第19話 勇者気取りの乱入者と常連客の余裕
白百合邸の美しき庭園。王都最強の英雄アーサーと、聖女・エルリアをはじめとするトップギルドの精鋭たちは、絶対に破壊不能な黒大理石の椅子に縛り付けられるような重圧感の中、テーブルの上に置かれた『それ』を絶望的な眼差しで見つめていた。
「……団長。表面は銀色に輝いていますが、指でつつくと、ぷにぷにと柔らかな弾力があります」
副官のルークが、引き攣った顔で報告する。
「ああ。だが、俺の高位の鑑定が正しければ、その弾力は『極限まで圧縮された暴風の魔力』を、溶かした神星鋼でコーティングして無理やり閉じ込めているだけだ。……噛み砕いた瞬間、口の中で致死量の暴風が爆発するぞ」
アーサーの額から、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
以前は超硬度のクッキーで顎を粉砕され、火竜の血で内臓を焼かれた。今回は、柔らかさに騙されて噛み締めた瞬間に、顎ごと頭部を内側から吹き飛ばされるという最悪のトラップである。
「皆様、お待たせいたしましたわ! 本日は新作の『|天駆ける暴風のマシュマロ・ミスリル包み《テンペスト・マシュマロ・ミスリル》』ですの。心ゆくまでお楽しみになってね!」
伽羅・ヴァン・ディザスターは、純白のドレスを揺らしながら満面の笑みで勧めてくる。
アーサーたちが死を覚悟し、震える手でその『兵器』を口に運ぼうとした、まさにその時である。
ドゴォォォォンッ! 上空の結界が派手な音を立てて砕け散り、庭園の中央に一人の青年が降り立った。
「待たせたな、悪役令嬢! そして哀れなモブどもよ!」
黒いコートを翻し、身の丈ほどもある仰々しい大剣を肩に担いだその青年は、自信に満ち溢れた傲慢な笑みを浮かべていた。
「俺の名はリオン! この世界に選ばれた唯一の主人公であり、全属性魔法と絶対無敵のスキルを持つチート勇者だ! お前のような悪役令嬢は、俺がこの『神滅剣』でざまぁしてやる!」
ビシッと伽羅を指差し、青年——別の世界から転生してきたチート持ち——が高らかに宣言する。
彼はこの世界を「乙女ゲームかRPGの世界」だと信じ込んでおり、自分が持つチート能力に絶対の自信を持っていた。最強の力で悪役令嬢を倒し、名声と聖女エルリアを手に入れてハーレムを築くという、薄っぺらい欲望を抱いて乗り込んできたのだ。
しかし。
その堂々たる登場を見たアーサーとエルリアの反応は、驚きでも安堵でもなく、ただひたすらに『生温かい同情』であった。
(……チート? 主人公? ざまぁ? 何を言っているのか全く分からないが、ひどく痛々しい若者だ)
(ええ、アーサー様。それに、あの得体の知れない自信……。自分が今、いかに恐ろしい『理外の化け物』に喧嘩を売っているのか、微塵も理解していないのですね……)
かつて神話級の魔王すらも瞬殺されたのを見ているアーサーたちにとって、目の前の青年から放たれる魔力など、そよ風にも劣るチャチなものであった。
「あら? アーサー様、あちらの方は……?」
伽羅は目を丸くして、青年とアーサーを交互に見比べた。
「ああ、いえ……我々の連れではありませんが……」
「まあ! では、皆様が私を喜ばせるために、内緒で呼んでくださった余興のパフォーマーさんですのね! なんて嬉しいサプライズかしら!」
伽羅はパンッと両手を打ち合わせ、目をキラキラと輝かせた。
「ふざけるな! パフォーマーだと!? 俺をコケにしやがって……食らえっ! 俺の全ステータス限界突破の一撃を!」
リオンが激昂し、神滅剣とやらを大上段に構えて伽羅へと襲い掛かる。彼のスキルによる『絶対不可避』と『防御貫通』の補正が乗った、自称・最強の一撃。
しかし、伽羅は黒いレースの扇子を取り出すと、まるでハエでも追い払うかのような無造作な動きで、その大剣の腹を軽く叩いた。
——パキィィィィンッ!
「……は?」
リオンが間抜けな声を漏らす。
彼が「神をも殺す」と豪語していたチート武器が、華奢な扇子の一振りによって、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。
「なっ、ば、馬鹿な!? 俺の神滅剣が……っ! なら、魔法だ! 俺の絶対無敵結界を展開して、超極大魔法を——」
「そんなに激しく動いては、お腹が空いてしまいますわ」
伽羅は優雅な足取りでリオンの懐に踏み込むと、銀の皿から『|天駆ける暴風のマシュマロ・ミスリル包み《テンペスト・マシュマロ・ミスリル》』を一つ摘み上げた。
「さあ、パフォーマーさんも、私の手作りお菓子をどうぞ。はい、あーん」
リオンの展開した『絶対無敵結界』など、伽羅から無自覚に漏れ出す理外の魔力圧の前には、薄紙ほどの意味も持たなかった。
バリィィンッ! と音を立てて結界が破られ、伽羅の白い指がリオンの口に強引にマシュマロを押し込む。
「もぐっ!? んぐっ……!? な、なんだこれ、硬っ……いや、柔らか……っ」
リオンが反射的にそれを噛み砕いた瞬間。
ドバァァァァァァァァンッ! 彼の口腔内で、極限まで圧縮されていた暴風の魔力が大爆発を起こした。
「あ、あ、がべぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
リオンの悲鳴は、凄まじい暴風の轟音にかき消された。彼の体は庭園の地面から垂直に打ち上げられ、雲を突き抜け、文字通り星の彼方へと消え去っていった。
数秒後、空の遥か高みで、ポンッ、と光の粒子が弾けるのが見えた。
「まあ! 最後は空高く飛んでいって光の花火になるなんて、とってもダイナミックで素晴らしいパフォーマンスでしたわ! アーサー様、素敵な余興をありがとうございます!」
伽羅は心底嬉しそうに拍手を送っている。
一方、黒大理石の椅子に座るアーサーたちは、空の彼方に散った哀れな若者に向けて、静かに黙祷を捧げていた。
「……ルーク。あいつ、今頃神殿の大理石の床で、頭を吹き飛ばされた幻肢痛に泣き叫んでいるんだろうな」
「ええ、団長。きっと、自分の薄っぺらいチートが全く通用しなかった現実に、精神が崩壊しかけている頃でしょう」
「後で神殿に行ったら……俺たちが先輩として、この世界の厳しさを優しく教えてやろう。泣き止むまで、背中をさすってやるくらいはしてもいい」
同じ『おもてなしの被害者』として、アーサーたちの中に奇妙な連帯感と、そして「俺たちはあれを何度も耐え抜いてきたんだ」という、狂気に満ちた優越感が芽生えていた。
「さあ、アーサー様たちも、冷めないうちにマシュマロをどうぞ!」
満面の笑みで振り返った伽羅の言葉に、アーサーたちは現実に引き戻された。
パフォーマーが消え去った以上、結局この地獄を味わうのは自分たちなのだ。
「……ああ、いただくよ」
アーサーは涙の枯れ果てた目でマシュマロを口に運び、再び内側から頭を吹き飛ばされる理外の絶望へと、沈んでいくのであった。




