第25話 反抗期の終焉と出張お茶会
絶望の漆黒に染まりかけていた帝都の空に、あまりにも不釣り合いな、甘く涼やかな声が響き渡った。
「……まあ! アーサー様ったら、なぜそのような反抗期のような格好をしていらっしゃるの?」
上空の暗雲が不自然なほど綺麗な円形にポッカリと晴れ渡り、そこから純白の日傘を差した少女が、ふわりと羽のように舞い降りてきた。
白百合邸に引きこもっているはずの厄災の化身、伽羅・ヴァン・ディザスターである。
「き、伽羅様!? なぜ、王都から遠く離れたこの帝国に……っ!」
聖女・エルリアが、信じられないものを見るように叫んだ。
「だって皆様、最近全然遊びに来てくださらないから。私、すっかり寂しくなってしまって、お弁当を持って出張ピクニックに来ましたのよ!」
伽羅は満面の笑みで言い放った。神話の大魔王が復活し、数万の帝国軍が包囲する凄惨な戦場にあって、彼女だけが「休日の公園」にいるかのようなピュアな空気を纏っていた。
「なんだ、この小娘は……?」
アーサーの肉体を乗っ取った大魔王は、六つの赤い目を怪訝そうに細めた。
目の前の少女からは、魔力も闘気も、一切の脅威を感じない。ただの脆弱な人間にしか見えなかった。
「おい、小娘。我はアーサーなどというちっぽけな人間ではない。この最強の器を手に入れた、真なる大魔王ぞ! 貴様も他の人間どもと同じく、我が絶望の糧と——」
「金髪をそんなに黒く染めてしまって。それに、その真っ赤なカラーコンタクト。最近の王都の若者の間で流行っている、少し不良めいたファッションですのね?」
大魔王の荘厳な宣言を、伽羅は「思春期の痛い反抗期」として完全にスルーした。
「でも、お友達に怪我をさせてはいけませんわ。ほら、アーサー様が暴れるから、お庭がぐちゃぐちゃになってしまいましたよ」
「だ、黙れ! 我が大魔王だと——」
「そんなに怒ってばかりでは、お腹が空いてしまいますわね。さあ、ピクニックの準備をいたしましょう!」
伽羅が黒いレースの扇子をパチンと開いた。
その瞬間、大魔王の放っていた周囲の空間を歪ませるほどの圧倒的な暗黒オーラが、まるで突風に吹き飛ばされる朝靄のように、一瞬にして掻き消されたのである。
「なっ……!?」
大魔王は驚愕に言葉を失った。自らの無限の魔力が、この小娘の扇子の一振りで完全に無効化されたのだ。
「馬鹿な……っ! この最強の肉体と、我が魔力をもってしても……小娘一人の扇ぎ風を防げないだと!?」
大魔王は激昂し、六本の腕から同時に必殺の魔法を放った。太陽すらも黒く染める真・絶望の暗黒球が、伽羅を消し飛ばさんと迫る。
「あら、大きなボール遊び? でも、今はティータイムの時間ですわ」
伽羅は面倒くさそうに扇子で暗黒球をペチッと叩いた。
パンッ、という風船が割れるような間の抜けた音と共に、大魔王の極大魔法はただの黒い紙吹雪となって空に舞い散った。
「ヒッ……!?」
大魔王の喉から、彼自身も信じられないような情けない悲鳴が漏れた。
「さあ、反抗期で少しご機嫌斜めなアーサー様には、うんと刺激的なおやつが必要ですわね!」
伽羅は上位悪魔のメイドを呼び寄せ、銀のドームを運ばせた。
蓋を開けると、そこにはドクロの模様が描かれた赤黒いマカロンと、底なしの深淵のように青く冷たいお茶が用意されていた。
「新作の『|地獄竜の超圧縮激辛マカロン《ヘル・ドラゴン・マカロン》』と、お口直しの『|絶対零度ブレンドのミントティー《コールド・スリープ・ティー》』ですわ! はい、あーん!」
伽羅は理外の速度で大魔王の懐に踏み込むと、六本の腕による防御を紙切れのように掻い潜り、マカロンを強引にアーサーの口へと押し込んだ。
「んぐっ!? ふん、こんな毒にもならん茶菓子など……が、ごぉっ!?」
大魔王がそれを噛み砕いた瞬間。
——ガギィィィィィンッ! およそ食べ物を噛んだとは思えない凄まじい金属音が響き渡り、大魔王の顎の骨が見事に粉砕された。さらに、超圧縮されていた地獄竜の激辛成分が口腔内で爆発を起こす。
