第23話 神話の脅威と理外の救世主
王国の次期国王たるレオンハルト第一王子が、「お茶会の劇中劇」の果てに気絶し、馬車で回収されてから数週間。
王都は奇妙な静寂と平和に包まれていた。英雄アーサーたちによる『生け贄のシステム』が完璧に機能し、伽羅・ヴァン・ディザスターの純粋な善意と歓待が白百合邸の敷地内に留められていたからだ。
そんなある日、王城の円卓の間に、隣国である軍事大国グランヴェルザ帝国からの悲痛な急使が駆け込んできた。
「救援を! 我が帝国に、どうか王都最強の騎士団の救援を要請いたします!」
血まみれの軍服を着た帝国の使者は、大理石の床に倒れ伏しながら叫んだ。
「建国神話に語られる最悪の災厄……大魔王が、我が国の辺境に封印を破って現れたのです! すでに三つの要塞都市が灰燼に帰し、皇帝陛下率いる帝国本軍も全滅の危機に瀕しております……っ!」
その報告に、円卓の重鎮たちは一斉に息を呑んだ。
大魔王。かつて世界を深い闇に沈め、当時の大陸中の勇者たちが命と引き換えにようやく封印したとされる、伝説の絶対悪である。
「大魔王だと……!? 馬鹿な、あれはおとぎ話の存在ではなかったのか!」
「帝国軍といえば、大陸最強の武力を持つ軍事国家だ。それが手も足も出ないとは……!」
騒然とする円卓の間。しかし、その末席に座っていた王都最強の英雄アーサーと、聖女・エルリアだけは、どこか不思議そうな、そして酷く落ち着いた表情を浮かべていた。
「……アーサー殿。我が国の軍の半数を割いてでも、帝国への援軍を送るべきか?」
宰相が震える声で尋ねる。
「いいえ、軍は不要です。俺と、トップギルドの精鋭部隊。そしてエルリア殿だけで十分でしょう」
アーサーはゆっくりと立ち上がり、腰の大剣の柄に手をかけた。
「俺たちが行きます。……正直なところ、王都に残って『今週のお茶会』に参加するよりも、神話の大魔王と殺し合う方が、よほど心が安らぎますので」
アーサーの言葉には、微塵の虚勢もなかった。ただ、本心から「大魔王の討伐に行けば、あいつのクッキーやマシュマロを食べなくて済む」という、涙ぐましい安堵感が滲み出ていた。
「あ、アーサー様……。私も、久々に普通の治癒魔法を使えると思うと、少しホッといたしますわ」
エルリアもまた、内臓を爆破されない普通の戦場に郷愁を感じながら、深く頷いた。
かくして、彼らにとっては「死のティータイムからの待望の休暇」となる、大魔王討伐への出張任務が幕を開けたのである。
数日後。グランヴェルザ帝国の辺境、焦土と化した荒野。天を覆うほどの巨大な黒雲の下で、帝国軍の生き残りが絶望的な防衛線を敷いていた。
その視線の先には、山のように巨大な四本の腕と、燃え盛る二本角を持つ大魔王が君臨している。
「グハハハハッ! 脆い、脆いぞ人間ども! 数千年の封印の鬱憤、貴様らの血肉で晴らしてくれよう!」
大魔王が巨大な腕を一振りするだけで、極大の暗黒魔法が放たれ、重武装の帝国騎士たちが数十人単位で消し飛んでいく。
「陛下! もう防衛線は維持できません! どうかご退避を!」
「退かぬ! 我が帝国がここで崩れれば、大陸全土が闇に飲まれるのだ!」
傷ついた皇帝が血を吐きながら剣を杖にして立ち上がる。しかし、圧倒的な力の差の前に、もはや誰の目にも帝国の滅亡は明らかであった。
大魔王が、全魔力を込めた必殺の絶望の暗黒球を上空に作り出す。それは太陽すらも飲み込むほどの質量を持ち、帝国軍の残存兵力を一撃で消し去るための破壊の球体であった。
「終わりだ……っ」
皇帝が死を覚悟し、目を閉じた、まさにその時。
「——超速詠唱、極大風刃!」
空気を劈くような鋭い声と共に、一陣の暴風が荒野を駆け抜けた。
ズバァァァァァァッ! 大魔王が創り出した『絶望の暗黒球』が、空中でまるで果物のように真っ二つに両断され、無害な魔力の霧となって霧散したのである。
「……なにっ!?」
大魔王が驚愕して巨大な目を剥く。
土煙を上げて帝国軍の前に降り立ったのは、黄金の髪をなびかせたアーサーと、純白の法衣を纏うエルリアたち、王国の精鋭部隊であった。
「お、お前たちは……隣国の! 来てくれたのか!」
皇帝が希望の光を見たように叫ぶ。
「遅れて申し訳ありません、陛下。大魔王は我々が引き受けます」
アーサーは大剣を構え、大魔王を真っ向から見据えた。
「貴様ら……ちっぽけな人間の分際で、この我が魔法を斬り裂いたとでもいうのか! よかろう、ならば貴様らから先に肉片に変えてやる!」
大魔王が激昂し、地鳴りのような咆哮と共に、四本の腕から同時に致死の業火と猛毒の霧を放った。帝国軍の兵士たちが「避けろ!」と絶叫する。しかし、アーサーとエルリアは一歩も退かなかった。
