55話 侮られる元大魔導師
「ほんと、お前ってなんでこの学校に入って来れてんの? 噂じゃ補欠合格らしいじゃん。俺だったら恥ずかしくて辞退するね。面の皮厚すぎんじゃね?」
ラグナルが作る美味しい朝食の時間が始まったとウキウキしていたレティシアだったが、開始早々発せられるルーの毒舌にじっくり味わう暇がない。
気分が台なしである。
しかし、補欠合格は事実なので反論のしようもなく、じっと聞いているしかない。
第一印象が悪かっただけに、敵意を向けられるのは仕方ないかと、自分でも感情を抑制できなかったことを反省しているレティは言い返さなかった。
その一方で、レティシアが蔑まれデュークの機嫌は最高潮に悪く、今にも攻撃しそう。
腰の短剣に手を置くのだけはやめてほしい。
なにかあればすぐにでも抜く気である。
レティシアが貶められた時のデュークの反応を普段から知っているジゼットとエオンは、ハラハラとしながらも口を出せずにいた。
エオンにいたっては、これまで散々オハナシアイとともに教え込まされたので、余計に顔色が悪い。
そんなエオンはここ最近ずいぶん精神的に落ち着いているとラグナルが安心していた。
世界を混沌の渦に陥れた邪竜との戦い以降、闇の属性を持つ者への忌避感をなくすために、闇の女神は人の中にも闇の力を使える者を作った。
それはいずれデュークが生まれ変わった時に生きていきやすくするための措置だが、ヤンデレ女神の力を与えられた者は総じて精神的に不安定になりやすい。
それを抑えられるのは、対極であり表裏一体の力を持つ光の力だ。
闇の女神が一部の者に闇の力を与えたように、最高神もまた光の力を一部の者に与えた。
闇の力への抵抗感を改善させるのと同時に、レティシアが人の世に混ざっても平凡に暮らしていけるようにとの考えもあったかもしれない。
とはいえ、直接加護を与えられたレティシアやデュークと比べれば、その特異な力は脅威でもなんでもない。
邪竜にもならなければ、国を亡ぼすほどの力もないのだ。
だからこそ、人々にも受け入れられるようになっているのだろうが、困ったことに、闇持ちは光持ちに対して執着心が強く出るらしい。
闇の力が強いほどその傾向が強く、それは加護を得ている普段のデュークのレティシアへの態度を見れば明らかだ。
それに比べればわずかばかりの力を与えられたエオンは問題ないかと思いきや、過去かなり問題行動を起こしており、光持ちのジゼットがその後始末をするという流れが生まれていた。
エオンの独占欲と執着心、そして協調性のなさにジゼットは疲れ切っていたが、そこは力も闇持ちの扱いも心得ているレティシアが躾けてからは大人しくなっていた。
それも表面的だけかと思いきや、言動もかなり落ち着いているという。
恐らく本当の光の力を持つレティシアがそばにいることで、エオンにも光の力の影響が少なからずあるからかもしれない。
まあ、レティシアの影響がなくとも、レティシアの力ならばエオン一人抑え込むのはわけがない。
しっかりどちらが上か教え込んでおいたので、エオンもレティシアには早々に逆らうことをしなくなった。
それだけでもジゼットの負担は大きく変わってくる。
よくもまあこれまで付き合ってこれたものだと、レティシアはジゼットを称賛した。
「あーあ。こんな弱い奴と同じ寮とか最悪なんだけど。これ以上寮の評価が落ちたらどうしてくれんだよ。補欠でしか入れないようなら最初から入んなって。なんの役にも立たないんだし」
「あー、それぐらいにしといてほしいんだけど……」
レティシアはぐちぐちと。うるさいルーではなく、隣に座るデュークと、テーブルの上でルーを半目で睨みつけているエアリスを見ていた。
もういつ飛びかかってもおかしくない。
ルーを止めたのは、彼の命の危機を心配してのことなのだが、まったく気がついていない。
「なに? 役立たずは黙ってなよ。それとも今すぐ出ていったら? その方が自分のためになると思うけど。これから授業で無様な姿さらさなくて済むんだし――」
途中で声が尻すぼみになったのは、ルーの真横にラグナルが静かに立ったからだ。
その顔はお面のように感情がすっと消えており、冷たい眼差しが食事中のルーを見下ろす。
「ナル?」
これまでの二人の関係性は見ていないので知らないが、ラグナルの表情にルーは戸惑っている様子だ。
そして次の瞬間、ラグナルはルーの胸倉を掴むとそのまま持ち上げた。
「てめぇ、レティになんだって?」
どすの利いた声と、氷のように冷えた声がルーに突き刺さる。
「な、なんでそんな怒ってんだよ? 俺はおかしなこと言ってないだろ」
「お前は言っていいことと悪いことの判断もできねぇのか?」
完全に戦いを前にした時のラグナルの迫力に、敵意を向けれられていないジゼットとエオン、さらにはラシャですら怯えて顔色を悪くしている。
通常通りなのはエアリスとデュークだけである。
「よし! そのまま土に還せ」
「俺は魔獣のえさの方がいいと思う」
「それもありだな」
珍しく仲よく意見を一致させるエアリスとデュークに、レティシアは呆れる。
「二人とも馬鹿言わないで。ナルちゃんも!」
レティシアが呼びかけたが、ラグナルは完全に頭に血がのぼっており、声が聞こえていない。
「レティに出ていけだと? 何様のつもりで言ってやがんだ」
ラグナルが怒るのは当然であった。
そもそもこの国自体がレティシアのために創られたといっても過言ではないのだ。
特にこのセラシオン魔導師学校は、まさしくレティシアのためのものだ。
