいた皆様が付けてくれた評価で、ご想像にお任せしますとするところを、形とするか考えていきたいと思います。
今日から、令和8年度。今後も、ひより那をよろしくお願いします。




