第52話 殺到するオファーと、プロデューサーの辣腕
世界トレンド1位を獲得し、押しも押されもせぬトップクランとなった『サウンド・オブ・ブレイブ』。
だが、世田谷のクランハウスの昼下がりは、テレビの向こうの熱狂とは裏腹に、ごま油と出汁の香ばしい匂いに包まれていた。
「さてと。腹を空かせた大食いモンスターたちのために、パパッと作戦を開始するか」
俺は広大なアイランドキッチンに立ち、腕まくりをした。
今日の昼飯のメニューは『特製そーめんちゃんぷるー』だ。
沖縄の家庭料理だが、素麺は茹で加減や炒め方を少しでも間違えると、ベチャベチャのダマになってしまうという意外に難易度の高い料理である。だが、元バンドマンで自炊歴の長い俺の手に掛かれば、店で出すレベルのパラパラで旨味の詰まった一皿になる。
まず、たっぷりの沸騰したお湯に、小豆島産の高級手延べ素麺をパラパラと投入する。
規定の茹で時間が『2分』なら、俺は絶対に『1分』で引き上げる。ここが最大のポイントだ。芯が少し残る「バリカタ」の状態で素早くザルにあけ、流水で一気にヌメリを洗い流し、氷水でキュッと締める。
「ワンッ、ワンッ!」
足元では、豆柴のファズがごま油の匂いにつられてやってきて、「僕のご飯はまだか」とばかりにフローリングをシャカシャカと掻いている。
「お前のは味付け無しの豚肉を茹でてやるから、ちょっと待ってろ」
ファズの頭をひと撫でしてから、俺は水気を極限まで切った素麺に、ツナ缶のオイルと少量の純正ごま油を回しかけ、麺の表面をしっかりとコーティングする。これで炒めた時に麺同士がくっつくのを防ぐのだ。
次に、中華鍋を強火で熱し、豚バラ肉、薄切りの玉ねぎ、千切りにしたニンジン、そしてスパムを香ばしく炒める。
具材に火が通ったところで、コーティングした素麺を一気に投入。
ここからは時間との勝負だ。中華鍋を煽り、具材と素麺を宙に舞わせて空気をはらませる。
ジュワァァァァッ!
鍋肌から、鰹出汁と少量の薄口醤油、そして隠し味のコーレーグースを回し入れる。
出汁を素麺の芯に吸わせながら、余分な水分を強火で飛ばしていく。最後にたっぷりのニラと溶き卵を流し込み、半熟の状態で全体に絡めれば完成だ。
「よし、出来上がりだ。お前ら、昼飯にするぞ!」
俺が巨大な大皿にこんもりと盛られたそーめんちゃんぷるーをダイニングテーブルに運ぶと、リビングの巨大なL字ソファでくつろいでいた面々が、飢えた猛獣のように群がってきた。
「……んんっ、ごま油と出汁のいい匂い……」
「アタシ、これ大好きなのよね。スパムが入ってるのが最高だわ」
寝起きの村上環と、ストレッチを終えたばかりの西村実那子が、真っ先にフォークとお箸を手に取る。
斉藤ナナとザーナ・ベリシャの酒飲みコンビは、当然のように昼間からオリオンビールをプシュッと開けていた。
「いただきます! ……うまっ! なにこれ、素麺なのに全然ベチャッとしてない! パラパラで、出汁の旨味が麺の一本一本に染み込んでるわ!」
「本当だぜ。スパムの塩気と卵の甘みが絶妙だ。ビールのつまみにも最高だな、髭!」
「ズルズル……咀嚼音が、脳に心地よいです。店長、おかわり」
環、ザーナ、太田真生が次々と喉を鳴らす。
アーニャも「おじいちゃんの麺類、マジでハズレないじゃん」と文句を言いつつ、山盛りの素麺をあっという間に平らげていく。
だが、そんな和やかな昼食の輪から外れ、ただ一人、リビングのデスクで頭を抱えている女がいた。
「……ダメよ。こんなバラエティ番組、私たちのブランドイメージに合わないわ。却下。こっちのエネルギー飲料のCMは? ……衣装が露出過多? ふざけないで、私たちはアイドルじゃないのよ。速攻でゴミ箱行きね」
我らがプロデューサー、坂本千夏だ。
彼女の目の前には、三枚のモニターと二台のタブレット、さらに鳴り止まない業務用スマートフォンが並べられている。
世界トレンド1位を獲得して以来、各国のメディアや企業から『サウンド・オブ・ブレイブ』への出演依頼やタイアップのオファーが、まさに雪崩のように殺到していたのだ。
「千夏さん、飯食わないと倒れますよ。冷める前にこっちへ来てください」
「無理よ、近藤さん! 今、欧州の高級オーディオブランドとのアンバサダー契約の条件を詰めてるところなんだから! あと、北米のギルド本部から来てる特番の密着ドキュメンタリーのオファーも捌かないと……」
千夏は眼鏡を押し上げ、血走った目でキーボードを猛烈な勢いで叩いている。
見かねた環が、そーめんちゃんぷるーを小皿に取り分け、千夏の口元へスッと差し出した。
「ほら、千夏。一口だけでも食べなさい。近藤さんのご飯を食べないと、頭回らなくなるわよ」
「あ、ありがと……」
千夏は素麺を口に含んで咀嚼し、目を丸くした。
「……っっ、美味しい! 疲れた脳に豚肉のビタミンBと炭水化物が染み渡るわ……!」
千夏は涙ぐみながら素麺をゴクンと飲み込んだ。
俺は千夏の隣に温かいほうじ茶を置きながら、モニターに映し出された山のようなオファーのリストを眺めた。
