58「時は戻って」★ダミアン・ヘイダル
時は戻って炊き出しの日の夕方。
織歌とエンゼルがじわじわと溺れ死にかけている時――
ダミアンと勝はマンハッタンの隣の島、スタテンアイランドで車を走らせていた。
「勝、ちょっと寄り道していいか」
春の爽やかな風が心地よい。
いつもはシュヴァリエに運転をさせているから、自分で運転するのなんて久しぶりだ。
仕事をさっさと終わらせたので、時間はまだ夕暮れ時。
織歌を迎えに行くまでに、寄り道をする時間はまだあるだろう。
「”よりみち”」
「この先に今は使われてない古い要塞がある。放置されてるが軍の管理下にあるはずなのに、人の出入りが――」
「”?”」
長い話になると勝は呆けた顔をする。
軍人をのして、マフィアのボディーガード代理までできる強者の癖に、こういうところは抜けてる。
だが、その鷹揚さが好ましかった。
「軍の要塞。気になるから」
「”シュヴァリエ?”」
勝にもわかるよう簡潔に説明してやると、あえてぼかしていた本音を容赦なく突き返してきた。
(……こいつ、抜けてるくせに妙なところは勘がいいんだよな)
しかし図星だ。
今までシュヴァリエの出自など気にも留めていなかったが――もちろん、ある程度の身辺調査はしているが――打ち明けられた過去には気になるものが多い。
これから向かう古い要塞「フォート・ワズワース」もそのひとつだ。
「別に、厄介ごとに巻き込まれたくねえだけだ」
一応否定をしておいて、車をフォート・ワズワースへ走らせる。
そこには海に面した複数の要塞が構えられている。
数年前にあった世界大戦では大量の兵士と兵器が運び込まれていたが、今は少しの兵が武器の管理に残っているだけ。
だが、そのうちのひとつの要塞に民間人の出入りが確認されているという情報が入ってきた。
「スパイか泥棒か、そんなもんだろうと思っていたが……。軍がカルトと繋がってるなら、何かきな臭えもんがあるかもしれねえ」
「”カルト”」
「ああ、名前は確か――」
【深海教団】
少し先に、堅牢な要塞が見える。
石造りの高い壁は灰色に風化したレンガと切石で組まれ、どっしりと地面に根を張るように建っている。
海風にさらされた大砲の台座が、今も無言のまま空と海を見据えている。
そこに至るまでの道には大きな門が構えられ、無言で来るものを威圧していた。
そしてその門の上に……【The Abyssal Cult(深海教団)】と汚くペンキで落書きされていた。
「”書いて” ”ある”」
「普通に看板掲げてるじゃねえか……」
軍とカルトの関係を公にするか?
あまりのイかれっぷりに頭が痛くなったが、よく観察すると文字の書かれたペンキの後はまだ新しい。
まるで、ここに訪れる客のために誂えたかのような……
(俺たちが来るのがばれてるな)
罠なのは間違いない。
シュヴァリエを買ってから数年たつが、その間にこんな落書きはなかったと記憶している。
それが織歌がシュヴァリエと婚約し、奴が軍に戻ってすぐに、きな臭い噂が流れてきた。
タイミングを見計らったような動きには必ず裏がある。
「”ふたり” ”あぶない”」
勝もそう思ったのだろう。
車を止めて外へ出ようとした俺の裾を掴み、引き止める。
「そうだな。今日はここまでにして織歌とシュヴァリエと合流しよう」俺はそう言うべきだったし、喉までその台詞はでかかっていた。
――♪
あの歌を聞くまでは。
「”うた?”」
――――♪♪
それはネイティブアメリカンの歌だった。
少年期の少し高い男の声。
ボキャブル(意味を持たない音節)が多用され、長く持続する音が繰り返し反復される。
俺とは違う歌い方は……北米大平原の特徴だ。
東海岸ではほぼ聞くことのないその歌に、俺は”異常なほど”に惹かれてしまった。
「”ダミアン?” ”どこ行く”」
勝が制止する声が聞こえるが、ほとんど耳に入ってこない。
頭の中に歌が入ってくる。
見たことも無いはずの、果てしない草原が目の前に広がる。
幻影だとわかっているのに、その草原を踏む足を止められない。
目の前に広大な草原が広がっている。
雪解け水を吸って成長した5月の緑の草が生い茂り、色とりどりの花も咲いている。
(……ありえない。もうそんな景色はアメリカに残っていない)
バッファローの大群が草を食む。
バッファローと共に生きる民族が、青い空と緑の大地の間にティピー(テント)を建てて暮らしている。
そのティピーの前に、ひとりの少年がいた。
「……お前が、歌ってたのか?」
褐色の肌に身に纏っているのは、フリンジと赤いビーズで飾られた、鹿革のマントのような上着。
枯草色の髪は横だけが長く、後頭部は短く刈り取られた歪な形をしている。
「目が見えないのか?」
瞳の色は薄い灰色で、視線が合わない。
細い体を支えるように長い棒を持っている。
声は聞こえているだろうか?
なかなか返事をしない少年の肩に手をかけようとすると、少年は悪戯っぽく笑って逃げていく。
「おい、待て……!」
少年は草原を駆けていく。
その背を追って俺も走り出す頃には、俺はその光景がおかしいとすら思わなくなっていた。
どこまでも広がる緑の大地を駆けた先、小さな川の向こうに少年はいた。
そこで立ち止まり、こちらを振り返って笑っている。
ここまで来れるかを試しているかのように。
(舐めるなよ)
川は小さく、流れも遅い。
俺の脚なら簡単に飛び越えられる程度の幅だ。
助走をつけて少年の元へ飛び出そうとしたときだった――
――ゴウウッ!!
爆ぜる炎のような音と共に、俺の折神――狼の精霊が目の前に現れる。
「なっ……」
狼の放つ炎が全身に熱を与える、その熱に我に返った時――目の前にあるのは要塞の縁だった。
目の前は断崖絶壁。
俺は縁に手をかけその場から身投げをしようとしていた。
★★★
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