51話 獣人の寮生
早朝訓練を終えたレティシアはくたくたになりながら寮に戻ってきていた。
「疲れた……。汗だくだけどシャワー浴びる気力がない」
困った時は魔法だと、レティシアは魔導書に魔力を流せば、パラパラと風が吹いたように自然とページがめくられていき、途中止まったページに文字が浮かび上がる。
レティシアがまだ大魔導師と呼ばれていた前世では常用していた文字は、今や神聖文字と呼ばれ特別な文字として扱われていた。
それに加え、魔導書に浮かぶ言葉は神々が使う神の文字だ。
これは普通の人には読み解くことはできず、神の加護を持つ者にしか分からない。
おそらく現在この神の文字が読めるのは最高神の加護を与えられたレティシアと、闇の女神の加護を与えられたデュークだけであろう。
《浄化を――》
ぼわぁっと光がレティシアを包み込み光が収まると、先程まで不快だった体が綺麗さっぱりとしていた。
「ふう、綺麗になった。すぐ私に丸投げする最高神様はむかつくけど、この魔導書を作ってくれたことに関しては感謝なのよねぇ……」
レティシアは魔導書を抱きしめて頬ずりする。
「その気になれば世界を手中にできる力を持ってるのに、生活魔法で満足してるレティの頭の中は平和で良いよなぁ」
その魔導書の中には、一瞬で国すら亡ぼせる攻撃魔法も、人を意思を掌握して思い通りに動かせる魔法も書かれているが、レティシアは本当に必要に迫られた時にのみ、ちゃんと理性を持って使い分けている。
強大な力に呑まれず、目を曇らせることなく持ち続けることがどれだけ大変か。
人とはどうしても欲のある生き物だ。
アカシトロビアのような者に渡ったが最後、世界は奴隷のように掌握されてしまう。
レティシアにはその力があるというのに、体を綺麗にするだけで幸せそうにしているのだから、やはり最高神が認めるだけの高潔な魂を持っているということなのだろうか。
ただそれは、同時にデュークのことを認めることにもなるので、素直に納得したくないエアリスだった。
「ほら、レティ。さっさと着がえねぇと朝食がなくなっちまうぞー」
「それは困る!」
先ほど帰ってきてすぐにラグナルからご褒美におやつをもらっていたというのに、その食への執念はすさまじい。
アカシトロビアで粗食だった反動だろうか。
それならばいいが、レティシアの食欲は、ラグナルもドン引きするほど旺盛で、どこか悪いのではと心配になってくる。
けれど本人はいたって元気いっぱいだ。
「なんかあるなら最高神が黙ってないだろうしな……」
自らの愛子として加護を与えるレティシアは、最高神にとって特別な存在だ。
それゆえに、もし体への問題があるなら直接話をするために狭間の世界に呼び寄せるぐらいはしているだろう。
それがない時点で、さほど問題ではないということだ。
なにかとレティシアに難題を放り投げてくる最高神に苛立ちを感じつつも、レティシアを溺愛しているという点においては、エアリスもラグナルも疑ってはいなかった。
「ほら、エアリス。行くよー」
「おー」
部屋を出ると、扉の前で待っていましたとばかりにデュークが目を輝かせていた。
まるで飼い主を待つ忠犬のようである。
「レティ、おはよう」
「おはよう。デューク」
「ちゃんと待ってたよ」
デュークは少し屈んで、乞うように頭を差し出してきた。
デュークがよくするこの動作は、頭を撫でてくれというサインである。
「よしよーし。ちゃんと待ってて偉いねー」
年齢だと二歳しか離れていないが、いかんせんレティシアは年齢に見合わない身長の低さと童顔のせいで、レティシアがだいぶ年下に見えた。
そのため大人が子供に褒められている違和感のある光景となっている。
「どっちが年上か分かんねーな。年齢詐称してんじゃないのか?」
エアリスがいつものごとくデュークをからかうと、デュークの目が剣呑に光り、短剣がエアリスに向かって飛ぶ。
しかし、聖獣であるエアリスの張る結界を、まだ魔力操作が得意ではないデュークに破られるはずもなく、結界に傷すらつけられず短剣は床に落ちた。
