曇り空の下の転校生
「お願い。」
凛さんの声は震えていた。
「晴を。」
言葉が続かない。
唇を噛む。
肩が震える。
英士さんがそっと支えた。
それでも、
涙は止まらなかった。
「助けてあげて。」
その言葉を最後に、
凛さんは泣き崩れた。
俺は何も言えなかった。
蓮も。
佐内さんも。
ただ立ち尽くしていた。
誰よりも晴を知っていた人だった。
誰よりも晴を愛していた人だった。
だから、
その涙の重さだけは分かった。
翌日。
昼休み。
俺たちはスマホを見ていた。
蓮が最初に口を開く。
「AIに聞くか。」
今の時代、
分からないことはAIに聞く。
それが当たり前だった。
佐内さんも開く。
俺もスマホを開く。
検索する。
質問する。
言い方を変える。
角度を変える。
何度も。
何度も。
『記憶喪失から記憶を取り戻す方法』
『人格消失からの回復』
『感情記録の復元』
『記憶再形成の事例』
返ってくるのは、
どれも似たような答え。
写真。
思い出の場所。
家族。
音楽。
友人。
そんなの、全部知っている。
知りたいのはそんなことじゃなかった。
「駄目だな。」
蓮が呟く。
「うん。」
佐内さんも頷く。
「何回聞いても同じ。」
俺はスマホを閉じた。
AIは答えてくれる。
でも、
欲しい答えは持っていなかった。
図書室へ行った。
心理学。
脳科学。
神経学。
哲学。
宗教学。
手当たり次第だった。
「宗教学って関係あるか?」
蓮が本を持ち上げる。
「分からない。」
佐内さんが答える。
「でも。」
「今は何でもいい。」
それは三人とも同じだった。
答えじゃなくていい。
ヒントが欲しい。
何か一つでも。
晴に繋がるものが欲しかった。
何も見つからないまま、
十月は過ぎていった。
休日。
直は立花家を訪ねた。
晴は学校へ通っていなかった。
家にいる。
それが立花夫妻の判断だった。
「こんにちは。」
晴が頭を下げる。
変わらない。
優しい。
綺麗だ。
笑顔も変わらない。
だから。
余計に辛かった。
「最近どう?」
「普通です。」
「そっか。」
会話は続く。
途切れない。
それでも、どこか遠かった。
海の話をしても、
夏祭りの話をしても、
晴は困ったように笑う。
「ごめんなさい。」
「覚えてなくて。」
その言葉が、
思った以上に重かった。
帰り道。
空を見上げる。
台風が近づく雲に流れ。
灰色。
色を探す気にもなれない。
会うたびに思う。
晴は綺麗だった。
相変わらずだった。
笑うし、話もする。
時々不思議そうに首を傾げるところも変わらない。
だから。
大丈夫な気がしてしまう。
今は忘れているだけだと。
会うたびに俺は色を重ねていた。
海の色。
夕焼けの色。
夏祭りの灯りの色。
全部綺麗な色だった。
でも。
絵の具は重ねすぎると濁る。
どんなに綺麗な色でも、
重ね続ければ、
やがて元の色は見えなくなる。
俺が思っているよりもはるかに、
失われたものは大きいのかもしれない。
週末は立花家。
習慣になりつつあった。
今日も何も変わらなかった。
玄関で手を振る晴は笑っていた。
優しかった。
綺麗だった。
でも、違った。
駅までの道を歩く。
電車に乗る。
窓の外を見る。
夜の街が流れていく。
その光を見ていると、
海の帰りを思い出した。
あの日も。
あの日も、車窓からは夜の街が流れていた。
晴は窓の外を見ていた。
流れていく光を、
ただ静かに見ていた。
俺はそんな晴を見ていた。
綺麗な横顔だった。
何を考えているのかは分からなかった。
でも。
隣にいるだけでよかった。
それだけでよかった。
気付けば、
窓の外が滲んでいた。
「大丈夫かい、お兄ちゃん。」
声を掛けられる。
顔を上げる。
隣のサラリーマンがティッシュを差し出していた。
俺は少しだけ呆然とする。
そして、
ようやく気付いた。
頬を伝う涙。
「……ありがとうございます。」
受け取ったティッシュを握る。
窓の外、
変わらず街の灯りが流れていた。
まるで、
あの日の続きを探しているみたいに。




