52話 ラシャの過去
その日は朝食を取る気にもならず、そのまま部屋に戻った。
今回ばかりはレティシアの心情を慮ってか、デュークもエアリスも大人しい。
すると、しばらくしてノックの後、ラグナルが入ってきた。
「レティ、入るわよーん」
「もう入ってんじゃねぇか」
「うふふ。エアリスは細かいわねぇ」
ラグナルは寮母としてのいつも通りの話し方に戻っており、さらにはトレーに載ったお皿にたくさんの料理を盛り付けて持ってきていた。
誰のためのものかなど、聞かずとも分かる。
「朝にたくさん訓練したんだから、ご飯食べないと駄目よぉ~。成長期なんだからん」
「食欲ない……」
レティシアはベッドにごろんと寝転がったまま、気だるげに答えたが、それで諦めるラグナルではない。
「だーめ。ただでさえ細いんだから、食べないなら今からレティをそんなにしたアカシトロビアに特攻かますわよん」
「ひどい脅し文句」
本当にやりかねないところが怖い。
仕方なくというように、レティシアは起き上がった。
しかし、その顔は不満でいっぱいの顔だ。
いまだラグナルが獣人を受け入れたことに納得がいっていないのが分かる。
そんな心情を察したのか、ラグナルは苦笑を浮かべレティシアの頭を撫でた。
二百年前と変わらぬ大きな手は、当時から変わらず多くのものを守ってきた強く優しい手だ。
レティシアもどれだけこの手に守られてきただろうか。
両手両足では数えきれない。
「私の話聞いてくれる?」
「納得できるか分からないけどいいの?」
「構わないわよ。私が話したいだけだから。レティが食べている間だけ時間をちょうだい」
他の者だったら一蹴できるそれも、ラグナルに言われてしまうとレティシアも弱い。
レティシアは肯定も否定もせず、静かに食事を始めた。
それが合図のように、ラグナルは口を開く。
「……さっき、あの子を見つけたのは私だって言ったでしょう? あの子を見つけた時あの子はね、今からは考えられないぐらいガリガリに痩せ細っていたのよ。そう、今のレティよりもっとね」
レティシアもアカシトロビアでの監禁生活で満足な食事は取れておらず、そのせいで痩せており身長も低い。
それ以上となると、まともな食生活はしていなかったのだろう。
もしかしたらレティシアより過酷な環境だったのかもしれない。
「あの子達を見つけたのは、強い魔獣ばかりいる黎明の森の奥だった」
「あの子達?」
複数形であることにレティシアは疑問符を浮かべた。
「そ、私が見つけた時、ラシャともう一人ルーって男の子と一緒に助け合って生きてたみたいなのよ。ちなみにルーは人間の男の子でルヴェナの寮生だから、その子についてはまた今度紹介するわ。今はラシャのことね」
「うん……」
少し冷静になっていたレティシアは、この時にはラシャという青年がかなり劣悪な環境の中生き抜いていたのだということを察してはいた。
「そもそもラシャがどうしてそんな状況に陥っていたかだけど、魔力を持つ者を下に見る傾向にあることは、わざわざ説明しなくともレティがよく分かっていると思うわ」
レティシアは静かに頷いた。
己の肉体で戦うことこそ力の証と考える獣人は、魔法といった己の鍛え上げられた肉体以外の力を蔑む傾向がある。
特にアカシトロビアの国は。
レティシアからしたらどちらも変わらぬ力だと思うのだが、獣人からしたら他の力に頼る魔法も、身体能力の劣る人間も劣った生き物という考えをする種族だ。
まあ、邪竜の戦い以降は、獣人の中にも違う考えを持つ者も増えたが、レティシアは今のところ獣人=アカシトロビアという認識が強い。
だからこそ、ラシャを見て思わず攻撃してしまった。
そこは反省と心からの謝罪をラシャに、そしてラグナルには感謝しなければならない。
レティシアの加減のない力ならば、ラグナルが止めなかったら確実にラシャを殺していた。
今さらながらとんでもないことをしてしまったと、レティシアは落ち込む。