「けけけ。もっと腕を磨くんだな、小僧」
「焼き鳥ごときが偉そうに……」
バチバチとにらみ合いを始める一人と一羽の前で、レティシアはパンパンと手を叩いて喧嘩を強制終了させた。
「はいはい、そこまで。料理が冷めちゃうから行くよー」
「うん」
エアリスに向けていた殺気をどこかにしまい込み、ころりと満面の笑みを浮かべるデュークの変わり身の早さには感心しかない。
まあ、それをするのはレティシア相手にだけだ。
ヤンデレで定評のある闇の女神の加護をもらった愛子だけあり、デュークもちゃくちゃくとヤンデレの道を歩んでいるようだ。
今からすでに将来が心配になってくる。
「きょうおのごっ飯はなんだろな~♪」
スキップをしながら上機嫌で食堂へ向かうレティシア達だったが、食堂に入る手前でレティシアは目を見開き硬直した。
そこにいたのは、三角の耳がついた青年。
獣人である。
その瞬間走馬灯のように脳裏を流れる、両親の顔と村人の悲鳴。
跡形もなくなった村の様子と、生き残ったロドニーの切り裂くような拒絶の言葉。
レティシアは頭の中で考えるより先に体が動いていた。
それはも反射的なものだった。
手加減の一切ない攻撃魔法。
確実に殺そうとして放たれた風の刃は、とっさに飛び出してきたラグナルによって防がれた。
しかし、いくら慣れない媒体の上、魔力が全快しておらずとも、かつて大魔導師と呼ばれたレティシアの攻撃だ。
ラグナルは完全には無効化できずに、吹き飛ばされ壁に激突した。
壁が壊れる大きな音と、強い衝撃により、寮の建物を揺らす。
ラグナルに守られた獣人の青年は驚いた表情のまま硬直しており、レティシアは息が荒く心臓がバクバクと早鐘を打っていた。
そんな中、食堂内にいたジゼットが慌てて駆けてくる。
その後ろからはジゼットの幼馴染みであり、光持ちのジゼットと対極にある闇持ちのエオンも様子を見に来る。
「レティ!?」
「ちょっと、なにしてんの?」
エオンは吹き飛ばされ壁に激突して動かないラグナルを見て顔色を変える。
レティシアが強いことはなんとなく気づいていたエオンだが、まさかラグナルをここまでしてしまうほどの力をレティシアが持っているとは思わなかったと、その表情が物語っていた。
「ナルちゃんさん!」
ジゼットが顔を強張らせてラグナルの様子を見に行くと、ゆっくりとラグナルは動き出した。
「くぅ、久しぶりのレティの攻撃はさすがにこたえるな」
心配するジゼットのためか、へらりと笑って安心させるように笑うラグナル。
レティシアはそもそもあの程度でラグナルは傷一つつかないだろうと分かっていたので、心配よりも先に怒りが湧いた。
「どういうこと、ラグナル!? どうしてここに獣人がいるの!?」
ラグナルがその獣人をかばったことすらも、レティシアの怒りに触れた。
どうして庇うのか。
獣人はレティシアの故郷を奪ったと知っているだろうに。
それだけではない。ラグナルはレティの生い立ちを知っている上、前世で散々アカシトロビアの起こした悲劇を知っている。
獣人によりどれだけの命が失われたか。
獣人によりレティシアの大事な人達がどれだけ殺されたのか。
レティシアがアカシトロビアで囚われての身だったと知った時に、怒ってくれたラグナルはレティシアの中にくすぶる憎しみを分かっているだろうに。
正直、レティシアは、自分がどんな扱いをされていたかは特に問題にしていない。
殺されてしまった者のことを思えば、監禁されていたなど些末な問題なのだから。
けれど、それを些末なことと思ってしまうほどのことを獣人はしてきたのだ。
到底許せるはずがない。
ラグナルとて獣人に怒りを感じている人だ。
獣人がここにいながらラグナルに排除されていないということは、つまりはラグナルが受け入れているということ。
何故、何故、と、レティシアの中で今にも爆発しそうな怒りとともに疑問が湧きあがる。
