第14話 復活の魔王と究極のお買い物
王国の歴史上、かつてないほどの超極秘・最重要任務が発令された。
作戦名『厄災のショッピング・エスコート』。
事の発端は、数日前のティータイムでのことだった。
伽羅・ヴァン・ディザスターが、紅茶を優雅に傾けながら「いつも皆様に来ていただいてばかりですもの。たまには私から、王都の街へお買い物に伺いたいですわ」と、純度百パーセントの善意で言い出したのである。
その言葉を聞いた瞬間、アーサーとエルリアの思考は完全に停止した。あの理外の化け物が、一般市民が暮らす王都を歩く。もし彼女が少しでも「マナーが悪い」と感じる出来事があれば、王都のメインストリートが数秒で更地と化すことは火を見るより明らかだった。
かくして、王国は総力を挙げて王都の中心街を封鎖。一般市民には厳重な外出禁止令を敷き、すべての店舗の店員を『変装したトップギルドの精鋭たち』とすり替えるという、前代未聞の防衛作戦を断行したのである。
「まあ! 王都の街並みは、とても綺麗で静かですのね!」
純白のフリルがあしらわれた日傘を差し、伽羅は石畳の大通りを上機嫌で歩いていた。その後ろには、高級な仕立ての執事服を着せられたアーサーと、メイド服に身を包んだエルリアが、すでに大量の紙袋を抱えて付き従っている。
「え、ええ……。本日は伽羅様のために、特別に通りを貸し切らせていただきました」
アーサーは冷や汗を流しながら、引き攣った笑顔で答えた。
道の両側に並ぶ高級ブティックや宝石店の窓の奥では、店員に変装した歴戦の戦士たちが、武器の代わりにメジャーや電卓を握り締め、ガタガタと震えながら待機している。
「皆様、本当に親切な方ばかりで嬉しいですわ。さあ、次はあちらの宝石店を見てみましょう!」
伽羅が華やかなショーウィンドウに目を輝かせていた、まさにその時である。
ズゴゴゴゴゴォォォォッ! 突如として、王都の中心にある大広場の石畳が吹き飛び、底なしの地割れから漆黒の瘴気が天を衝くように噴き出した。
「な、なんだ!?」
アーサーが叫ぶ。その地割れの奥底から、王国の建国神話に語り継がれる絶対的な恐怖が、千年の封印を破って姿を現したのだ。
山羊の角に、蝙蝠の双翼。全身から圧倒的な死の魔力を放つその存在は、かつて世界を絶望の底に沈めたという伝説の存在、真の魔王であった。
「クハハハハッ! ついに、ついに我は目覚めたぞ! 忌まわしき人間どもよ、千年の恨みを今こそ晴らし、この王都を血と絶望の海に沈めて——」
「……」
アーサーとエルリアは、その圧倒的な魔王の姿を見上げながら、完全に無表情になっていた。
千年前の勇者が命と引き換えに封印した、最強の魔王。本来であれば、彼らも絶望に打ち震え、死を覚悟して剣を抜くべき場面である。
しかし。
(……なんだ、この程度の魔力圧。海神の凍てつく墓標で生態系ごと絶対零度に凍りつかされたあの理不尽に比べれば、ただの涼しい風じゃないか)
(ええ、アーサー様……。こんな威圧感よりも、今夜またあの『特製クッキー』を食べさせられるかもしれないという恐怖の方が、百倍は恐ろしいですわね)
理外の変異を遂げ、常識のタガが完全に外れきっている英雄たちの魂は、神話の魔王を前にしても一切の波立ちを見せなかった。彼らにとっての真の絶望は、目の前の魔王ではなく、斜め前で日傘を差している少女なのだから。
一方、お買い物を邪魔された伽羅は、不機嫌そうに眉をひそめていた。
「まあ。急に道路に穴を開けて、真っ黒な煙を撒き散らすなんて。ずいぶんと派手な大道芸ですけれど、少しホコリっぽいですわね」
