2. 儀式を迎える少女と考える青年
ゼムはニナが現れることを分かっていたかのように、2人の間に立って手をそれぞれの方へと向ける。
「ガルズ、紹介するよ。娘のニナだ。ニナ、俺の昔の恩人のガルズだ」
「いらっしゃいませ! はじめまして! ニナです!」
ゼムから「ニナ」と紹介された少女は、身に着けているエプロンを軽くはたいた後、スカートの端を持って恭しい挨拶とともに、ニコッと綺麗な笑みをガルズへと向ける。
ニナの艶やかな髪は赤みががっている茶色で、背中を覆うほどに長い。さらに、色白の肌に整った顔、少しつり目がちな目の中にある丸く大きな琥珀色の瞳が彼女の容姿と女性らしさを引き立たせていた。
「おっと、さすがに初めてのお客さんには猫かぶりか、それとも、ガルズに惚れたか?」
ゼムはニナの仕草や言葉をからかうように、半分ほど口を開いてニヤリとしながら軽口を叩く。
「ちょっ、パパ!? 違うから!」
ニナはゼムを思いきり睨みつけて大きな声を出す。
「えっと、はじめまして、ニナ」
ゼムとニナが他愛もない親子の会話を繰り広げている中、ガルズは戸惑いつつも挨拶を返していた。慎重に話しかける彼からは、レッジやゼムと会ったときのような表情が出ていない。
「ニナ、こっちはガルズだ。あぁ、そうか、ニナはまだ成人じゃないんだ」
ゼムの「ニナはまだ成人じゃない」という言葉に、ガルズは息の仕方を思い出したかのようで、深呼吸のような大きな溜め息を1度吐いた。
「……そうだよな。久々に本当の『はじめまして』だと思ったよ」
ガルズが緊張を解いた雰囲気を察して、ニナはずずいとガルズの方へと寄っていく。
「ガルズさん、ここにいるってことは泊まりでしょ? だったら、ご飯も食べていくんでしょ?」
「はっはっは! 早くも言葉が崩れたな、ニナ」
よほど先ほどまでのニナの対応がおかしかったのか、彼女のフランクな物言いに、ゼムが大笑いをした。
「もう! いいじゃない!」
「ガルズでいいよ。俺もニナって呼ぶから」
頬を膨らませて口も尖らせているニナがゼムからそっぽを向くように首を回していると、ガルズは微笑みを浮かべながら彼女のフランクさを歓迎した。
「分かったわ。ねえ、ガルズ、後で旅の話を聞かせてほしいの」
「え? それはかまわないが」
ニナから不意に頼まれた旅の話に、ガルズは特に考える様子もなく二つ返事で了承した。
「やった、絶対よ?」
ガルズの返事を聞いた途端、ニナはご機嫌な様子でガルズとゼムから離れるように軽く飛び跳ね始めた。
ゼムが申し訳なさそうにガルズを見る。
「すまないな。成人前特有の『外への憧れ』ってやつさ。まあ、蘇る記憶によっては外に行くことにもなるだろうがな。一体誰なのやら」
言いたいことを言いきった後、ゼムは視線をガルズから飛び跳ねているニナへと移していた。
ガルズは何かに気付いた様子で、ゼムと並び立つように少しだけ動いて小さく口を開く。
「……ゼム、奥さんは?」
「相変わらず察しはいいな。もう亡くなったよ、ニナが小さい頃にな」
「……手放したくないって顔に書いてあるぞ」
ガルズの言葉に、ゼムは目を瞑って口の端を少し上げた。
「そりゃそうさ。親のひいき目を外してもかわいいし、元気で器量も良い自慢の娘だからな」
「そうだろうな」
「まあ、口が若干悪いのと、同世代で身長も胸もそんなでもないのが玉にキ——」
瞬間。
ガルズの隣にいたはずのゼムは、大きな音を立てながら転げ回って壁に激突し、半分ほど意識を持っていかれて起き上がることに苦労している。
「……たしかに元気なようだ」
一瞬だが、ガルズはニナがゼムにドロップキックを繰り出しているところを捉えていた。
「さ、ガルズ、いこ? パパ? いつまでも寝てないで早くしてね?」
ニナの無慈悲な物言いを咎める者はなく、ガルズはゼムを起こす間も与えられずに、ニナに連れられて、食堂側へと向かって行った。
食堂もまた宿屋と変わりなく年季の入った壁、床、天井に加えて、多少ガタツキのあるテーブルや椅子がずらりと何卓も並べられている。
さらに、開店前ではあるものの、ニナが仕込みや調理を始めていたようで、ガルズの鼻をくすぐる匂いがいくつも漂っていた。
