第21話 死線の劇中劇と涙ぐましい毒見
柔らかな午後の日差しが降り注ぐ、白百合邸の美しいテラス席。王国の次期国王たるレオンハルト第一王子は、用意された豪奢な椅子にふんぞり返るように腰を下ろし、目の前で優雅にお茶を淹れる少女を冷ややかに睨みつけていた。
その後ろには、直立不動で控える近衛騎士たちと、今にも死にそうな顔色で立っているアーサー、エルリアをはじめとするトップギルドの精鋭たちが並んでいる。
「……さて、伽羅よ。私が今日、わざわざこんな辺境の屋敷まで足を運んだ理由が分かるか?」
レオンハルトは傲慢な態度で腕を組み、口火を切った。
「最近の貴様の行動は目に余る。罪なき冒険者たちを不当に神殿送りにし、王都の治安を乱しているという報告が上がっている。次期国王の婚約者として、到底見過ごせるものではない」
アーサーの全身から冷や汗が滝のように流れ落ちた。
(やめろ、殿下……っ! その『罪なき冒険者』の中には俺たちも含まれているが、俺たちは決して被害届など出していない! 頼むから、その人を刺激しないでくれ……!)
アーサーは声に出せない絶叫を心の中で上げながら、いつでも王太子を抱えて逃げ出せるよう、足の筋肉を極限まで緊張させていた。
「よって、我ら王家の決定をここに申し渡す」
レオンハルトはビシッと伽羅を指差し、王都の広場で演説をするかのような仰々しい声で宣言した。
「伽羅・ヴァン・ディザスター! 貴様との婚約は、本日ただいまをもって破棄させてもらう!」
……しん、と。テラスの空気が静まり返った。
乙女ゲームの世界において、最も盛り上がるはずの断罪と婚約破棄のイベント。アーサーとエルリアは、ついに『終わりの時』が来たと目を固く閉じた。伽羅の純粋な善意を真っ向から踏みにじるこの言葉は、間違いなく彼女の逆鱗に触れる。次の瞬間には、絶対零度の吹雪か、隕石の雨がテラスを更地にするだろうと覚悟したのだ。
しかし。
「……まあ!」
伽羅は両手を胸の前で合わせ、目をキラキラと輝かせて歓声を上げた。
「婚約破棄、ですのね! 最近、王都の貴族たちの間で流行っているという『劇中劇』のサプライズ! 殿下がわざわざ私を楽しませるために、悪役令嬢を断罪する王太子の役を演じてくださるなんて……!」
「……は?」
レオンハルトが間抜けな声を漏らした。
伽羅の倫理観と常識は、どこまでも果てしなくズレていた。彼女にとって、こんな天気の良い日に、わざわざ大勢の観客を引き連れてやってきた婚約者が、いきなり高圧的な態度で別れを切り出すなど、どう考えても『お茶会を盛り上げるための余興(お芝居)』にしか見えなかったのだ。
「素晴らしい演技力ですわ、レオンハルト様! 私、感動して鳥肌が立ってしまいましたの! ええ、悪役令嬢の役は、この私が完璧に務めさせていただきますわ!」
伽羅は黒いレースの扇子をパチンと広げ、ノリノリで悪女らしい妖艶な笑みを浮かべた。アーサーとエルリアは、別の意味で鳥肌を立たせ、その場に崩れ落ちそうになった。
(……奇跡だ。殿下の命知らずな暴言が、あいつの脳内で『最高のアトラクション』に変換された……っ!)
