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災厄の悪役令嬢は優雅に《おもてなし》する  作者: ひより那


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第17話 逆招待の茶会と失われた普通

 王都最大の闇ギルドが「日照不足解消」という名目で健全な市民公園へと強制リフォームされてから数日。王城の円卓の間に集まった重鎮たちの間には、かつてないほどの深刻な疲労感が漂っていた。


「……このままでは、あの厄災の公爵令嬢が『お散歩』に出るたびに、王都の地形と生態系が変わってしまうぞ」


 宰相が深くため息をつきながら、こめかみを揉みほぐした。

 武力による討伐は不可能。聖女・エルリアによる対話の試みも、無限の死食フルコースによって物理的に遮断された。もはや、伽羅・ヴァン・ディザスターという存在は、王国が抱え込まねばならない『歩く天災』として定着しつつあった。


「皆様、ご提案があります」


 円卓の末席から、王都最強の英雄アーサーが静かに立ち上がった。


「いつも我々が彼女の白百合邸ホワイトリリィ・パレスへ足を運び、あちらの『おもてなし』を受けてばかりいるから、彼女の常識がエスカレートしていくのです。……ならば、こちらから彼女を王城へ招待し、『普通で、安全で、常識的なお茶会』とはどのようなものか、身を以て体験していただくべきです」

「なんと……。こちらから、あの厄災を城に招き入れるというのか!?」

「はい。最高級の、しかし『絶対に顎を砕かない柔らかいケーキ』と、『内臓を溶かさない適温の紅茶』を用意します。彼女に王族の正式な茶会を体験させ、おもてなしの基準値を下げさせるのです」


 アーサーの提案は、一見すると危険極まりない賭けであった。しかし、その声には「頼むから、たまには普通の、美味しいご飯を安全に食べさせてくれ」という、理外の変異を遂げた英雄の、血を吐くような悲痛な願いが込められていた。

「……分かりました。アーサー様の仰る通りです。私たちも、そろそろ普通の温かいお茶が恋しいですもの……」


 エルリアもまた、虚ろな瞳で激しく同意した。


 こうして、王国最高の宮廷菓子職人たちが総動員され、毒も呪いも、未知の鉱石も一切含まれていない『究極に至極真っ当なショートケーキ』の製作が命じられたのである。



 数日後。王城の奥に位置する、最も美しく見晴らしの良い空中庭園。


「まあ! 王城の空中庭園にお招きいただけるなんて。私、とても光栄ですわ!」


 伽羅は、淡いピンク色のフリルがあしらわれた可憐なドレス姿で、満面の笑みを浮かべていた。

 その向かいには、正装に身を包んだアーサーとエルリアが座っている。テーブルの上に並べられているのは、王国の威信をかけて作られた三段重ねの特製ストロベリーケーキと、香り高い最高級のダージリンティーだ。


「ようこそいらっしゃいました、伽羅様。本日は我々が、王国の伝統的な作法で最高のおもてなしをさせていただきます」

「ええ、ええ! 皆様がどのようなサプライズをご用意してくださったのか、私、昨夜からドキドキして眠れませんでしたのよ!」


 伽羅は目をキラキラと輝かせ、扇子を膝の上に置いて両手を合わせた。

 彼女の倫理観における『最高のおもてなし』とは、隕石が降ってきたり絶対零度の吹雪が吹き荒れたりする致死のエンターテインメントである。しかし、今日ここにあるのは、純粋な小麦粉と生クリーム、そしてみずみずしい苺だけで作られた、ただの美味しいケーキだ。


「さあ、どうぞお召し上がりください。とても……『柔らかい』ですよ」


 アーサーは、祈るような気持ちでケーキを勧めた。


(頼む。これを食べて、「普通のケーキも美味しいわね」と笑ってくれ。そして俺たちも、この安全なケーキを食べて、人間としての尊厳と味覚を取り戻すんだ……っ)


 伽羅は嬉しそうに頷くと、銀のフォークでケーキを小さく切り取り、パクリと口に含んだ。


「……んんっ」


 伽羅は目を閉じ、ゆっくりと咀嚼する。アーサーとエルリアは、息を呑んで彼女の反応を見守った。


「……とっても、甘くて美味しいですわ」


 伽羅がふわりと微笑んだ瞬間、アーサーとエルリアの目から、滝のように安堵の涙が溢れ出した。


(やった……! 通じた! 普通の食べ物でも、あいつは満足してくれるんだ!)