(……なんだ、この生温かい炎は。地獄の業火で焙煎された激辛ハーブティーの、胃袋を直接焼かれる痛みに比べれば、ただの心地よい暖炉じゃないか)
(ええ、アーサー様。この程度の毒霧……猛毒這い寄る沼海月のマリネで喉をドロドロに溶かされたあの劇痛に比べたら、まるで春のそよ風ですわね)
彼らは、伽羅の理不尽なおもてなしを生き延びるため、すでに『神の理から外れた変異』を遂げている。
大魔王の放った神話級の業火も猛毒も、彼らの異常な耐性の前には、文字通り傷一つ、服の焦げ目一つすらつけることができなかった。
「なっ……無傷、だと……!?」
大魔王の四つの目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「大魔王とやら。お前の攻撃は、なんだかとても……『常識的』だな。動きも見えるし、殺意も分かりやすい」
アーサーは冷ややかに言い放つと、大地を蹴って音速を超えた。
伽羅のお茶会では、笑顔で無動作・無詠唱の大魔法が飛んでくるのだ。それに比べれば、大魔王の攻撃など止まって見えるほどに大振りで、親切な予備動作に満ち溢れていた。
「舐めるな人間どもぉぉっ!」
大魔王が山を砕くほどの巨大な拳をアーサーに振り下ろす。
——ガギィィィィィンッ! 鈍い金属音と共に、大魔王の強靭な拳の骨が粉々に砕け散った。
「ギャアアアアアッ!?」
「……硬いのは、嫌いなんだよ」
アーサーは、あの超硬度ウサギ型クッキーを噛み砕くために極限まで鍛え上げた闘気を大剣に纏わせ、大魔王の腕を次々と切り飛ばしていく。
「ルーク、合わせろ! エルリア殿、封印の準備を! いくら斬り刻んでも再生しやがる……こいつは不滅の存在だ、物理的に討伐はできない! 再生が追いつく前に動きを止めて、檻に叩き込むぞ!」
「はっ! 極大氷結陣!」
副官のルークが放った氷の魔法は、ミートパイで成層圏に吹き飛ばされた極低温の記憶を魔力に変換したものであり、大魔王の巨体を一瞬で氷の彫像へと変えて動きを止めた。
「今ですわ! 聖覇・光の封印檻!」
エルリアが両手をかざし、大魔王を永遠の眠りにつかせるための究極の封印魔術を発動させる。
「ば、馬鹿なっ……我は、大魔王ぞ……! こんな、こんな人間どもに、ただの一撃も入れられずに敗れるなど……!」
大魔王は断末魔の叫びを上げながら、純白の光の檻の中に封じ込められ、あっという間に手のひらサイズの封印石へと圧縮されてしまった。
神話の災厄、完全なるワンサイドゲームによる鎮圧である。
荒野に、しんとした静寂が訪れた。
やがて、我に返った帝国軍の兵士たちから、地鳴りのような歓声が巻き起こるはずだった。
しかし。
「……おい、見たかよ。大魔王の攻撃が全く効いてなかったぞ……」
「あの大剣使い……神話の化け物を、赤子を捻るようにボコボコに……」
帝国軍の兵士たち、そして皇帝の瞳に浮かんでいたのは、歓喜ではなく『圧倒的な恐怖と畏怖』であった。
大魔王という強大な敵を倒してくれた恩人である。しかし、その大魔王すらも子供扱いして封印してしまうアーサーたちの『異常な強さ』は、軍事国家である彼らの常識を遥かに超えていた。
(……なんだ、あの王国軍の力は。大魔王すら単騎で圧倒する部隊を擁しているというのか? もし、あのような化け物たちが我が帝国に牙を剥いたら……我々など、一日にして滅ぼされてしまうのではないか?)
皇帝の心に、隣国に対する強烈な警戒心と恐怖が芽生えた瞬間であった。
アーサーたちは、大魔王を倒したことで、周辺国から『神話の災厄を超える真の脅威』として戦慄されることになってしまったのだ。
「……終わったな、ルーク」
アーサーは、そんな周囲のドン引きした空気など全く気に留めることなく、封印石を懐にしまって深く安堵の息を吐いた。
「ええ、団長。久々に、顎も砕かれず、内臓も燃えない、安全で素晴らしい『休暇』でしたね」
「ああ……。これで今週のお茶会は休める。俺たちは、少しの間だけだが、自由を手に入れたんだ……っ!」
アーサーとエルリアは、生きている喜びを噛み締め、涙を流して抱き合った。
彼らは知らない。自分たちが周辺国から「恐るべき侵略の脅威」として包囲網を敷かれようとしていることも。
そして何より、王都でお留守番をしている『寂しがり屋の厄災』が、愛する常連客たちの不在に耐えきれず、最悪の『出張おもてなし』の準備を始めていることなど。
理外の英雄たちの短いバカンスは、さらなる絶望の嵐の前の静けさに過ぎなかったのである。
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