第53話 Sランクギルド会議と、不穏な重装甲地帯
霞が関にある探索者ギルド本部の最上階。
靴音が完全に吸い込まれるほどの分厚い絨毯が敷き詰められた重厚な会議室には、張り詰めた、ひどく息苦しい空気が漂っていた。
巨大なマホガニーの円卓を囲んでいるのは、日本国内で活動するトップクランの代表者たちだ。歴戦の猛者であることを隠そうともしない強烈なオーラを放つ者、仕立ての良いスーツを着こなしてビジネスマンに徹している者など、様々である。
俺と村上環も、その円卓の一角に席を与えられていた。
つい先日まで、深夜のコンビニのバックヤードで、賞味期限切れの廃棄弁当を冷たいまま胃に流し込んでいたことを思えば、随分と出世したものだ。俺は少しだけ窮屈に感じるジャケットの襟元を正し、目の前の大型モニターへと視線を向けた。
「――現在、新宿第4迷宮の深層にて、未知のエリアへの進行が完全に阻まれている状況です」
ギルド本部の分析官が、レーザーポインターでスクリーンを指し示しながら淡々と説明を続ける。
画面に映し出されているのは、薄暗い洞窟の中で、岩石のような鈍い光沢を放つ異形の群れがひしめき合っているダンジョンの風景だった。
「我々はこの新エリアを『重装甲地帯』と呼称しています。問題は、そこに生息する魔物たちの異常な防御力です」
映像が切り替わり、全身を分厚い鉱石の装甲で覆われた巨大なゴーレムや、装甲車のようなサイズを持つ甲虫型の魔物が映し出される。
「彼らの外殻は、極めて分厚い特殊な鉱石の装甲で覆われており、異常な魔力干渉を発生させています。強力な火炎や氷結の魔法を撃ち込んでも完全に弾かれてしまい、物理的な硬度も極めて高いため、Aランク以上の武器による全力の斬撃ですら傷一つつけられない状態です」
円卓の周囲から、重い溜息や舌打ちが漏れた。
魔法が通じず、物理的な刃も通らない。探索者にとって、これほど消耗を強いられ、攻略の糸口が見えないタイプの敵はいない。
「村上君。君の剣なら、あの異常な装甲を断ち切れるかね」
上座に座る白髪のギルド長が、環に向かって静かに問いかけた。
会議室の視線が一斉にこちらに向けられる。
「……切れます。ただ、あの数が相手となると、いくら私でも体力が持ちません。途中で剣の耐久値も限界を迎えるでしょうね」
環は腕を組んだまま、極めて冷静に答えた。
虚勢を張ることもなく、己の限界という事実だけを淡々と述べる。彼女もSランクとしての経験から、無謀な特攻がパーティをどういう末路に導くかを痛いほど理解しているのだ。
「なるほど。そこで、君たち『サウンド・オブ・ブレイブ』に正式に依頼したい」
ギルド長が、俺と環を真っ直ぐに見据えた。
「先日のレイド・フェスでの君たちの戦果は、見事の一言だった。君たちのあの『音波』を用いた広域への支援と、物理的な振動による破壊力……あの力があれば、この重装甲地帯の強固な殻を内側から砕き、突破口を開けるのではないかと考えている。……引き受けてもらえるか」
「やらせていただきます」
環が即答し、軽く頭を下げた。
他のクラン代表たちの視線が、再び俺たちに向けられる。値踏みするような目、警戒するような目、あるいは嫉妬。トップクランになったということは、常にこういう面倒な視線に晒されるということだ。
重苦しい会議が終わり、本部を出て地下駐車場へ向かうエレベーターの中で、環がようやく小さく息を吐いた。
「引き受けたわよ、近藤さん。あの装甲を砕く策はあるんでしょうね」
「ああ。昨日も千夏さんと話したが、今の俺たちの音の構成じゃ、あの分厚い鉱石の装甲を突破するのは効率が悪すぎる。強力な『打撃音』が必要だ」
「新しいメンバーを探すって話よね。具体的には?」
「最前線で魔物を直接殴り飛ばしながら、一切ブレずに正確なビートを刻めるイカれたドラマーだ。……ま、そう簡単には見つからないだろうがな」
エレベーターの扉が開き、薄暗い地下駐車場に出る。
コンクリートの冷たい空気を吸い込みながら、俺たちは迎えの車へと向かった。
翌日の午後。
俺はキャップと千夏に選ばれたサングラスで軽く顔を隠し、御茶ノ水の楽器店街を歩いていた。
隣には、オーバーサイズのスタジャンに黒のスキニーパンツを合わせたアナスタシア――アーニャが並んで歩いている。彼女も深くキャップを被り、黒いマスクで一応の変装はしていた。
「で、なんでお前がついてくるんだ。オフだろ今日は」
「別にいいでしょ。暇だったし」
アーニャはスマホの画面をスクロールさせながら、そっけなく答える。
「それに、プロデューサーがどういう音を求めてるのか、私も知っておかないと。新しい人が入って、私のサンプリングの邪魔になるような不快な音出されたら最悪だからね」
素直じゃない言い回しだが、彼女なりの気遣いなのだろう。口では文句を言いながらも、パーティ全体の音楽的なバランスを誰よりも気にしているのは、このZ世代の天才DJなのだ。
「そうか。じゃあ、ちょっと耳を貸してくれ」
俺たちは一軒の老舗楽器店に入り、奥のドラムコーナーへと向かった。
木胴のメイプルから金属胴のブラスまで、様々な材質のスネアドラムがずらりと並ぶ棚の前。俺は店員に軽く断ってから、スティックを借りていくつかのアタック音を試させてもらった。
タァンッ! スパーンッ!
