1. 旅する青年と見知らぬ顔の友人
背の低い草原の緑、曇りのない空の青、そこに舗装もままなっていない道の土色、それらがコントラストとなって目に飛び込むような自然の景色。
そこに似つかわしくないエンジン音を単調なリズムで刻む金属パイプがむき出しの武骨な容姿をしたバイク。
そのバイクに乗っているのは、1人の青年だ。
青年は旅人の装いと言わんばかりに、えんじ色のシャツになめし革でできた風合いの良いジャケットやパンツに耳当て付きの帽子を身に着けて、頑丈そうなブーツや手袋のほか顔の半分を覆うゴーグルが印象的だ。
「この道も知っているな……あの山のふもとの森近くに村があるな」
青年は、巻き上がる土ぼこりを気にした様子もなく、そう独り言ちる。
それはまるで、知らないはずのものを知っているかのような不思議な言い回しだった。
しばらく彼がバイクに乗り続けていると、彼の言った通り、草原の果てになる山の裾野のあたりで古ぼけた看板と獣対策になっている木製の柵がひっそりと出迎えてくれる。
「前に来たのはいつだったか」
青年は木製の門が見えると、ゆっくりと減速してからバイクのエンジンを切って、バイクを静かに転がしながら近づいていく。
門の前には暇そうにしている綿や麻の服を着ているいかにも村人風な門番がおり、欠伸を噛み殺してから来訪者である青年を見る。
青年がゴーグルを上にあげて、彼のキリっとした流し目の中にある黒い瞳と門番のぼんやりとした目が合った瞬間、2人とも目を見開いてから何かを知ったように頷いた。
「……マジか。よお、久々だな、カノン」
「それはいくつ前だったか、懐かしい名前だな。今の俺はガルズだ、サラ……それとも、リサおばさんがいいか?」
青年は門番から親しげに「カノン」と呼ばれた後、バイクのサイドスタンドを下ろしつつ小さな笑みを浮かべて「ガルズ」と名乗った。さらに彼は、見るからに平凡な男に向かって「サラ」や「リサ」といった女性名を口にする。
しかしながら、村人はその2つの名前に対して身に覚えがあるようで、否定もせずにただただ苦笑した。
「相変わらずだな。今の俺が女に見えるか? 改めて、はじめまして、ガルズ。今の俺の名前はレッジだ」
「そうか。はじめまして、レッジ」
ガルズは手袋を外してから、レッジとお互いに左手を出して固い握手を交わす。
「今でも知らないもの探しの旅を続けているのか?」
「もちろん。じゃなければ、ここにも来ない」
呆れ混じりの問いにガルズがおどけるために肩を竦ませてそう言いきると、レッジは目を閉じ気味にして口の端を少しばかり上げていた。
「ははは、間違いないな……っと、もう日も沈む頃合いだし、この村に泊まっていくんだろう?」
レッジはガルズの回答を待たずして、門を開けようと動き始める。
ガルズもまた、質問に答えるよりも先に、バイクのスタンドを上げてレッジの方へと近付いた。
「そのつもりだ。この相棒は頼りになるが、1日も乗ればクタクタだ」
ガルズがバイクを相棒と呼びながらも座席のシートを数回叩く。
パンパンパンという固いシートであることを主張する音が2人の耳に届いた。
「そりゃ大変だが、ちょうどいい。宿屋はゼムが……えっと、お前がカノンだったら、あのときはギルバか、お前の親友が営んでいるさ」
レッジが出した名前で、ガルズが瞼を大きく開いた。
「……鍛冶屋のギルバか? まさか宿屋の主人になるとはな……だったら、空きがなくても1人くらいねじ込んでくれそうだ」
「ぷっ……ねじ込むも何も、そろそろ宿屋に泊まりに来る閑古鳥の代わりに、泊まりに来たって言ってやれば喜んで一番良い部屋を案内するさ」
ガルズの一抹の不安をレッジが笑って一蹴する。
ガルズは過去の記憶を引っ張り出して、不思議そうにしていた。
「そうなのか? サラなら知らないだろうが、ここは昔だと行き来の要だったんだがな」
「まあ、そうだったらしいな。ただ、ガルズなら知らないだろうが、時代が変わって隣国との交易品や交通手段も変わった。結果、今ある宿屋はゼムのとこだけさ」
レッジが意趣返しとばかりに、ガルズが引っ張り出してきた過去の記憶を上書きするように、今の村の状況を皮肉交じりに伝えてきた。