「腹の減る良い匂いだ」
「ありがと。ここでいい?」
「あぁ、どこでもかまわない」
ガルズはニナに案内されるままに小さなテーブルの2人席に座って、やがてやってきたゼムとニナのやり取りを眺めていた。
その後、開店と同時にずらずらずらと客が入ってくる。
まるであらかじめ決められているように一目散に各々が座り、中にはニナが何も聞かずに飲み物や簡単な料理を置いていくテーブルさえもあった。
「なるほど。常連の席が決まっているのか。ニナに案内されなきゃ、おいそれと座れないな」
こうして、ガルズは誰よりも早く来て時折運ばれてくる料理をいくつもつつきつつ、周りの声に耳を傾けたり、昔の知人を思い出して声を掛けたり、初めて見る顔と昔の懐かしい話をしたりしながら、自分以外の最後の客が出ていくまでじっくりと楽しいひと時を過ごした。
「ふぅ、終わった」
ニナが一息つきながら、ガルズの前の空いている席にちょこんと座った。
ゼムはまだ仕事が残っているのか、厨房の方で音を立てて動き回っている。
「お疲れ様。さっき小耳にはさんだが、明日が『成人の儀』なのか?」
一口も酒を口にしなかったガルズは、至って冷静にニナへ訊ねた。
疲れた様子のままのニナは、もちろんとばかりに首を縦に振っている。
「そうよ。私ともう一人、いけ好かない村長の孫がね。そいつ、めんどくさいのよ」
ニナの口ぶりから、ガルズには村長の孫が頻繁に彼女へちょっかいをかけてきていることを容易に読み取れていた。
「ははっ、変な前情報を入れてくれるな。そいつが俺の昔の友人だったらどうするんだ」
ガルズは村長の孫の行為が、ニナへの好きな裏返しであろうことにくすりと笑う。
「……ねえ、なんで人間は、最初から記憶がないのかしら?」
ふと、ニナが急に改まった質問をして、ガルズも思わず顔を引き締めた。
「さあな、女神さまの考えることは分からないな。ただ」
「ただ?」
ガルズが焦点の定まらない表情でぼーっと1点を見つめ、過去の記憶をゆっくりと紐解いていった。
彼の中で女神に関する様々な会話の記憶が蘇っていく。
「誰が言ったかさえ覚えていないが、昔聞いたのは、『人間が変わらなくなることを防ぐため』だったかな」
ガルズの落ち着きを払った声と言葉は、ニナの顔を曇らせるのに十分だった。
「変わらなくなる? どういうこと?」
「もし生まれてすぐに記憶があるとしたら、輪廻転生を繰り返せば繰り返すほど性格が変わらなくなるだろう? たとえば、頑固者が頑固者のままでな」
「成人するまでに記憶がない状態で生きて、性格を少しでも変えようってこと?」
「あくまで聞いた話さ。俺はあまり信じていないけどな」
ガルズは推測の域を出ない話と言外に伝えつつ、後味の残る言い方で締める。
「そうなのね。ねえ、ガルズ」
「ん?」
ニナは納得したようなしていないようななんとも言えない表情をするが、ひとまず飲み込んだ様子で、ガルズの方を潤んだ瞳で見つめ始める。
「話変わるけど、明日の成人の儀にガルズも立ち会ってよ」
「え? まあ、公衆の面前で行われる成人の儀なら、俺でも大丈夫だろうけど」
ガルズが渋々いう感じでいたため、ニナがもう一押しとばかりに自分の胸の前で両手を合わせて懇願するポーズを取る。
「お願い。パパから聞いたの。ガルズはいろいろな人と繋がっているって。少しでも昔の私を知っている人がいるといいから。近所のマムさんなんて『人があれだけいて、昔を知っている人が10人しかいないから怖かった』って言っていたもの」
記憶が魂に刻まれ続ける世界。
その仕組みの弊害は、今世における前世までの知人の多寡が今世での安心感に繋がることだった。
ガルズは自分への期待に少しの重たさを感じつつ、一生懸命に手を合わせているニナを見つめ返して、首を縦にゆっくりと振る。
「そうか。分かったよ」
「やった、絶対よ?」
ニナは嬉しくなると辺りを飛び跳ねるクセがあるようで、今も鼻歌交じりでスキップしていた。
「変な約束をしてしまったな。まあ、何もかも明日になれば分かるか。ゼムの知り合いでもあるといいが」
ガルズはそう独り言ちてから、ニナとは異なった形で、明日の成人の儀に思いを馳せるのであった。




