文化祭の転校生 後編
文化祭二日目。
今日は俺一人。
立花家のインターホンを押す。
「おはようございます。」
扉を開けたのは凛さんだった。
「おはよう、直くん。」
優しく笑う。
「晴、直くんが来たよ。」
「はい。」
二階から返事が聞こえた。
少しして、
晴が階段を降りてくる。
「お待たせしました。」
「日比野くん。」
「おはよう。」
「おはようございます。」
いつも通り。
「じゃあ行こうか。」
「はい。」
文化祭二日目。
昨日よりも人が多い。
校内は歩くだけでも肩がぶつかりそうだった。
「今日はどこ行く?」
「佐内さんのクラスに行きたいです。」
晴はすぐに答えた。
「昨日、美味しかったので。」
思わず笑う。
「じゃあ決まり。」
メイド喫茶は今日も満席だった。
晴は店内を見渡す。
奥に佐内さんの姿。
「佐内さん。」
「とても可愛いです。」
「似合っています。」
晴の言葉に頷く。
ちょうどその時。
「いらっしゃいませ。」
佐内さんがこちらに気付いた。
「来てくれてありがとう。」
晴は小さく頭を下げる。
「昨日いただいたハニーラテ。」
「ちょうどいい甘さでした。」
佐内さんは少し照れたように笑った。
「ありがとう。」
「でも。」
「この格好ちょっと恥ずかしいかな。」
「十分似合ってるよ。」
俺が言うと、
佐内さんは少しだけ目を逸らした。
「相沢くんは?」
佐内さんが尋ねる。
「サッカー部のみんなと模擬店巡りみたいです。」
「もったいないよな。」
その言葉に晴は不思議そうに首を傾げた。
「もったいない?」
俺たちは笑った。
ちょうどいい甘さ、か。
間違ってはいないんだけど。
海で食べた時の立花さんは、
「美味しい。」
そう言って笑ってたっけ。
ほんの少しのことなのに。
それだけのことなのに。
胸が少しだけ痛くなった。
「佐内さーん、注文!」
「はーい!」
今の私に考えている暇なんてない。
店はいつの間にか満席だった。
男子生徒たちの視線が集まる。
……仕事だもの。
あと三十分。
頑張ろう。
「いらっしゃいませ。」
入口に立った瞬間。
思わず目が止まる。
可愛い。
ツインテールの女の子。
うちの制服じゃない。
中学生かな。
気付けば、私はその子の手を握っていた。
「うちで働かない?」
「え?」
「佐内さん!」
「お客さんスカウトしてどうすんの!」
店中に笑い声が広がる。
「でもこの子が入ったら。」
「模擬店賞取れる。」
「まだ言ってる!」
また笑いが起きた。
ピークを過ぎた頃。
女の子が席を立つ。
「ごちそうさまでした。」
私はレジへ向かう。
「もしかして高校見学だった?」
「はい!」
「オープンスクールに参加させてもらってます!」
少しはにかみながらも元気の良い返事。
「どうだった?」
女の子は校舎を見回した。
少しだけ笑う。
「……好きです。」
「この学校。」
「受験しようって。」
「今決めました!」
私は少し驚く。
「そんな簡単に決めていいの?」
「はい!」
迷いはなかった。
「そう、受験頑張ってね。」
「ありがとうございます!」
女の子は深く頭を下げると、
文化祭の賑わいの中へ走っていった。
夕方。
校庭。
丸太が井形に積まれていた。
火が灯る。
大きな炎が夜空へ伸びていく。
周りから楽しそうな声が聞こえる。
「ねぇ。」
「このキャンプファイヤーで告白すると叶うんだって。」
「毎年言われてるよね。」
女子生徒たちの笑い声が風に乗る。
俺も。
本当は今日。
晴に伝えるつもりだった。
好きだって。
でも。
今じゃない。
俺が伝えたいのは。
今の晴じゃない。
俺が晴と呼んだ、あの日の晴。
おもちゃの指輪を、
嬉しそうに左手にはめて笑ってくれた晴。
花火を見ながら、
同じ色を感じてくれた晴。
俺が好きになったのは、
あの夏の晴なんだ。
だから。
だから今じゃない。
待とうと思った。
晴がもう一度。
晴として笑える、その日まで。
炎を見つめる。
「オレンジ色の中にさ。」
「少しだけ緑色が見えたんだ。」
「あの日の夕日みたいに。」
俺は少しだけ寂しそうに笑った。
数秒。
晴は胸の辺りへ手を当てる。
そして。
ゆっくり額へ手を添えた。
少し困ったような表情。
「どうした?」
「……。」
「何か。」
「よく分からないです。」
胸に手を当てたまま。
「ここが。」
「少しだけ。」
「ざわざわします。」
俺は何も言わなかった。
ただ。
晴の隣に寄り添っていた。
ゆっくりでいい。
焦らなくていい。
ゆっくり。
晴を取り戻してほしい。
そう願った。
立花家。
玄関の前。
「今日はありがとうございました。」
「うん、またね。」
晴は小さく笑う。
「ありがとう、直くん。」
俺たちは手を振って別れた。
いつものさようなら。
帰りの電車。
窓の外を夜景が流れていく。
数秒。
「……。」
自然すぎて気が付かなかった。
呼んでくれた。
確かに呼んでくれた。
あの時晴は、確かに名前で。
目の前、窓ガラスの向こう。
流れる景色にだんだんと色がつくような、
そんな気持ちだった。
絵の具は。
塗り重ねれば重ねるほど重くなる。
必死だった。
夏の晴を消したくなくて。
何度も。
何度も。
塗り重ねていた。
剥がれ落ちないように。
消えてしまわないように。
でも。
違ったのかもしれない。
あの時の晴に戻ってほしい。
その気持ちは今も変わらない。
でも。
それ以上に。
目の前の晴を大切にしたい。
そう思った。




