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海神別奏:大正乙女緊急指令「九十九人ノ婚約者ヲ攻略セヨ」  作者: 百合川八千花


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51「懺悔室」

 それは月のない夜だった。


 マンハッタン南端、金融街とスラム街の狭間。

 そこはエンゼル神父の奉仕する教会のある土地。富める人々も病める人々も、皆平等に神の救いを求めに来る。


「許せない男がいるんです」


 教会の中の、小さな懺悔室。

 悩める子羊と神父はラティスで隔たれ、互いの顔は見えない。

 エンゼル神父がわかるのは、声の主が少年であることくらい。だが、彼は顔色一つ変えずに静かに懺悔を聞いていた。


 「父と子と聖霊のみ名において」


 懺悔室でエンゼル神父が答える文言は定型文と決まっている。

 感情的であると自覚のある彼は、余計なことを話してしまいかねない。神に声を届ける神聖な場に神父の感情は必要ないと、己を戒めるためのルールだった。


「僕には年の離れた兄がいたんです。美しく、優秀で、家族の自慢でした。僕も彼を愛していた」


 少年は震える声で語る。あまりにつらそうな声に、心優しいエンゼルは何か声をかけてやりたくなるが、ここが懺悔室だと思いなおしてぐっとこらえた。


「でも、ある日突然消えてしまった。彼は軍人なので、家族に何も言わずいなくなることは多々ありました。だけど、1年経っても消息がつかめない。彼に何かあったのではと恐ろしくなってきたころに、それは起きました」

「何が起きたんですか?」

「兄は、マフィアになっていたんです。ありえないことです。彼は犯罪を嫌っていた、潔癖な人だ、完璧な人だ。なのに彼は……よりにもよってインディアンのマフィアに仕えていて……」


 白人を支配するインディアンのマフィア。この街には……いや、この国にはたった一人しかいない。ダミアン・ヘイダルだ。

 それに仕える元軍人も、この街では知らない者はいない。ミシェル・イス――今の名前はシュヴァリエ。


(ミシェルには弟がいると言っていた。名前は確か……セレスト)


 懺悔室で子羊の正体を暴いてはいけない。だが、聞き覚えのある言葉につい勘ぐってしまう。なによりもこの少年――セレストは同じ悩みを抱えている。

 誇り高い米国海軍将校の地位を捨てて、マフィアに堕ちた友について悩むエンゼルは、彼に特別な言葉をかけてやりたかった。


「それは、お辛いですね」 

 

 だが、自分の職分を思い出し、静かに定型文で答える。

 この懺悔室を出たらこのことはすべて忘れなければいけない。決して口外することは許されない。

 たとえ同じ痛みを持っていようとも――


「だから僕は……悪魔と手を組んだ」

「悪魔……?」

「海魔、と言えばわかるでしょうか」

「――っ!!」

 

 ――たとえ彼が、許されざる罪を背負っていようとも。 


「なんてことを……」

「懺悔室で人を責めるのはお門違いでしょう、神父様」

「しかし――!」

「あなたは人を責められる立場なのですか?」

 

 いつしか立場は逆転していた。エンゼル神父は追い詰められ、口ごもる。

 苛立つ気持ちを静めるために腕をかきむしると、ぽろぽろと”鱗”が剥がれ落ちる。

 それは人にあるはずのない部位。人々は奇病だと思っているが、エンゼル神父本人だけは知っている。


「あなたも、海魔じゃないですか」


 それは悪魔の証。

 神父にあってはいけない、呪いの証左。


「わ、私は……私は……」

「帰ります。懺悔室での会話は他言無用。もちろん、神父様は守れますよね?」

「それは……」


 かちゃり。静かに扉が開いて、セレストはその場を去っていった。

 夜を告げる鐘が鳴り響く。

 月の光の差さない薄暗い教会に、エンゼル神父ひとりだけが取り残されていた。

★★★

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