3. 訪れる祝福と招かれざる静寂
明朝。小鳥が屋根上でさえずる中、ガルズはふかふかのベッドを名残惜しそうな目で何度も目配せしつつ、簡単な身支度を済ませていった。彼の腰回りにはナイフと拳銃が隠されていく。
「そろそろ出るか。朝飯を食べる時間はなさそうだ」
ガルズが銀色の懐中時計を手に取り時間を確認すると、示された時間は昼食も視野に入る時間だった。
彼が1階へと急ぐこともなく降りて食堂へとそのまま入っていくと、ニナは何かしらの荷物を持って右へ左へと大忙しだった。
そんなニナがガルズを見つけて、呆れ混じりの笑みを浮かべている。
「ガルズ、おはよう! 思ったよりお寝坊さんね」
そのニナの言い草に、ガルズはフッと笑って肩を竦ませる。
「おはよう、ニナ。俺は寝坊したわけじゃない。ベッドの中は居心地が良かった、それだけだ」
「……それを寝坊って言うのよ」
「それは心外だな」
ニナは、寝坊と認めない様子のガルズに、呆れを増した顔を見せてしまう。
「まったく……あっ、もうこんな時間? 今日はお願いね! じゃあ、私、先に行くから! パパと一緒に来てよね!」
ニナは壁掛けの時計を見てハッとした後に、荷物と着ていたエプロンを近くのテーブルにほっぽり出して、勢いよく外へと飛び出していった。
慌ただしかった雰囲気が一瞬で静まり返る。
「ははっ、朝から元気だな」
ガルズは、誰もいない食堂のフロアで半開きになっている外への扉を眺め、その後に目を細めてから口の端を小さく上に動かして微笑む。
「随分とニナが懐いているみたいだな」
しかし、ガルズの微笑みも、背中側から聞こえてくる野太い声のせいで一変した。
「っ!? ゼムか、驚かすなよ」
目を真ん丸にしてビクッと身体を震わせたガルズは、思わず回避行動的に前へと数歩ステップを踏んで振り返る。
ゼムは腕を組んで、眉間にシワを寄せた訝しげな表情でガルズをじっと見やっていた。
「ニナはやらんぞ?」
ゼムの突然のセリフをガルズはひとかけらも想像していなかったようで、彼が小難しい顔で溜め息を大きめに1つだけ吐いた。
「冗談でもやめてくれ。旅は止めないし、それに身軽な方がいいからな」
知っているだろうとばかりにガルズがそうゼムに言い切ると、ゼムは何かを思い出したかのように自ずと同意の頷きをしていた。
「……そうだったな。まだ探しているのか?」
少しの沈黙。
それを破ったのはガルズだ。
「この話はおしまいだ。これからレディになるお前の娘からの招待に、遅れないように行かないとな」
「そうだな……ニナは誰なんだろうな」
「さてな。終われば分かることだ」
ゼムの不安を振り払うように、ガルズがひらひらと手を動かして、突き放すような言い回しをすると、ゼムは目を静かに閉じて、首を大きくゆっくりと縦に振っている。
その後、ガルズはゼムの案内の下、成人の儀が執り行われる場所へと足を運んだ。
「もうこんなに人が」
「この日ばかりはだいたい見に来るからな」
「まあ、気になるからだろうな」
そこは村の大通りに面している広場で、ざっと200名に到達するかと思われるほどの村人たちでごった返していた。
村人たちが口々にいろいろな雑談をしているが、皆の視線だけはある1点へと集中している。
「はははっ、ニナがあんなに緊張するなんてな」
「自分の娘をなんだと思っているんだ?」
そこにはガルズとゼムのお目当てであるニナの姿もあった。演説用の台に立たされている彼女は、まるで借りてきた猫のように大人しく、両手でスカートを握って俯き加減でその時が来ることを待っているようだ。
しばらくして、口元に白髭をたっぷり蓄えていて見るからに長老然とした老人が、バッと両手を大きく広げて村人たちを静まらせる。
「さて、では、成人の儀を執り行う。今日はなんと、我が孫であるエペルと、ゼムの娘であるニナの2人だ」
村長の紹介でエペルとニナが前に進み出る。
「あれが村長の孫か」