伽羅は扇子でパタパタと顔の周りをあおぎながら、魔王を「マナーの悪い路上パフォーマー」として完全に軽蔑の眼差しで見つめた。
「なんだと……? 貴様、我が恐怖の姿を見ておきながら、大道芸などと抜かしたか!」
魔王は己の威厳を傷つけられ、激昂した。
「無知な小娘め! 千年の怒りを込めた我が極大魔法で、貴様を塵にしてくれるわ! 消し飛べ、絶望の暗黒球!」
魔王の頭上に、太陽すらも飲み込むほどの巨大な漆黒の球体が現出する。空間そのものを削り取りながら、必殺の魔法が伽羅へと放たれた。
しかし、伽羅はただの一歩も退かなかった。
「お買い物中に、お客様に向かって泥玉を投げつけるなんて……。王都のパフォーマーは、少し接客の基礎から学び直す必要がありますわね」
ため息を一つ。伽羅が扇子を優雅に一振りした瞬間、魔王が放った必殺の絶望の暗黒球は、空中でピタリと静止した。
「なっ……!?」
魔王の驚愕をよそに、巨大な暗黒球はみるみるうちに小さく圧縮されていく。極大の魔力が、人間の少女の手のひらの上にある、見えない力場によって、限界を超えて凝縮されていくのだ。
「馬鹿な……っ! 我が、千年の魔力が……っ!」
「とても純度の高いエネルギーですわね。せっかくですから、お会計の足しに使わせていただきますわ」
伽羅が扇子をパチンと閉じると同時に、魔王の身体そのものに、逃げ場のない超高位の重力魔法が襲い掛かった。
「ぎっ!? が、あぁぁぁぁぁぁっ!?」
千年の時を経て復活した真の魔王の肉体が、自らの放った暗黒球の魔力ごと、四方八方から容赦なく圧縮されていく。
骨が砕け、肉が潰れ、巨大な双翼が折り畳まれる。神の理すらも凌駕する理不尽な力の前に、魔王は抗うことすら許されなかった。
「や、やめ……我は、魔王ぞ……っ! こんな、小娘の買い物代わりになど……ぎゃあああああああっ!」
断末魔の悲鳴と共に、世界を滅ぼすはずだった魔王の巨体は、一瞬にして親指ほどの大きさの、漆黒に輝く美しい宝石へと変貌を遂げた。
超極大圧縮魔法、炭素還元・黒曜の雫。カラン、と乾いた音を立てて石畳に落ちたその宝石を、伽羅は優雅に拾い上げた。
「まあ、なんて綺麗な黒真珠かしら。これなら、あちらのブティックのドレスを全部買い占めても、お釣りが来ますわね!」
伽羅は満面の笑みで、魔王だったもの(宝石)をアーサーに手渡した。
「……は、はい。とても……美しい宝石、ですね」
アーサーは、かつて世界を恐怖に陥れた伝説の魔王が、一瞬にして「高額紙幣代わりの石ころ」に変換された事実を前に、ただ虚ろな声で返事をするしかなかった。
神の加護を持たない魔王は、神殿で復活することすら許されない。完全消滅の果てに宝石にされた魔王のあまりにも呆気ない最期。その光景を見ていた、店員に変装している精鋭たちの心にも、一つの絶対的な真理が深く刻み込まれた。
(……俺たちは、まだ生きて神殿に帰れるだけ、最高に恵まれた待遇を受けているんだ……)
世界最悪の厄災の常連客であるという、狂気に満ちた優越感と深い絶望。
「さあ皆様! お買い物を続けましょう! 今日はお財布が潤沢ですから、エルリアちゃんにも素敵なドレスを買って差し上げますわ!」
「あ、ありがとうございます、伽羅様……」
魔王の復活と完全消滅という、歴史がひっくり返るような大事件をただの「資金調達」として消化し、理外の英雄たちは荷物持ちとしての任務に戻る。
王都の平和は、彼らの削り取られる精神と引き換えに、今日も完璧に護り抜かれるのであった。




