7. 月下の闇路と這い寄る悪意
夜が深まっていく中、薬草のある森は寝静まることを知らない。山に近い森ということもあって、さまざまな生物が跋扈しており、悪魔の叫びのような声がひっきりなしに響き渡っている。
「っ……【ライト】じゃ遠くまで照らせない」
この世界には魔法がある。ただし、人やほかの生物を直接傷付けるような魔法は失われていた。残っているものは生活魔法と呼ばれる殺傷力のほぼない少し便利な魔法程度である。
かつての魔法文明が一度絶滅したため、女神が人類を復活させる際に大きな制限を掛けたとされているが、もちろん信憑性は童話の域を出ない怪しいものだった。
そのニナの光源魔法【ライト】によって、彼女の手元や足元は明るく照らされるようになった。しかし、その反面、彼女自身の目が暗闇に慣れる機会を失い、遠くは暗幕のように閉ざされていた。
「…………」
「…………」
しばらく、頼りない光を頼るニナと少し離れて見守るガルズの無言の徘徊が続く。
風で枝葉が揺れるたびに、鳥や獣の鳴き声が響くたびに、ニナはそちらの方へ伸長前の棒きれを向けて警戒する。
その傍目に少し滑稽な様子になっている彼女を、ガルズは一切笑うことなく静かに見守っていた。
「グル……」
2人の近くで唸り声がした。
ガルズが歩みを止めて茂みに隠れると、彼の足音がしなくなったことに気付いてニナがすぐに立ち止まる。
だが、隠れなかった彼女と行く手を塞ぐように現れた獣の目が合ってしまった。
「嘘っ……狼が……でも一匹? はぐれ?」
口から涎を垂らしてニナを見据える飢えた狼は、一呼吸を置く間もなく、彼女の方へと猛スピードで迫っていく。
「ガアゥッ」
「きゃあっ! ま、負けないんだからっ!」
ニナは襲い掛かってくる牙と爪に悲鳴を上げながらもギリギリのところですり抜けて躱す。
次の瞬間、すぐさま棒を伸長し、腰を低く落とした彼女が狼の横っ面を目掛けて振り抜いた。
「ギャウッ!」
クリティカルヒット。
当たった衝撃で木の幹に叩きつけられ、思わぬ反撃を受けた狼は、次の獲物とばかりに茂みから出ていたガルズの方へと襲い掛かる。
「ガルズ!」
「ギャンッ!」
ニナの叫びと狼の痛みに耐えかねた苦痛の呻きが同時に重なり合う。
狼はすぐさま危険と判断して、茂みの中へ隠れて気配を闇に紛れさせた。
「俺のことはいい。自分のことに集中しろ」
ガルズはそう短く言い放ち、ニナの緊張を途切れさせないようにした。
「う、うん……やっぱり強いんだ、ガルズ」
ニナはコクコクと頷いた後、彼が【ライト】を使っていないことに気付いて、自身の【ライト】も消してみる。
すると、月光が明るく周りをぼんやりと照らしていることに気付き、自分が今まで獣たちに自分の居場所を教えていたと理解することとなった。
「まるで目や耳が動物になった気分……」
微かな光を頼りにしばらく2人が歩いていると、森に不似合いな金属がガシャガシャと鳴る音が2人の耳に入ってくる。
「なんか音が……あれは?」
ニナが警戒をしつつも茂みの中から音の原因を確認すると、金属製の罠に何かが掛かっていた。
「運が良かったな、熊が罠にかかっている。もしばったり遭遇していたら、間違いなくニナの試練は終わっていたな」
「ほっ……私、運は良い方だから」
過去に類を見ないであろう不幸に見舞われているニナが呟く運の良さに、ガルズは皮肉かブラックジョークかとばかりに笑いそうになる。
ニナは彼のそんな反応を露知らず、再び薬草を求めて歩き出す。
そこからは拍子抜けするほど何もなかった。少なくとも命を危険に晒すようなことは一切起きず、目的地の薬草が群生する場所まで辿り着く。
「ここは……あ、あれは薬草! 感染する病気かもしれないから、ちょっと多めに採っておこ!」
月光に照らされた薬草は、ニナにとって金銀財宝にも見えただろう。