「な、何を言っている! 私は本気で——」
「さあ、殿下の素晴らしいお芝居のお返しに、私からも最高のおもてなしをさせていただきますわ!」
伽羅が指を鳴らすと、メイド長である上位悪魔のセバスティアが、恭しく銀のワゴンを押して現れた。
「本日は特別なお祝いの席ですから、とびきりの一品をご用意いたしましたの」
伽羅は嬉しそうに、ティーカップに赤黒い液体を注いだ。
「こちらは、『獄炎竜の生き血をブレンドした超激辛紅茶』でございます。そしてお茶菓子は、『世界樹の結晶樹液で固めた超硬度マカロン』ですわ!」
そのメニュー名を聞いた瞬間、アーサーとエルリアの胃袋が悲鳴を上げた。
それは、以前アーサーの顎を粉砕した超硬度クッキーの強化版と、内臓を焼き尽くすマグマのような紅茶の凶悪セットであった。神の加護を持つ彼らでさえ、一口で神殿送りにされる致死のフルコースである。
「ほう、見た目は少し毒々しいが、香りは悪くないな。……私が貴様の淹れた茶を飲むのも、これが最後になるだろう」
レオンハルトは、それが本物の『死の劇薬』であるとは夢にも思わず、傲慢な態度のままティーカップへと手を伸ばした。
ただの人間である王太子がそれを飲めば、神殿で蘇ることもなく、文字通り一瞬で消し炭になって完全消滅してしまう。
「で、殿下ぁぁぁぁっ!」
アーサーは獣のような咆哮を上げ、理外の変異を遂げた速度でレオンハルトの横に滑り込んだ。
「なっ、何をするアーサー!」
「そ、それは……いけません! 次期国王たる殿下が、我々のような下臣を差し置いて、先に口をつけられるなど……王家の作法に反します!」
アーサーは出鱈目な理屈を叫びながら、レオンハルトの手からティーカップを強引にひったくり、そのまま赤黒く煮えたぎる紅茶を一気に飲み干した。
「あ、がっ……!」
アーサーの目が見開き、喉の奥からゴボォッという鈍い音が鳴る。
即座に彼の口と鼻から、もうもうと真っ黒な煙が噴き出した。胃袋が直接マグマで焼かれるような、発狂寸前の激痛。彼の強靭な肉体であっても、細胞が内側から消し飛びそうになる。
「お、おいアーサー!? 口から煙が出ているぞ!?」
レオンハルトが驚愕して後ずさる。
「……ふぅ。さ、最高に……美味で、ございます……殿下……」
アーサーは目から血の涙を流し、全身をガタガタと痙攣させながらも、無理やり口角を引き上げてサムズアップしてみせた。
「素晴らしい毒見ですわ、アーサー様! では、こちらのマカロンもどうぞ!」
伽羅が満面の笑みで、エルリアの前に『超硬度マカロン』を差し出した。
「は、はいっ……! 殿下に代わり、私めがっ!」
エルリアは悲壮な決意と共にマカロンを手に取り、それを噛まずに丸呑みした。噛めば顎が砕けることを、彼女はアーサーの犠牲から学んでいたのだ。
しかし、丸呑みした超高密度の塊は、彼女の食道を物理的に引き裂き、胃壁をゴリゴリと削り取っていく。
「あ、ぁぁぁっ……!」
エルリアは白目を剥き、固有スキル奇跡の浄化を全力で発動させた。破れた内臓を超速で再生させながら、強引にマカロンを消化液で溶かしていく無限の苦痛。
「す、素晴らしい……お味ですわ、伽羅様……」
エルリアは口から一筋の血を流しながら、聖女としての完璧な笑顔を顔に貼り付けた。
「お前たち……一体どうしてしまったのだ? 毒見にしては、あまりにも様子がおかしいではないか」
レオンハルトは、王都最強の英雄と至宝の聖女が、お茶と菓子を口にしただけで瀕死の重傷を負っている異常な光景に、ついにドン引きし始めていた。
「気の、せいです……殿下。これは、とっても、美味しい……お茶会なのです……っ」
アーサーは血を吐きながら、必死にレオンハルトの前に立ち塞がった。
絶対に、この狂気の飲食物を王太子に口にさせてはならない。彼らが身を呈して飛んでくるおもてなしをすべて処理しなければ、王国は終わるのだ。
「まあ! アーサー様もエルリアちゃんも、私の劇中劇を盛り上げるために、そんなに体を張った毒見のリアクションをしてくださるなんて! 本当にノリが良くて素敵な方々!」
伽羅は扇子で口元を覆い、心底楽しそうに笑い声を上げた。
彼女の目には、アーサーたちの命懸けの隠蔽工作すらも、「王太子と悪役令嬢の劇を盛り上げるための、コメディリリーフの熱演」にしか見えていなかったのである。
「さあ、レオンハルト様。お茶会はまだ始まったばかりですわ。次は、どのような痛快な台詞で私を罵ってくださるのかしら? 私、ドキドキして待っておりますのよ!」
純粋な善意と期待に満ちた、血のように赤い瞳が王太子を見つめる。
レオンハルトは、未だ事の重大さを完全には理解していなかったが、目の前で血を吐いて倒れかけている英雄たちの姿と、伽羅の常軌を逸した笑顔の間に横たわる『絶対的な温度差』に、名状しがたい薄ら寒い恐怖を抱き始めていた。
死線の劇中劇は、アーサーたちの削り取られる命を代償に、まだ幕を開けたばかりであった。
===
「ここまで読んでいただき、ありがとうございます!皆様からの『イイネ』や『応援』が、本当に、本当に毎日の執筆の最大の原動力になっています。
少しでも『続きが読みたい』『面白かった』と思っていただけましたら、ぜひ応援のポチッをお願いいたします……!」