時代が変わったと言われて、ガルズは言い返すこともせずに冷静に数度頷く。
「それは初めて知ったな。ありがとう、またな」
「じゃあ、またな」
ガルズは見送ってくれているレッジの方を振り返らずに、ただ数度だけハンドルを握る手の指を数本動かして返事をした。
ガルズが周りを見渡すと、彼はその風景に強い既視感を覚える。
古めかしい木造の家々、窓からこぼれ出てくる灯り、村の外より多少舗装された土色の通り。人々の顔触れが違い、人々の服装も多少違えど、この素朴な風景はガルズの記憶の中の風景とそう変わることもなかった。
レッジの言う通り、宿屋が激減していることを除いて。
「しまった。こまかい場所を聞いておけばよかった。暗くなる前に見つけないと大変だな」
かつて宿場として機能していた村は、誰が適当に探してもすぐに宿屋が見つかるため探す必要などなかった。しかし、宿屋が1軒しかないとなれば話も大きく違う。
ガルズはバイクにまたがってゴーグルを目元まで下ろした後、右足のキックペダルにゆっくりと体重を乗せて、あるところで一気に踏み抜いた。
彼の全身に響くような爆発音が、眠っていた鉄の塊に命を吹き込む。吐き出された白煙が彼のブーツを包みこみ、スロットルを回すたびにエンジンの野太い鼓動が周囲の空気を震わせていた。
それからガルズは、安全運転とばかりにゆっくりと走らせて、宿屋の目印になっているであろう看板を見落とさないように注意深く探す。
やがて、通りに面した1軒に目を付けて、徐々にバイクのスロットルを戻していく。
ベッドの形をしたマークを見て、ガルズはバイクを止めた後、宿屋の扉を開けた。
「いらっしゃい」
木と土壁が目立つ年季の入った屋内、奥にあるカウンターから聞こえてきたのは中年の野太い声だった。
声の主は小太りで優しそうな顔つきに整えた口ひげが印象的な中年男性だった。
「元気か? ギルバ」
ガルズはギルバと昔の名前を呼びながら、レッジがゼムと呼んでいた男と目を合わせる。
すると、ガルズとレッジがそうだったように目を見開いてから、ゼムが驚きと喜びの表情を露わにしながら口も大きく開く。
「お……おぉ! カノン!」
「今の俺はガルズだ」
「そうか、そうか。いや、こんなところで会えるとはな……今世だとだいぶ歳は離れてしまったようで俺はすっかり中年だが……おっと、自己紹介がまだだったな。改めて、俺はゼムだ。よろしくな、ガルズ」
ゼムは顔を綻ばせながら、カウンターから出てきて、ガルズに握手を求めた。
2人はがっしりとした握手とともにお互いの顔を見て、見知らぬ顔の見知った相手に安堵をしていた。
「よろしくな、ゼム。ところで、ここは宿屋だとレッジに聞いた。そこで1泊で部屋を借りたいんだが、悪いが手持ちが少なくてな。1番安いところで頼む」
ガルズがそう言うと、ゼムはすぐさま首を横に大きく振って眉間にシワを寄せる。
「バカを言うなよ、恩人に金なんかもらわねえ。とびきりの良い部屋を自分の部屋だと思って、好きに使ってくれ」
ガルズはありがたいはずの申し出に少し引っ掛かってしまったようで、苦笑いを浮かべている。
「恩って……今世以外の恩でせびるつもりはないけどな。それに閑古鳥が常連だと聞いたが?」
ゼムは目を真ん丸にしてから、難しい顔をして右手で自分の頭をポンポンポンと叩く。
地肌を直接叩く良い音がした。
「レッジの野郎、よけいなことを……。気にするな、俺の主な収入はこれから始まる食堂だからな。宿屋はもうそのオマケみたいなもんさ! はっはっは!」
ゼムは、ガルズの後ろめたさを吹き飛ばすように豪快に笑った。
ここまで言われて、ガルズに食い下がる理由があるわけもなく、彼はゼムの申し出を受ける。
「そうか、ありがとう。じゃあ、夕飯を豪勢にすれば良さそうだ」
「それはこちらこそありがたいな! 今日は良い肉が入っているからぜひ食べてくれ!」
「それは楽しみだ」
ガルズが豪勢な夕食に笑みを隠しきれずに小さく口の端を上げると、奥の方から軽い足音が聞こえてきて、2人がいる近くの扉がバンッと勢いよく開けられた。
「パパ? ねえ、サボってないで食堂の方の準備を……あれ? お客さん?」
奥の扉から勢いよく出てきたのは、ゼムをパパと呼ぶ少女だった。