ガルズがエペルを見ると、彼は背が高くて身体もがっしりとしており、とても成人の儀をこれから行われるような未成熟な風貌ではなかった。
「生まれた時間から順番で……まずはエペルからだ」
「おう!」
エペルは自信たっぷりの様子で不安そうなニナにウィンクをしてから、さらに数歩前の演説台の端の方まで進み出る。
ニナは、彼のウィンクに嫌そうな顔を隠さなかった。
「あぁ……俺の知っているやつだといいな」
「まあ、仲のいい奴ならな」
ガルズの耳にそんなひそひそ声が聞こえてくる。
当の本人であるエペルやニナ、進行を務める村長だけが緊張しているわけではない。誰もがこの儀式の行く末に緊張していた。
衆人環視の下、やがて、エペルの全身が「女神の光」とも呼ばれる淡い白い光に包まれていく。
「おおっ!」
エペルの顔つきが変わっていく。淡い光に連れられてきて、記憶が過去の経験や知識も伴ってエペルの中を塗り足し満たしていく。
エペルがエペルだけでなくなった瞬間に、その彼の目と合った瞬間に、ガルズも含む多くの人間の身体がビクンと跳ねる。
「だ、誰だ? 跳ねたってことは、お前、知っているのか?」
「なんだ、知らねえのか? こいつはすげえぞ!」
「…………」
身体が跳ねずに周りに訊ねる者、歓喜する者、難しい表情をする者、さまざまいる中で村長も難しそうな表情を見せていた。
「あれは……イーエムか……たしか……なるほどな」
ガルズの旧知でもあったようで、彼は周りを見渡してその反応に納得した様子だった。
当のエペルは急に両手を広げて口を開き始める。
「知っている人もいると思うが、俺は小さな島国を統治していたこともある。俺はこの村を発展させてみせる!」
エペルの高らかな宣言に、多くの村人たちがワッと沸いた。
しかし、一部の村人が身を隠すように身体を縮こまらせたことをガルズは見逃さない。
「まさか、イーエムさまとは」
村長がエペルに向かって畏まって言うと、エペルが首を横に振った。
「ニスタ……いや、爺ちゃん、前世での繋がりよりも今世での繋がりが大事だろ? 変わらずにエペルとしてよろしく頼むよ」
「……そうだな。次はニナだ」
エペルの自信は変わらず、村長相手に生意気な孫が口にするような言葉を放つ。
村長は特段気にした様子もなく、次の出番だとニナを促す。
「はい!」
緊張でカチコチに固まって関節の動かないニナの動きは、まるでブリキ人形のようだ。
ところどころから笑い声が漏れ聞こえてくる。
それが彼女の恥ずかしさを倍増させて、彼女をより固くする。
「いよいよか」
「だな」
ゼムが落ち着かない様子で拳をぎゅっと握っている隣で、ガルズは冷静にニナのことをまっすぐに見据えている。
やがて、ニナの身体にも変化が起きてきた。
淡い白い光が彼女を包んでいく。
「ふあっ……」
しかし、しばらくするとエペルのときに白いままだった光が、ニナのときには赤い色へと変化していき、まるで光が質量を持ったようにドロッとした感じで彼女に纏わりつく。
「光が……赤い?」
ガルズは思わずそう呟いた。
まるでニナが血に塗れたような状態になり、この異常事態に見守っていた誰もが不安や心配と併せて息をゴクリと呑みこんだ。
やがて、血のような光がすっと消えると、ニナは目をぱちくりとさせて周りを見る。
誰も、何一つとして反応を返さなかった。
「……え? 私、何か変わった?」
ニナの不安そうな声が虚しく響く。
「…………」
「…………」
村人たちは反応できず、この状況に言葉も出ないほどの焦りを覚えている。
「…………」
ゼムもまた周りを見渡しながら、見る見るうちに青ざめた表情へと変わっていく。
「……誰一人、反応しない? そして、俺も……まったく……知らない……」
ガルズは震えた。その震えがどのようなものか、彼自身もまだ理解できていなかった。
「……えっ?」
ニナはどうなっているのか、まったく理解できず、周りを何度も見渡すだけだった。