「魔力を持っているという理由だけで、アカシトロビアでは差別の対象よ。そしてラシャはそんな国において、早くから魔力があると分かっていた。それでも、魔法の才能がそれなりにあればアカシトロビアでも生きていけたんでしょうけど、ラシャは魔力の制御ができなくてね。魔法について詳しくないやつらは、ラシャを価値のない無能と判断して国から追放したのよ」
「けっ! 相変わらずいけすかねえな」
エアリスが悪態つく。
魔法によって生み出されたエアリスにとって、アカシトロビアの考えとやり方には激しく拒否感を覚えてしまうのだろう。
レティシアとて不快感は同じである。
だからこそ、己のしたことの後悔が襲ってくる。
そんなレティシアに気がついて、ラグナルは慰め元気づけるようにぐりぐり頭を撫でた。
「事情を聴いて放っておけなかった私が連れ帰ったんだけどね、ルーはまだしもラシャについては上層部でも意見が分かれたわ。ただのアカシトロビアの国民ってだけなら問題なかったんだけど、ラシャは元々貴族だったみたいでね。そんな裏があるんじゃないかって警戒されたのよ。特にクロノとラディオがねぇ」
ラグナルは困ったように微笑に手を当てた。
アカシトロビアとの関係性を考えると、クロノとラディオの反応は仕方ないものだろう。
レティシアのように手が出ていなかったかが心配である。
生きているので、ラグナルがちゃんと守ったということだろうが。
「まあ、フローレンスがとりなしてくれて、無事に引き取ることになったわけよ。でも私はここの寮母だから、二人を特訓して魔法をしっかり使えるように教育して受験させ、今はこの学校の生徒で、ルヴェナの寮生よ」
「そうなんだ……」
「レティの害にならないんだよね?」
それまで静かに話を聞いていたデュークが初めて声を出す。
発した内容が当然のようにレティシアに関することだというのが、なんともデュークらしい。
「そこは保証するわ。というか、いくらあの子達が相手でも、レティを害そうとするようなことがあるなら、その前に俺が処分する」
寮母のナルちゃんではない、かつてともに邪竜と戦った守護者のラグナルとしての言葉と覚悟が垣間見えた。
「だったらいい」
デュークにとったらレティシアの害になるかならないかが重要で、それ以外は特にどうでもいいのだ。
徹底しているデュークに、ラグナルも苦笑する。
「ほんと、レティが一番なのねん」
「他人のこと言えねえだろうが」
二百年前のラグナルを知るエアリスが吠えると、ラグナルは肯定も否定もせずただ微笑んだ。
言葉にせずともその微笑みこそが答えだと思った。
「レティのこれまでを考えると獣人は受け入れがたいのかもしれないわ。私も最初は獣人なんてみんな一緒って考えだったものん。でも、少なくともラシャはいい子よ。気弱で人の顔色をうかがって、でもちゃんと優しい強さを持ってる」
「そう……」
ラグナルがそこまで信頼を寄せているなら本当なのだろう。
それでもレティシアにはまだ完全には受け入れられない。
脳裏から離れない故郷がそれを許してくれないのだ。
「できれば、獣人としてではなく、ラシャというあの子を見てやってちょうだい」
「うん。分かった……」
ラグナルを悲しませたいわけではない。
レティシアが今世で獣人に奪われてきた過去を知りながらも、ここまで後を引かずにラシャという者をかばうなら、レティシアも信じてみようと思った。
少なくとも、挨拶すらしていないレティシアが切って捨てていい縁ではない。
せっかく同じ寮で住むのだから、同じルヴェナの寮生とは仲よくしたい。
そしてそれには、後から来たレティシアが合わせるのが道義だ。
「明日謝る。許してくれるか分からないけど」
「許してくれるわ。歪んだあの国の貴族として生まれたとは思えないほど、あの子は優しい子なんだもの」
「そっか……」
アカシトロビアの名前を聞くだけで殺気に満ちた目つきになっていた過去のラグナルがここまで穏やかに笑っている。
そのことに驚くとともに、きっと自分がいない間にラグナルにもたくさんの出会いと思い出があったのだろう。
それはラグナルだけではなく、他の守護者と呼ばれる者達にも。
いつか会える日はくるだろうかと、レティシアは思いを馳せる。




