59「レナぺ」★ダミアン・ヘイダル
幻覚だ。
「あはは! これはすげー! この熱はなんです? まさか精霊を呼び出せるのです?」
我に返った時、後ろから声がかけられる。
この場はすでに草原ではなく、白人の残した灰色のレンガの要塞の上。
だがそこに立っている少年は幻覚と同じ、ラコタ族の伝統的な衣装で鹿革のマントを羽織っている。
現実と非日常が混じって、どこまでが幻覚なのかわからなくなりそうだ。
「キラー・ホエールはキラー・ホエールといいます! 深海教団の教祖をしています。そして、てめーに会いたかったです! ブロードウェイの帝王、レッド・ボーン!」
「通称だけで会話するんじゃねえよ。理解し辛えだろ」
ネイティブアメリカンには誕生名ではなく、出来事や功績によって付けられる流動的な名前を名乗る文化がある。
つまりこいつの一人称は「キラー・ホエール」で、「ブロードウェイの帝王」は俺のマフィアの功績を示すあだ名で、「レッド・ボーン」は俺に勝手につけられた”功績による名”なんだろう……わかりづらい。
「で、今のは何だ。何のつもりだ?」
「ご挨拶ですよ。レッド・ボーンに牙がまだついてるか確かめてーくて」
「……同族じゃねえが、ネイティブ同士のよしみで見逃してやる。次やったら殺す」
「怒る相手はキラー・ホエールじゃねーでしょう」
まただ。
こいつの声が妙に脳に響く。
抑え込んでいる本能をこじ開けるような声が……
「白人から土地を取り返した。なのにどうして白人を殺さねー?」
それは、子供の声とは思えないほど低く響く音だった。
「奪われたものを取り返した。あとはやられたことをやり返すだけだ。なのになぜやらねー?」
「……そんなことが、できるわけねえだろ」
目の前のガキの声は低く、唸るように脳内にとどろく。
殺せ、殺せと叫んでいるかのように。
「できる。人はもう集めてる。そして我々には仲間がついている。あとはてめーが号令をかけるだけだ」
「俺はそんなこと望んでねえ……」
「我々を導け。レッド・ボーン」
「俺には関係ねえ!」
嘘をつくな野蛮人。
お前には白人を憎む理由がある。
俺はすべて奪われたのに、一人二人殺したくらいで満たされるのか?
「意味がねえ……殺したって、殺しきれない」
脳が言うことを聞かない。
俺の理性とは別に、勝手に本能が語りかけてくる。
「お願いだ、レッド・ボーン。奪われたものを奪い返すだけだ。奴らは報いを受けるだけだ。主役はもうここにいるのに」
聞いてはいけない。
聞いたら元に戻れなくなる。
「レナぺって言うのは、人間って意味だろう?」
だが、キラー・ホエールは残酷にもその言葉を続けた。
「白人を殺し、人間を救え」
それは思ってはいけない言葉だった。知ってはいけない言葉だった。
その言葉を知ってしまったら、俺はもう、戻れなくなってしまう――
「”ダミアン!”」
「――っ!?」
ぱちん、と軽く頬をはたかれて正気に返る。
その時にはもう、目の前からガキは消えていた。
「ま、さる……」
『しっかりしろ! どうした!?』
「日本語で言われても、わかんねえよ……」
まだ呆然としている俺の肩を揺さぶって、勝が俺に話しかける。
馴染みない言語はおそらく彼の母語である日本語だろう。何を言っているかはわからないが、心配をしてくれていることはわかる。
穏やかな彼は珍しく声を荒らげ、必死の形相で俺に何かを伝えてくれている。
「……大丈夫だ。なんもねえ」
「”何” ”あった”」
「なんでも、無えから……」
俺のことを心から心配してくれる奴がいる。
ほんの数年前なら考えられなかった環境に、俺は静かに息を吐いた。
震える手で勝の手を握ると、言いようのない気持ちに包まれる。
俺が欲しかったものすべてが、きっとここにある。それをくれたのは、目の前の男と、愛しい女――
(でも、あいつにはないんだろうな)
今、幸せだと胸を張って言える。
だけど、さっき見たガキにはそう思えるものが何もないのだろう。
あんなに小さいのに、あんなハンデを背負っているのに……すべては、ネイティブアメリカンの血という理由で。
【ご覧あれ! 遥かなるインディアンの大地からやって来た、“サベージ・ボーイ”!】
ああ、嫌なことを思い出す。
俺があのガキくらいだった時、俺は人間ではなかった。
【レナぺって言うのは、人間って意味だろう】
俺は、あの子を人間にしてやりたい。
あの子を救うことで、手の届かない過去の俺を救ってやりたい。
【白人を殺し、人間を救え】
でも、そのためには……
「”ダミアン”」
グダグダと悩んでいると、頬に武骨な手が添えられた。
いつの間にか流していた涙をそっと掬って、まるで父のように勝は語り掛ける。
父、か。父親なんて、ほとんど会ったこともないのに。
『お前がどんな決断をしても、俺はきっと許してしまう』
それがどういう意味の日本語なのかはわからない。
だが、止めるでもなく背を押すでもないその台詞に、俺はどうしようもなく救われてしまった。
「行こうぜ」
一筋の涙が春の風で乾くころになって、俺たちはやっとその場を離れた。
深海教団の中身を暴く気にもなれず、ただ来た道を戻る。
織歌になんて顔向けすればいいのか、もうわからなかった。
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