彼女はホッと胸を撫で下ろしつつ、無邪気に薬草を摘み始める。
ガルズが「最後まで気を抜くな」と彼女に声掛けしようとしたとき、背後からの気配に数歩ほど跳び退った。
「おー、無事か?」
「誰!?」
「俺だよ」
まるで追いかけて来たかのように2人が歩いてきた獣道から現れたのは、革の籠手や脛当てに胸当て、腰鎧まで着込んだエペルだった。
ニナはへらへらと笑っている彼に嫌悪感を隠さずに、眉間に一生の跡が残りそうなほどシワを寄せる。
「エペル!? なんでここに!」
「お前が心配で追いかけて来たんだぜ? 生娘が夜の森に、会って数日もしない男と2人で出かけるもんじゃねぇだろ」
ニナが「生娘」という言葉を聞いた瞬間に、思わず身震いする。彼女は採った薬草をポーチに入れた後、すぐさま棒を手に取って構えた。
「あんたには関係ないでしょ!」
「ひでぇな、そう邪険にするなよ」
エペルは薄笑いを浮かべたまま、ニナにどうにか近付こうとにじり寄ろうとする。
当然、彼女はそれに合わせるように一定の距離を取っていた。
「あんたはもう関係ないのよ! 私はこれからガルズと旅に出るんだから!」
ニナの言葉にエペルの表情が突如変わった。
「何?」
エペルはまるで玩具を取られたような憤りを表情に湛えており、言葉もいつになく低くして、不機嫌さを露わにしている。
「試練で、薬草を採って帰ることを条件に、私はガルズの旅についていくのよ!」
ニナの言葉に、ガルズとエペルが反応する。
「ほぅ……なあ、旅人」
「なんだ?」
下卑た笑みを浮かべるエペルは、会話の相手をニナからガルズへと変えていった。
「俺の理解が正しければ、ニナはまだ試練の途中だと思うが、俺が今、ここでニナを無理やり犯すとしたら……お前はどうする?」
ガルズが一瞬苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「……命の危険がない限り、俺は一切助けない」
「嘘!? どうして?」
ニナは、ガルズの宣言にまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けて震える。
「ニナ、勘違いするな。今回、俺が守るのはお前の『命』であって、『純潔』じゃない。こんな下衆は外の世界にゴロゴロといるんだ。一人で戦えないようじゃ、どのみち外の世界では『純潔』も『命』も『意志』でさえも奪われる」
冷たく痛烈なガルズの物言いに、ニナもカッとなる。
「でも、こんなの予定にない! 予定になかった!」
「旅には不測の事態がつきものだ。ニナ、女として一生をこの村で終えるか、それとも泥に塗れても自力で立って俺の相棒として来るか。掴むのはお前だ」
ニナが怒気を含んだ言葉を放っても、ガルズはそれを真正面から受け止めようとしない。
「そんなことって……」
狼狽するニナに気持ち良くなったのか、エペルは口を徐々に大きく開けて笑い始める。
「くはは、そういうことだ、ニナ。俺は昔からお前のことが欲しかった。その小柄な身体、細い手足、コロコロと表情の変わる顔……全部、全部だ」
「やっぱり私をモノ扱いするのね」
決して「好き」や「愛している」の言葉を嘘でも使わないエペルに、ニナは貞操だけでなく自分の尊厳の危機さえも覚える。
「ニナ、過去のない空っぽなところが何よりも最高だ! 俺がお前の最初だ。お前のその小さい腹に俺の種を流し込んで身重にしてやるよ。そう、俺の色に染まったお前は……一生俺のモノだ」
会話もしようとしないエペルの明らかな侮辱に、ニナは全身に力がこもった。
「……ふざけないで。誰が……あんたなんかに……。絶対に、絶対に、あんたのモノになんてならない!」
ニナは震える自分を奮い立たせて、迫ってくるエペルを叩きのめす決心をした。