動揺と興奮するレティシアとは反対に冷静なラグナルの様子が、今ばかりは苛立たしい。
「落ち着け、レティ。ちゃんと話すから」
「そうだぞ。落ち着け。処すのはその後で問題ない」
止めようとするラグナルの言葉だけで興奮は収まらなかったが、エアリスにも落ち着きを求められて、ようやくレティシアは理性を取り戻すように息を吐く。
なにがあっても自分の味方であるエアリスと、いつにないレティシアの様子に不安そうにしながら手を握るデュークにより、頭に登っていた血が落ち着きを取り戻していく。
いや、無理やり感情を制御しようと気力を振り絞った。
「ラグナル、説明して」
今は「ナルちゃん」とは呼べなかった。
「この子はラシャ。見ての通り犬の獣人よ」
レティシアが見上げるほどの高い身長と、鍛え抜かれた筋肉が、よりラシャという青年を大きく見せていた。
けれど、その様子はどことなく悲しそうで、気弱そうに見えた。
しかし、だからなんだというのだろうか。
レティシアにとったら、もはや獣人そのものが敵なのだ。
自分を閉じ込めていたからではない。
両親達の命を奪った仇として、生涯許すことのできない敵なのである。
「この子は黎明の森で捨てられていたところを俺が拾ってきたんだ」
「拾った?」
「そうだ。アカシトロビアで生まれた獣人で魔力を持ちうまれたラシャは、その魔力の使い方も分からなかったために役に立たないと、親に黎明の森に捨てられたんだ。魔力の適性があるならと調べたら、十分な魔力は持っていることが分かった。それで、俺が後見人となってこの魔導師学校に通わせている」
「それを彼は許したの?」
レティシアの言う『彼』が誰をさしているかは、わざわざラグナルに言わずとも伝わったようだ。
「ああ、許可は得ている。ちゃんと調査もして、捨てられたラシャは完全にアカシトロビアとは関係を絶っている」
「信用できるの? そんなのどうとでも言えるでしょう?」
「レティ……」
レティシアのあまりにも冷たく感情を押し殺したような物言いに、ラグナルは衝撃を受けているようだ。
そんな中、初めて青年ラシャが口を開いた。
「別に信じてもらおうだなんて思ってないよ。疑いたいなら疑っていたらいいさ。ナルちゃんが俺を分かってくれてるならそれでいい」
不快そう言われ慣れ、諦めきった様子のラシャに、レティシアもわずかに心が揺れ動いた。
「レティ、ラシャは確かに獣人だが、こいつもアカシトロビアの被害者だ。こいつがあの国とはすでに無関係なのは、間違いない。俺の命をかけてもいい」
迷いのないラグナルの眼差しは、レティシアの中の迷いごと吹き飛ばす力があった。
「……分かった。ラグナルを信じる」
レティシアの判断にラグナルは、それまで緊張していた表情をほっと緩ませる。
レティシアはラシャという獣人の前に立った。
改めて見ても身長が高く、ラグナルにも勝るほどの筋肉が彼の盾になる華のように守っていた。
正直、彼の目の前にいるというだけで不快感はぬぐえない。
けれど、獣人は信じられずともラグナルのことは信じている。
だからこそ、けじめとしてレティシアは彼に向って深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。急に攻撃なんてしてしまって」
「い、いいよ。慣れてるから……」
その気の弱そうな声にはっとして顔を上げれば、沈んた顔で目を伏せた。
そこにあるのは諦めと悲しみ。
悪い人ではないのかもしれない。
けれど、どうしても過去のあの日のできごとが脳裏に焼きついており、何度も振り払おうとも霧がかったように消えてくれない。
獣人を毛嫌いしているクロノが調べたというなら、それはもう徹底的に行ったはずだ。
それでもここにいるということは、少なくとも害はないと判断されたからに他ならない。
だからきっと安心していたらいい。
そう分かっているのだが、その耳を見るたびに、レティシアはきっと村の惨状を思い出すことになるだろう。