「それにしても、凄い数だな。日本のゴールデンのバラエティ番組から、海外の謎のサバイバル番組まであるぞ。……おい、この『激辛ダンジョン飯に挑戦!』って企画、なんだこれは。俺の料理をバラエティの罰ゲーム扱いする気か? 冗談じゃないぞ」
俺が顔をしかめて指差すと、千夏は「チッチッチ」と人差し指を振った。
「でしょ? 目先の金に釣られちゃダメ。私たちは今、世界で一番注目されている『探索者』であり、『アーティスト』なのよ。自分たちの『音』と『強さ』、そして貴方の『料理』を安売りするようなオファーは、絶対に受けない」
千夏の瞳には、凄腕のプロデューサーとしての強烈な矜持が宿っていた。
「テレビ局の連中は、私たちを消費しやすい『おもしろタレント』の枠に押し込めようとしてるわ。でもね、私たちが命を懸けて鳴らしたあのBPM190の暴音は、バラエティのひな壇でヘラヘラ笑いながら消費されていいものじゃないわ」
「……全くだ。千夏さんの言う通りですよ」
俺は深く頷いた。
千夏は、かつての俺のバンドがメジャーデビュー目前で直面した「商業主義との妥協」という罠を、直感的に、そして完璧に回避しようとしてくれている。
音楽の方向性を捻じ曲げられ、アイドルのように扱われそうになった過去の苦い記憶。あの時、俺たちを守ってくれるこんな辣腕のプロデューサーがいれば、あんな無惨な解散の仕方はしなかったかもしれない。
「だからね、オファーは徹底的に選別するわ。私たちのプレイスタイルをリスペクトしてくれる、本物の音楽番組、あるいは高級楽器メーカーのアンバサダー、そして純粋なダンジョン攻略のドキュメンタリー。……受けるのは、私たちの『音』の価値をさらに高めてくれるものだけよ」
千夏の力強い宣言に、リビングで食事をしていたメンバーたちも一斉に頷いた。
「当然だ。私のステップは、安っぽいテレビカメラの前じゃ踏めないからな」
「アタシの歌も同じよ。魂が乗らない場所で歌うくらいなら、ダンジョンの底で魔物相手にシャウトしてる方がマシだわ」
ナナと実那子が、グラスを掲げて千夏のプロデュース方針を支持する。
アーニャも「千夏さん、マジリスペクト。ダサい大人にはなりたくないし」と親指を立てた。
「よし、方針は決まりだ。交渉事は全部千夏さんに任せる。俺たちは、今まで通りダンジョンで最高の音を鳴らすための準備をするだけだ」
俺がそう締めくくると、千夏は「ええ、任せてちょうだい」と不敵な笑みを浮かべ、再びモニターへと向き直った。
数時間後。
オファーの嵐をあらかた捌き終えた千夏が、リビングのソファに深く沈み込み、長い長いため息をついた。
「……終わったぁ。とりあえず、直近のスケジュールは固まったわ」
俺が淹れた特製のスパイス・チャイを受け取りながら、千夏は安堵の表情を見せる。
足元では、味無しで茹でた豚肉の切れ端を平らげたファズが、満腹になって千夏の足元に丸まって、彼女のつま先に顎を乗せて爆睡していた。
「お疲れ様です、プロデューサー。で、俺たちの次のステージはどこになるんですか?」
俺が尋ねると、千夏はチャイを一口飲み、少しだけ真剣な表情になった。
「……国内のスポンサー契約もいくつか結んだんだけど、実は、ギルドの日本支部から直接『指名依頼』が来てるのよ」
「指名依頼? 俺たちに?」
「ええ。新宿第4迷宮の深層に、新種の『重装甲地帯』が出現したらしいの。そのエリア、異常な魔力干渉で魔法が効かない上に、魔物たちが分厚い鉱石の装甲を纏っていて、普通の物理攻撃じゃ傷一つつけられない状態になっているみたいでね」
千夏はタブレットの画面を俺に向けた。
そこには、全身を岩石のような分厚い装甲で覆われた異形の魔物たちが、鈍い動きでひしめき合っているダンジョンの風景が映し出されていた。
「ギルドの上層部は、私たちの『音による連携』なら、この超硬質の装甲の群れを突破できるんじゃないかって期待してるのよ。……世界一のトップクランとしての、最初の腕試しってわけ」
「なるほど。魔法が駄目なら、物理的な音波の振動で装甲を砕けってことか」
俺はタブレットの画像を見つめながら、顎髭を撫でた。
「……でも、この分厚い装甲の群れを相手にするなら、俺のベースの重低音だけじゃ、少し『アタック』が足りないかもしれないな」
「アタック?」
「ああ。音の輪郭をハッキリさせる、打楽器の『点』の音だ。……環の大剣やザーナの盾の打撃音でも代用できるが、もっと純粋な、装甲を直接叩き割るような強力な『ビート』があれば、攻略はもっと確実になる」
俺の言葉に、千夏が目を輝かせた。
「それって、つまり……新しい『楽器』を入れるってこと?」
「かもな。世界一のバンドになったんだ、リズム隊を完璧に完成させる時期かもしれない」
俺はベースの太い弦を思い浮かべながら、ニヤリと笑った。
レイド・フェスの熱狂を越え、俺たちはさらなる高みへ向かおうとしている。
新たなダンジョン、新たな音、そして新たな仲間。
トップクラン『サウンド・オブ・ブレイブ』の新たなステージは、まだ始まったばかりだ。




