60「インターバル」
エンゼル神父が正式に婚約者になってから数日が過ぎた。
私と婚約をしたことで、それまでノータッチだった公演に力を貸してくれるようになった。
霊力を込めた【歌】による破邪の結界展開、それは物理的なものではなく人々の心に宿すもののため、聞き手の協力も不可欠だ。
聞き手が心から共鳴しなければただの歌。聞き手の注目・興味を引くことが私たちにとって最大の課題だった。
だが――
「Ave Maria Ave Maria Gratia plena――」
ニューヨークでの人望熱い神父の登場で、そんな状況は一変する。
エンゼル神父の、少しハスキーな声が舞台に美しく響く。
神聖な歌に合わせて、観劇に来た人々も静かに目を閉じる。
プレショーにお祈りの時間と称して行われる【歌】の儀式は大成功だった。
「皆様に神の救いがあらんことを」
歌い上げると、エンゼル神父は静かな声で聖句を唱え、儀式を終える。
ほう……と漏れた女性の声は、神聖なものへの怖れか、それとも美しいエンゼル神父への感嘆か。
音楽隊が奏でる別れの曲と共に退場してきた彼を、私達は舞台裏で迎えた。
「お疲れ様です。完璧でしたよ!」
「素晴らしい歌だった、エンゼル」
私とシュヴァリエの顔を見て、エンゼル神父の緊張の面持ちが少し和らいだ。
ドクドクと動く心臓を宥めるかのように胸に手を当てて、ふにゃりと笑う。
「ミサだと思えば何とか……でも、あれだけの人がいると緊張します」
「プロでもあそこで歌うのは難しい。いいと思うぜ」
「ダミアンさんに言っていただけると安心します」
ダミアンがエンゼル神父に軽くハグをして、父はエンゼル神父に水を差し出した。
大公演の前座を見事に勤め上げた仲間を褒めちぎりながら、穏やかな時間が流れる。
「で、これは何の意味があるんだよ? 【歌】は海魔を倒すものじゃねえのか?」
少しの間雑談をしていると、ダミアンがいじわるそうに私をつつく。
彼は自分が公演に出るのは大反対だが、公演そのものは気になるらしい。
素直じゃない態度は子供の様で、いじらしくて可愛らしさがある。
「人の心に結界を張るんだ。海魔は人を惑わせて魂を喰らい、そして肉体を喰らう。心に結界を張ることで、惑わされづらくなる」
「つまりお気持ち程度のお歌の会ってことだな」
「またあなたは、ひねくれたこと言う。【歌】の人間への効果だって絶大なんだからな。下手を打てば観客全員洗脳させることも可能なんだから」
「日本の魔術は恐ろしいねえ」
「あなたたちも使えるんだから、これからは世界の魔術になるさ」
ぢりん。
「……へえ」
にこやかに話をしていると、濁った鈴の音が聞こえてくる。
舞台袖の暗がりに、人影が立っていた。
嫌な予感がして振り返ると、そこには見知った顔がいた。
「ヨル、居たのか」
この公演の手綱を握る演出家、ヨル。
きな臭い話をしていたが、公演に関して彼に秘密を持つことは許されていない。
とはいえベインブリッジ少将にも気軽に聞かせたくない話ではあったので、見知った顔に少し安堵した。
「演出家だもの、舞台の近くにいるよ。面白いことが聞けて良かったよ。次の公演は今の【歌】のパワーアップ版ってことなのかな」
「簡単に言えばそうなるな。公演として長い時間、沢山の歌を聞かせる分【歌】よりも効果が強くなる」
「人を洗脳できる舞台。君はそのヒロインなんだね」
「……まあ、そういうことです」
ぢりん。
まただ、また濁った鈴の音が鳴る。
その音が何を意味するのかを図りかねるから、ヨルへの態度もどうすべきかわからない。
「ぎゃー!」
「”転んだ” ”エンゼル”」
ぴり、っと嫌な緊張が走ったとき、エンゼル神父のいつものドジが空気を壊してくれる。
苦笑いを浮かべながらかわいい婚約者の元へ踵を返す。
このところ、全体の空気があまりよくなかった。
ダミアンはぴりぴりしているし、公演準備が進むにつれベインブリッジ少将やヨルも探るような態度が多い。
父に相談をしたいが、なしのつぶて。
そんな中、エンゼル神父の登場は一種の清涼剤だった。
「はーい、いたいのいたいの飛んでけですよー」
「子供じゃないんですから! 大丈夫です!」
「膝を打っている。冷やしておいた方がいいだろう」
「ミシェルまで!」
彼のドジはすごい。
どれだけまじめな話をしていてもすぐにぶち壊してくれる。
そしてかわいい彼を心配して人が自然に集まってくる。
拗ねた子供の様なダミアン、寡黙なシュヴァリエ、それよりさらに寡黙な父、そして可愛らしいエンゼル神父。
そうだ、私たちはまるで家族の様だ。
これが幸せの形なのだと感じると、ひとつ大切なことをひらめいた。
「そうだ。写真を撮ろう」
この幸せを形に残そう。
永遠に私たちに刻もう。
そう思った。
★★★
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