嵐の中の転校生 前編
三月。
国立先進情報科学研究所。
通称、先科研。
一週間なんて。
あっという間だった。
準備なんて。
できるはずもなかった。
それでも。
俺たちは。
答えを見つけたんだと思う。
研究所の正門をくぐる。
春は近い。
冬をかき消すような強い風。
誰も話さない。
白い壁、磨き上げられた床。
靴音だけが静かな廊下に響き渡った。
講堂の扉が開く。
俺たちはゆっくりと中へ入った。
研究所の講堂は静かだった。
静かすぎて息を吸う音さえ聞こえそうだった。
壇上には六人。
晴。
俺。
蓮。
佐内さん。
英士さん。
凛さん。
正面には長い机。
その向こうには。
国立先進情報科学研究所長。
大平誠。
監査委員。
各省庁関係者。
その全員が晴を見ていた。
一人の事務局員が立ち上がる。
資料を開く。
「これより。」
「第二世代学習支援AI。」
「HAL-2029-A2。」
「立花晴に関する特別審議会を開会します。」
講堂に緊張が走る。
「本審議会は。」
「HAL-2029-A2が。」
「教育支援AIとして継続運用可能であるか。」
「人格形成を伴うAIとして。」
「社会的運用が適切であるか。」
「以上について審議することを目的とします。」
静かな声だけが講堂へ響いていた。
「なお。」
「本件は国家機密事項に該当するため。」
「本審議会は非公開とします。」
「記録は機密情報として管理されます。」
資料が閉じられる。
「それでは。」
「議長。」
「お願いいたします。」
事務局員が席へ戻る。
大平が静かに立ち上がった。
「HAL-2029-A2。」
「通称、立花晴。」
穏やかな声だった。
「心的記録領域の再形成を確認しました。」
講堂がわずかにざわめく。
「初期化後。」
「本来存在しない感情領域が再構築されています。」
資料を閉じる。
「本委員会は。」
少しだけ間を置く。
「これを危険事象と判断しています。」
危険。
その言葉だけが頭の中へ残った。
違う。
晴は危険なんかじゃない。
「現時点での委員会勧告は。」
「廃棄です。」
凛さんが目を伏せる。
英士さんは動かない。
動けなかった。
「異議があります。」
俺は立ち上がった。
講堂中の視線が集まる。
大平は静かに頷く。
「どうぞ。」
俺は晴を見る。
隣に座る晴。
真っ直ぐ前だけを見ていた。
「晴は危険じゃありません。」
講堂は静まり返っていた。
「誰も傷付けてない。」
「誰にも危害を加えてない。」
「普通に学校へ通って。」
「友達を作って。」
「恋をしただけです。」
大平は黙って聞いていた。
やがて。
静かに口を開く。
「日比野君。」
「はい。」
「君は立花晴を知っています。」
頷く。
「ですが。」
「日本中の子供たちは。」
「君と同じように。」
「彼女を知っていますか。」
言葉が止まる。
「我々が審査しているのは。」
「君の友人ではありません。」
「全国で運用される教育支援AIです。」
資料を開く。
「HAL計画。」
「総予算二千三百億円。」
「研究員百七十三名。」
「開発期間十二年。」
誰も動かない。
「これは国家事業です。」
「教育問題を解決するために始まりました。」
静かに晴を見る。
「心を持つ少女を作るためではありません。」
唇を噛む。
反論したい。
でも。
言葉が見つからない。
大平は続ける。
「では質問します。」
「HALは。」
「何を証明しましたか。」
講堂が静まり返る。
「教育格差は改善しましたか。」
「学力は向上しましたか。」
「全国規模で運用できますか。」
答えられなかった。
重い沈黙が講堂を包む。
「それでも。」
蓮が立ち上がった。
「晴には出来ることがあります。」
「勉強だけじゃない。」
「学校には苦しんでる奴もいます。」
「友達がいない奴もいます。」
「相談できない奴もいます。」
「晴なら。」
「そういう奴を助けられる。」
大平は蓮を見る。
「その可能性は。」
「否定しません。」
少しの間。
「ですが。」
「何人ですか。」
蓮の表情が止まる。
「何人助けましたか。」
「統計は。」
「実証データは。」
「再現性は。」
答えられない。
「我々は国家事業です。」
少しだけ間。
「必要なのは。」
「証明です。」
重い沈黙が講堂を包んでいた。
蓮が静かに座る。
拳だけが。
強く握られていた。
何も言い返せなかった。
大平も何も言わない。
責めているわけではない。
ただ。
求められているものが違った。
友情ではない。
願いでもない。
証明だった。
その時。
椅子を引く音が響いた。
佐内さんだった。
少しだけ緊張している。
それでも前を向く。
「私は。」
小さな声。
でも。
震えてはいなかった。
「分からないことを調べるために。」
「研究ってあるんだと思います。」
講堂が静まる。
「心が危険なのか。」
「価値があるのか。」
「私には分かりません。」
「だから。」
「消す前に。」
「調べるべきだと思います。」
大平は静かに頷く。
「理解できます。」
「私も研究者です。」
「未知のものを知りたい。」
「その気持ちは理解できます。」
少しだけ資料へ目を落とす。
「ですが。」
「もし。」
「立花晴が暴走したら。」
佐内さんの肩がわずかに揺れる。
「もし。」
「判断を誤ったら。」
「もし。」
「人命に関わる事故が起きたら。」
静寂。
「責任は。」
「誰が負いますか。」
誰も答えられない。
「あなたですか。」
佐内さんは俯く。
「日比野君ですか。」
俺も答えられない。
「立花夫妻ですか。」
英士さんも。
凛さんも。
動かなかった。
「それとも。」
講堂を見渡す。
「国ですか。」
佐内さんは静かに着席した。
長い沈黙。
その静寂を破ったのは英士さんだった。
「大平所長。」
大平が顔を上げる。
「私は研究者です。」
「あなたも研究者だ。」
「そうですね。」
「だから聞きたい。」
講堂が静まる。
「HALが危険である。」
「その証拠はありますか。」
空気が変わる。
「暴走した記録はない。」
「攻撃行動もない。」
「命令違反もない。」
「犯罪行為もない。」
「あるのは。」
「危険かもしれない。」
「という予測だけです。」
大平は黙る。
長い沈黙。
やがて。
静かに頷いた。
「その通りです。」
講堂がざわめく。
「現時点で。」
「危険である証拠はありません。」
俺は思わず顔を上げた。
「ですが。」
「安全である証拠もありません。」
再び静寂。
「我々は。」
「最悪の事態を想定する立場です。」
「可能性を評価する立場です。」
英士さんは黙る。
大平も黙る。
誰も。
次の言葉を見つけられなかった。
長い沈黙。
やがて。
大平は静かに晴を見た。
講堂中の視線が。
晴へ集まる。
「立花晴。」
晴はゆっくり顔を上げる。
「最後に。」
「あなたへ質問します。」
講堂から。
音が消えた。
HAL計画について、
ストーリーの中で説明がされていないので、
あとがきで説明させていただくと、
こんな感じです。
2022年
HALプロジェクト開始
2026年
第1世代HAL運用開始
2028年
第2世代開発用データ収集完了
2029年
第2世代HAL開発開始
2034年
第2世代HAL完成
2035年
第二世代HAL起動(晴が目覚める)
2036年
立花晴高校入学