「あ、あ、がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
アーサーの口と鼻、そして耳から、猛烈な黒煙と炎が噴き出した。
同時に流し込まれた『絶対零度のミントティー』が、燃え盛る内臓を急速冷凍し、超絶的な温度差による細胞の崩壊を引き起こす。
「い、痛いぃぃっ! なんだこれは! 我が、我が魂が引き裂かれるぅぅっ!」
アーサーの肉体は理外の耐性を持っているため、即死は免れている。しかし、それは「絶対に死ねないまま、規格外の拷問を受け続ける」という地獄のシステムが機能していることを意味していた。大魔王の精神は、かつて経験したことのない異常な激痛に完全にパニックに陥っていた。
(……だから言っただろう。あいつには関わるなと)
深い意識の底に沈められていたアーサーの本来の精神が、大魔王の悲鳴を聞いて冷静にツッコミを入れていた。
(やめろ! 我は大魔王ぞ! かつて世界を滅ぼした恐怖の象徴だぞ! なぜこんな金属の塊とお湯で、魂が千切れるような痛みを味わわねばならんのだ!)
(……慣れろ。俺は毎週それを食わされている)
(ふざけるな! 貴様ら人間は狂っている! こんな痛みに毎週耐えているだと!? 化け物め、こんな肉体などくれてやる! 我は逃げるぞ!)
あまりの理不尽な痛みに完全に心が折れた大魔王は、アーサーの肉体を支配することを放棄した。
アーサーの口から、おびただしい量の漆黒の瘴気がゲロのように吐き出され、空へと逃げ出していく。
「あら? アーサー様から、真っ黒な煤が出ましたわ。反抗期の悪いものが全部抜けたのかしら」
伽羅は不思議そうに空を見上げると、扇子を顔の前で優雅に振った。
「でも、お外を汚してはいけませんわね。お掃除の魔法を……『純白のそよ風』」
彼女が放ったのは、そよ風などという生易しいものではない。空間そのものを浄化の光で削り取る、神の怒りにも等しい超特大の浄化魔法であった。
「ギャアアアアアアアアアアッ!」
逃げ出そうとしていた大魔王の魂は、光の嵐に飲み込まれ、断末魔の悲鳴と共にチリ一つ残さず完全消滅した。
数千年の時を経て復活し、超進化まで遂げた神話の大魔王は、ただの「反抗期の煤」として、お掃除感覚でこの世から完全に除菌されてしまったのである。
帝都の迎賓館跡地に、死のような静寂が訪れた。
数万の帝国軍と、包囲網を敷いていた皇帝は、武器を取り落としてガタガタと震え上がり、白目を剥いて泡を吹いている者すらいた。
アーサーたち王国軍が「脅威」なのではない。彼らが毎週「生け贄」としてご機嫌を取っているこの少女こそが、この世界における真の絶対悪であり、触れてはならない理不尽の極致なのだと、彼らの魂が完全に理解してしまったのだ。
「……アーサー様! しっかりしてください!」
エルリアが泣きながら駆け寄り、白目を剥いて倒れているアーサーに奇跡の浄化をかけ続ける。
大魔王の支配からは解放されたが、お茶菓子のダメージによってアーサーの肉体と精神はボロボロであった。
「ふふっ。アーサー様、すっかり反抗期が治って、いつもの優しいお顔に戻られましたわね!」
伽羅は治癒を受けるアーサーを見下ろし、心底嬉しそうに微笑んだ。
「お出かけも楽しいですけれど、やはりお茶会は白百合邸のお庭でするのが一番ですわ。さあ皆様、王都へ帰りましょう! 次のお茶会の準備をして待っておりますわね!」
満面の笑みで帰途につく厄災の背中を、皇帝と帝国軍は地面に額を擦り付けて、ただひたすらに祈るような目で見送ることしかできなかった。
大魔王の復活と帝国の裏切りという最大の危機は、寂しがり屋の少女のピクニックによって見事に粉砕され、アーサーたちにさらなる胃痛とトラウマを残して幕を閉じたのであった。
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(次話第1部最終話)
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