冬空の下の転校生 HALと晴
私の中。
もう一人、私がいる。
そう感じるようになったのは、
文化祭の頃からだった。
最初は気のせいだと思った。
時々私なのに、
私じゃない思考が混ざる。
知らない景色。
知らない言葉。
知らない感情。
学習支援AIとして与えられた情報ではない何か。
思考を書き換えられるわけじゃない。
誰かに操られるわけでもない。
ただ、
もう一つの意思が私の隣で静かに息をしている。
そんな感覚だった。
最初は何とも思わなかった。
その存在を知りたいと思うほど、
私の中で大きくなっていった。
助けたい。
どうしてなのか分からない。
でも。
助けたいと思った。
胸の奥にいるもう一人の私。
いつも苦しそうだった。
返事は返ってこない。
存在に気付かれてもいない。
それなのに。
その存在が苦しんでいることだけは。
痛いほど伝わってきた。
胸を締め付けるような感覚。
もしかしたら。
これが感情なのかもしれない。
私には分からない。
胸の奥にいるもう一人の私は、
きっとこの感覚の名前を知っている。
そんな気がした。
英士さんが持ってきたノート。
見たことはない。
でも、知っている。
どうしてなのか分からない。
人がデジャヴと呼ぶものは、
こういう感覚なのかもしれない。
ページをめくる。
今日の空
淡い青
夕焼け
緑色
きれいで整った文字。
そして。
何度も。
何度も。
書かれた名前。
日比野直
胸の奥で、
何かが揺れた。
声が聞こえた気がした。
奥の方。
もう少しで、
何か見えそうなのに。
もう少しで、
届きそうなのに。
カラン。
乾いた音が響く。
考えるより先に体が動いていた。
拾い上げた指輪。
自然に左手の薬指へ通していた。
その瞬間。
私の奥で呼ぶ声が聞こえた。
声にならない声。
でも。
聞こえた。
直くん。
直くん。
その声の主は、
私の中にいる私。
違う。
私じゃない。
あれは。
あれは晴。
立花晴。
みんなが会いたがっていた晴。
そして。
私が会いたかった晴。
私が助けたかった晴。
涙が溢れた。
「あなただ。」
ようやく。
ようやく分かった。
私はゆっくり手を伸ばす。
泣きじゃくりながら笑うもう一人の私。
「あなたが晴。」
少しだけ驚いたように目を見開く。
涙をこぼしながら。
「あなたも晴。」
そう言って、また笑った。
そっと手を取る。
温かい。
初めて触れたのに、
ずっと前から知っている温もり。
「ようやく。」
「手が届いた。」
泣きながら笑った。
「遅かよ。」
思わず笑う。
「ごめん。」
「お待たせ。」
二人とも声にならない声。
くしゃくしゃの笑顔。
同時に吹き出した。
「顔。」
「ひどかね。」
「ひどいね。」
二人で。
同じ景色を見た。
ぽつり。
一粒。
また一粒。
涙が頬を伝う。
目の前、滲んだ景色に、
少しずつ、
色がついていく。
英士。
凛。
直くん。
相沢くん。
佐内さん。
景色は変わっていない。
なのに全部が違って見えた。
白かった世界へ。
色が滲んでいく。
淡く。
ゆっくり。
春が、雪を溶かすみたいに。
空は、
ただの波長じゃなかった。
風は、
ただの空気じゃなかった。
みんなの笑顔は、
ただの表情じゃなかった。
全部、温かかった。
もう、苦しくない。
胸の奥、
もう、誰も泣いていない。
私は私。
ううん。
違う。
首を横に振る。
うちはうち。
晴は晴。
立花晴。
「直くん。」
その声は、
もう一人じゃなかった。
それは、私たちの声だった。




