47「敗北」
「わたくし、マルガリータ・ベインブリッジと申します。ミシェル様のフィアンセですの」
小鳥のさえずりのようなかわいらしい声。輝くような金色の髪に、翡翠色の瞳。
年は私と同じか、少し若いくらい。
マルガリータ・ベインブリッジ嬢は、御伽噺のお姫様のように美しい女性だった。
「その件はもう流れた話です。今は良き友人ですよ」
「まあ、ミシェル様ったらご冗談がお好きなんですから」
シュヴァリエと並ぶとまさに騎士と姫。
まばゆく光り輝く二人を見て、私の心臓は締め上げられたかのように痛んだ。
「奇遇ですね。私も彼の婚約者なんですよ」
「君も冗談はよしたまえ」
だが、負けていられない。
ベインブリッジ少将の突っ込みを完全に無視しながら、私は手を差し出した。
「まあ、ではわたくしたちはライバルですわね」
「そ、そうですね」
マルガリータは少しもためらうことなく手を握り、キラキラした瞳で私を見つめてくる。
(負けた……)
その大人な対応に、私は直感で負けを確信してしまった。
彼女には人種の差別心がなく、ライバルの私ともにこやかに接してくれる。
シュヴァリエの元婚約者と聞いて嫉妬にかられた私とは、人間としての誠実さが違う。ベインブリッジ少将の娘なのに、どうやったらここまで清らかに育つというのか。
「う、うぐううう」
「”泣く” ”ない”」
「せめて隠れて泣けよ」
悔しい、悔しすぎる。
初っ端の挨拶で人間として敗北した私は悔し涙を流して地べたを這う。お父さんとダミアンが背中をさすってくれるが、立ち上がる気力がわかない。
「…………」
そんな私を、シュヴァリエが見つめている。
その青い瞳が何を考えているのか、恐ろしくて見つめ返すことができなかった。
「よろしければサロンにご一緒しませんこと? もちろん、皆様全員ご招待いたしますわ」
「マルガリータ……サロンに非白人は……」
「まあ、なんてことを言うのお父様。そんな考えは前時代的ですわ」
「うぐああああ」
心が清すぎる!
このままでは私もマルガリータ嬢を好きになってしまう。そしてベインブリッジ少将をどんどん嫌いになる。
彼女の声が聞きたくなくて、必死に耳を塞いだ。
「……ボスが行かれるなら同行いたします」
「織歌が行くなら」
「”なんの” ”話”」
だが、場の決定権が私に移ってしまった。
ここで誘いに乗らなければ敵前逃亡、不戦敗。デェト中なので行きたくはなかったが、私にはこう答えるしか道はなかった。
「よろこんで……」
◇ ◇ ◇
「いやだわ、インディアンがいる」
「しっ! 彼はマフィアよ」
「ねえ、日本人を招待したのは誰?」
「あの方々、英語は話せるのかしら」
嫌な予感は的中した。
ウールワースビル上階の黄金と真鍮の大広間、煙草と香水の匂いが場を包む、社交界のサロン。
そこで私たちは完全に浮いていた。
ひとたび足を踏み入れれば値踏みするような視線にさらされる。息をするたび、手を動かすたび、私の落ち度をあげつらいたい紳士淑女の目線がぎらりと光った。
「あなた方……」
「わたくしマルガリータ・ベインブリッジがご招待いたしましたの! 失礼な方々、口を慎みなさいませ!」
「ううー!!」
不躾な目線と陰口に、私が何か言おうとする前にマルガリータ嬢は毅然と言い返す。
唯一勝っていると思っていた正義感ですら敗北し、私は情けない悲鳴を漏らすことしかできなかった。
「軍人の娘が偉そうに……」
しかし、マルガリータ嬢であろうともこのサロンではあまり立場は高くないようだ。
ひとりの勝気な女性がマルガリータ嬢を小声で罵った。
私はマルガリータ嬢のライバルであるのに、その言葉が妙に許せなかった。彼女の前に立ちはだかり、何か言ってやろうとした時だった。
「ミス、何か御用でしょうか?」
私の口に手を添えて、シュヴァリエが言葉を遮る。
聞こえなかったふりをして優しく声をかけるシュヴァリエ。突如現れた美青年に女性はたじろぐ。
「な、なんでもございません。ムシュー」
「素敵なフレンチアクセントですね。私も一族はフランスですが、あなたほど美しくささやける人はいない」
「嫌ですわ、お世辞なんて……」
理想の白人男性にほめそやされると、女性は頬を赤らめて去って行ってしまった。
また一人、シュヴァリエの魅力に落ちたものがいる。
その事実に、心臓がきゅうと痛んだ。
「ありがとうございます。ミシェル様」
「いえ、トラブルを防いだだけですので」
「わたくしのためでなくても、嬉しいですわ」
マルガリータ嬢がシュヴァリエと仲睦まじげに談笑している間に割り込む元気もなく、力なく二人を見送る。
理想の男女が、そこにいる。
ふられた私が、入る隙なんてあるのだろうか。
「織歌……」
ダミアンの温かい手が方に添えられた。
「”行け”」
お父さんの容赦ない指令も加わった。
だけど、どうしても彼らの間に割り込む勇気が持てなかった。
「マルガリータ。君のピアノを披露してあげなさい」
居心地が悪いまま、ベインブリッジ少将に誘われてマルガリータ嬢は中央のピアノへ向かう。
今、彼女はこのサロンの中心だ。
私は壁の花をしながら、美しい旋律に耳を傾けることしかできなかった。
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