「ですが……」


 しかし、伽羅は小さく首を傾げ、不思議そうにケーキを見つめた。


「なんだか、少し『刺激』が足りませんわね。お口の中で爆発もしませんし、極低温で喉が凍るようなスリルもありませんの」

「えっ」


 その言葉が引き金となった。彼女の肉体は、この世界における『神の理から外れた厄災』の器である。常に極大の魔力と致死の現象を内包している彼女の体が、目の前の「あまりにも普通すぎる食べ物」に対して、無意識のうちに『魔力の過剰供給』を行ってしまったのだ。

 伽羅の指先から、ほんの僅かな——しかし、世界を滅ぼすには十分すぎる濃度の——紫色の魔力が、フォークを伝って三段重ねのケーキへと流れ込んだ。


 ピクッ。


 テーブルの中央に置かれていた巨大なホールケーキが、脈を打つように蠢いた。


「……アーサー様。今、ケーキが……動きましたよね?」


 エルリアが、引き攣った笑顔で震える指を向けた。次の瞬間である。


 ブチャァァァァァッ! 純白の生クリームがマグマのように膨れ上がり、上に乗っていた数十個の苺が、ギョロリと動く『真紅の眼球』へと変貌を遂げた。


「ギィィィィィィィッ!」


 それはもはや菓子ではない。厄災の魔力を過剰に吸い込み、突如として変異・受肉した暴食の甘味魔獣(シュガー・ベヘモット)。城の柱すらもへし折るほどの巨大な怪物へと膨張したスポンジとクリームの化け物が、空中庭園のテーブルを粉砕して咆哮を上げた。


「な、なんだあの化け物はぁぁっ!?」

「ケーキが、ケーキが魔獣になったぞ! 近衛騎士団、前へ!」


 周囲を警護していた王城の騎士たちがパニックに陥り、剣を抜いて殺到する。しかし、暴食の甘味魔獣(シュガー・ベヘモット)がクリームの触手を一振りしただけで、重武装の騎士たちは数十メートルも空高く吹き飛ばされてしまった。


 阿鼻叫喚の地獄と化した空中庭園。しかし、アーサーとエルリアは、その場から一歩も動かなかった。恐怖で足がすくんでいるのではない。彼らの瞳は、一切の光を失った完全な『虚無』に染まりきっていたのだ。


(……ああ。俺たちはもう、普通のお茶会すら、許されないのか)


 アーサーは、手元にあった『銀のケーキフォーク』を静かに持ち上げた。

 大剣を抜くことすらしない。理外の変異を遂げた今の彼にとって、武器の形状など些末な問題であった。


「下がっていろ、近衛兵」


 恐ろしく低く、冷たい声。

 アーサーが立ち上がると同時、彼の持つ小さなケーキフォークに、神話級の魔獣すら一撃で消し炭にする黄金の闘気が極限まで圧縮されて宿った。


「ギルルルァァァッ!」


 巨大なケーキの魔獣が、アーサーを丸呑みにしようとクリームの巨体を躍らせる。


「……鬱陶しい」


 アーサーは、虫を払うような無造作な動作で、そのフォークを虚空に向けて一振りした。


 フォーク版・聖覇斬(グランド・クロス)


 ピカァァァァァァンッ! 黄金の閃光が空中庭園を十字に切り裂いた。

 神の理を逸脱したその一撃は、魔獣の巨体を寸分の狂いもなく、まるで定規で測ったかのように『美しい八等分のショートケーキの形』へと完璧に切り分けたのである。


「ギャ、ア……」


 断末魔の悲鳴すら上げられず、八等分にスライスされた魔獣の巨体は、ドスッ、ドスッ、と音を立てて、用意されていた予備の銀皿の上へ綺麗に着地した。


 ワンパン——いや、ワンフォークである。その人間離れした神業に、吹き飛ばされていた近衛兵たちは顎を外さんばかりに驚愕し、言葉を失った。


「まあ……!」


 ただ一人、伽羅だけが両手を打ち合わせ、歓喜の声を上げていた。


「素晴らしいですわ、アーサー様! ただのケーキだと思っていたら、急に巨大化して襲い掛かってくるアトラクションだったのですね! しかも、それを自らの手で美しく切り分けていただくなんて……王城のお茶会は、こんなにもエキサイティングでスリリングな演出を用意してくださるのね!」


 彼女の目には、ケーキの魔獣化も、アーサーの虚無の斬撃も、すべてが「自分を楽しませるために用意された最高のおもてなし」として変換されていた。


「さあ、皆様も冷めないうちに……いえ、暴れ出さないうちにいただきましょう! 自分で仕留めたお菓子は格別の味がしますわよ!」


 伽羅は上機嫌で、八等分された元・魔獣のケーキをフォークで突き、美味しそうに頬張っている。


「……ええ、そうですね。いただきます……」


 アーサーは涙の枯れ果てた目で、己のフォークで切り分けたそのケーキの破片を口に運んだ。

 味は、確かに極上のショートケーキであった。しかし、アーサーの口の中には、ただ砂を噛んでいるような絶望の味しか広がらなかった。


(俺たちは、もう後戻りできない……。この狂気の世界で、彼女に合わせてバグった力のまま、生きていくしかないんだ……)


「美味しいですわね、アーサー様……。普通って、何だったのかしら……」


 エルリアもまた、ポロポロと涙をこぼしながら、真紅の眼球へと変異した苺を無表情で咀嚼していた。

 普通のものを食べようとした結果、普通の食べ物が魔獣と化し、それを普通ではない力で処理するという最悪の悪循環。

 王城の美しい空中庭園で、英雄たちの「人間としての常識」は完全に打ち砕かれ、彼らは帰る場所のない理不尽な日常へと、さらに深く沈み込んでいくのであった。


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