レティシアはまだ知らないが、いつか帰ってくるレティシアがその存在に気づけるようにと、学校を作り名声を高めてきた。
もし魔導師としての道を選んだ時、魔導師として行き場を失くした時、最初の居場所となれるようにと。
ラグナルがこの寮を管理しているルヴェナは、必ず光持ちの生徒が入ることになっている。
それはクロノとラグナルで示し合わせたものだった。
神からまたこの世界に戻るとは聞いていても、ラグナル達ではただの光持ちと加護を持つレティシアの力との区別がつけられない。
だからこそ、この寮には必ず光持ちが入れられる。
そしてこの寮の一室には、ラグナルがレティシアのためだけに用意した部屋が存在していた。
そこは今レティシアが使っている部屋である。
戻ってくるその日を想像しながら整えた部屋がやっと使えると分かったその日、ラグナルはどれほど嬉しかったことか。
ラグナルはいつか戻ってくると信じて二百年この寮を守ってきた。
すべてはレティシアのために。ただもう一度会いたい、ただそれだけのために。
とはいえ、ルーがそんな背景を知るはずがない。
知らないことを責められやしない。
それでも、ようやく待ち望んだ人を追い出そうとするその言葉を前に、一瞬で頭に血がのぼった。
ラグナルはルーのこともラシャのこともかわいがっている。
どうにか一人で生きていけるように、まるで親のような気持で心を砕いていた。
その感情に嘘はないが、レティシアへの言葉はラグナルの中の決して触れてはいけない怒りのスイッチを押してしまったのだ。
「レティを出ていかせるって言うならお前が出ていけ」
ラグナルの言葉に、ルーはショックを受けた顔をする。
普段のラグナルならば相手の些細な変化にも気がついていただろうに、今は完全に頭に血がのぼって見えるものが見えていない。
あれだけキャンキャンと吠えていたルーは、ラグナルの迫力というよりもその言葉に胸を突きさされたようにおとなしくなっていた。
「仕方ない……」
今日は朝から難問続きだと、レティシアは指をくるりと回した。
すると、ラグナルの周りを回転するように光の筋が流れ、グルグルとラグナルの体を回ると、糸を引っ張るようにぎゅっと光の筋がロープのようにしてラグナルの体に巻き付いて動きを封じた。
そのままドタンと倒れるラグナルから解放されたルーに、ラシャが駆け寄る。
「ルー……」
心配そうに顏を覗き込むラシャ。
ルーは胸倉を掴まれた苦しさよりも、ラグナルの態度に胸を痛めているようだった。
ルーの表情をしっかりと目にしたレティシアはむっと眉根を寄せラグナルの前に立った。
「うぉぉぉぉ、離せレティィ!!」
ビチビチと陸に打ち上げられた魚のように床に転がって身をよじっている。
ずいぶんと活きのいい魚だ。
力いっぱいほどこうとしているようだが拘束は解けない。
筋骨隆々なラグナルの全力をもってしてもほどけない拘束魔法の強さに、エオンは「あれを押さえておくとかえぐい……」と口元を引きつらせている。
さらにレティシアの追撃は止まず、ついでとばかりにその魚の頭を冷やすように、ラグナルの頭上からたっぷりと水を生成して落とした。
まるで滝に打たれたような水量に「死ぬ! 死ぬ!」と叫んでいるが、おぼれ死なないようにしっかり自分で顔周りに防御魔法を作っているあたりさすがである。
これだけ冷やせば十分だろうと、ラグナルを解放する。
と、同時に、水浸しとなった食堂から水が消えていく。
その光景を驚くように見るルーとラシャ。
これほど流れるように魔法を次々に使っているのが誰なのかは、説明されずとも分かっているようだ。
だからこその驚きだろう。
「ラグナル、正座」
「え?」
「せ、い、ざ」
「はい!」
決して強い命令でもなんでもなかった声色だったが、ラグナルは反射的に従った。
「言っていいことと悪いことの判断もできないってどの口が言ってるの?」
笑顔で圧をかけるレティシアに、普段は向かうところ敵なしのラグナルは委縮する。
「彼に対してなに言ったか分かってる? ラグナルが責任者となって彼らを拾ったのよね? それなのにあんな言い方ないと思うんだけど、ラグナルはどう思うの?」
「はいっ! 申し訳ありませんでした!」
「彼にもでしょ?」
見事な土下座をするラグナルは、ルーにも同様に謝罪する。
問題児が集まるこの寮では、一度は必ず反抗してラグナルにオハナシアイをさせられ力で黙らされるので、ラグナルの力は寮生の誰もが知るところだ。
そんな、この寮の絶対的な支配者たるラグナルを一言で圧倒するこのレティシアの強者感は言葉では少々言い表せない。
一見ただの少女だというのに、反論させない迫力があった。
レティシアには邪竜と戦ってきた壮絶な過去の記憶があるので、そりゃあ平和な今の時代を生きる者が出せない凄みを出せるのは当然と言えば当然だ。
そして、このラグナルとのやり取りだけで、前世でのレティシアの立ち位置が想像できる。
最年少でありながら魔導師達のトップに立ち、個性が強すぎる者達をまとめ上げていた少女の貫禄は並ではなかった。
ルーは、視界に入ったジゼットに声をかけた。
「おい、そこの新人」
「はい!」
「あいつ本当に補欠合格なのか?」
「らしいです」
そう答えるジゼットの顔にも疑問が浮かんでいる。
「補欠合格者の力量じゃないよね。俺は信じてない、です」
エオンは答えると同時に、そう言えば先輩であったと思い出し、申し訳程度に敬語をつけ加えた。
「……少なくとも補欠合格っつって、侮っていい奴じゃないってことか」
ルーはレティシアの評価を修正せざるを得なかった。