乾いた鋭い音が店内に響く。
「……これじゃないな。金属的で抜けはいいが、軽すぎる。もっと腹の底の臓腑に直接響くような、重くて硬い、質量のある音が欲しい」
俺が次々とスネアのチューニングを確かめながら試奏していく横で、アーニャはスマホの解析アプリを立ち上げ、波形を測定していた。
「ふーん……今のやつ、アタックの立ち上がりは速いけど、低音域がスカスカだね。私のベースドロップの重低音と重ねるなら、もっと中低音に分厚い芯がある音じゃないと、ただの耳障りなノイズになっちゃうよ」
「そうなんだよ。魔物のあの分厚い装甲にヒビを入れるなら、空気の振動そのものがハンマーのような武器になるような、圧倒的な質量を持った打撃音が必要だ」
いくつか材質の違うものを試したが、どれもしっくりくるものはなかった。
当然といえば当然だ。楽器はあくまで音楽を奏でるための楽器だ。俺たちが今求めているのは、魔物との血生臭い実戦の中で鳴らす「武器としての打撃音」だ。既存の平和なドラムセットでその条件を満たすのは、根本的に難しいかもしれない。
「……とりあえず、今日のところはこの辺にしとくか」
俺がスティックを返し、小さくため息をつくと、アーニャもスマホをポケットにしまった。
「お腹空いた。プロデューサー、甘いもの食べたい」
彼女の容赦ない要求に従い、俺たちは楽器店街の裏手にある、落ち着いた雰囲気のカフェに入った。
木目調のテーブル席につき、アーニャは山盛りのホイップクリームと大粒のイチゴが乗ったスフレパンケーキを注文し、俺はブラックコーヒーを頼んだ。
「よくそんな暴力的な甘いものを、平気な顔で食えるな」
「頭使った後は絶対的に糖分が必要なの。プロデューサーも一口食べる?」
「いや、遠慮しとく。ブラックコーヒーの苦味が消える」
アーニャはフォークでフワフワのパンケーキを切り分け、ホイップクリームをたっぷりと絡めて美味しそうに頬張った。
しばらく無言でパクパクと食べていたが、やがてストローでアイスティーを啜りながら、ぽつりと口を開いた。
「ねえ、プロデューサー」
「ん?」
「新しい人……ちゃんとウチのバンドに馴染めるかな」
パンケーキを見つめる彼女の青灰色の瞳が、少しだけ不安そうに揺れていた。
「今の7人のバランス、結構気に入ってるんだよね。みんな性格は変だしバラバラだけど、音はちゃんと重なってるし。……もし、全然ウチのノリに合わない人が来て、ギスギスした空気のまま戦うことになるのは嫌だな」
俺はコーヒーカップをソーサーに置き、彼女の顔を見た。
普段は斜に構えて生意気な口ばかり叩いているが、彼女もまだ20歳の女の子だ。急激に変化していく環境の中で、ようやく見つけた自分らしくいられる居場所が壊れることを、無意識に恐れているのだろう。
「心配すんな」
俺は静かに、だがはっきりと答えた。
「音楽の趣味が違うのも、性格が合わないのも、バンドじゃ日常茶飯事だ。大事なのは、そいつが極限の戦場で、ちゃんと周りの音を聴けるかどうかだ。独りよがりな爆音を鳴らすだけの奴なら、俺が弾き出す。……俺がしっかり見極めるよ。ウチのグルーヴに合わなきゃ、入れないだけだ」
「……そ。ならいいけど。プロデューサー、案外お人好しで押しに弱いところがあるから心配してたの」
「失礼なやつだな」
俺が苦笑すると、アーニャもふっと安心したように表情を緩め、残りのパンケーキを綺麗に平らげた。
「でもさ、そういう前線で魔物と戦える打楽器奏者なんて、どうやって探すの? ギルドの公式な登録データにも、そんな変なスキルの持ち主、そうそういないでしょ」
アーニャの指摘はもっともだった。
普通、音楽系のスキルを持つ者は後方支援に回るのが定石だ。最前線で物理的な打撃を加えながら正確にリズムを刻むような命知らずは、正規のルートで探しても見つからないだろう。
「正規のルートにいないなら、裏を探すしかないな」
「裏?」
「ああ。ギルドの管轄外で、己の腕っぷし一つで日銭を稼いでる荒くれ者が集まる場所だ。たとえば……非合法な地下闘技場とかな」
俺の言葉に、アーニャが目を丸くした。
「地下闘技場って……映画とかに出てくるような、血みどろのルールのない殴り合い?」
「似たようなもんだ。俺も昔バンドやってた時代に、怪しいハコの繋がりで何度かその手の噂を耳にしたことがある。あそこなら、イカれたリズム感を持った実戦向きの喧嘩屋が見つかるかもしれない」
残っていたコーヒーを飲み干し、俺は立ち上がった。
アーニャも伝票を手に取り、席を立つ。
「帰ったら、ウチのプロデューサーに情報収集を頼もう。千夏さんなら、そういう裏のネットワークにも顔が利くはずだ」
「千夏さんなら、数分でリストアップしてくれそうだね。……なんか、また面倒で騒がしいことになりそう」
アーニャは呆れたように肩をすくめながらも、その口元には隠しきれない好奇心の笑みが浮かんでいた。
俺たちはカフェを出て、夕暮れが近づく御茶ノ水の街を駅に向かって歩き出した。




