第40話 真生とアーニャ、凸凹コンビの潜入捜査
奥多摩の保養所での強化合宿、最終日の早朝。
いよいよ今日が、ギルド公式の大規模イベント『レイド・フェス』の当日だ。
俺は夜明け前に一人で起き出し、キッチンで本番に向けた陣中食の仕込みを行っていた。
「……おはよう、髭」
背後から声がした。
振り返ると、ザーナ・ベリシャがレザージャケットを羽織り、ヘルメットを小脇に抱えて立っていた。
「おはよう、ザーナ。早いな。緊張で眠れなかったか?」
「バカ言え。コソボの戦場じゃ、決戦の朝は誰よりも早く起きて武器の手入れをするのが流儀だ。……それより、少し付き合え」
「付き合うって、これから出発の準備が……」
「いいから来い。重戦車の命令だぞ」
ザーナは俺の首根っこを掴み、強引にガレージへと連れ出した。
そこには彼女の愛車である大型バイクが停まっていたが、後部の巨大なパニアケースには、見覚えのある俺の小型クーラーボックスがすでにしっかりと固定されていた。
「……抜け目ないな、アンタ」
「当然だ。お前の飯なしで決戦に向かえるか。最小限の機材は積んである」
彼女のバイクに跨らされ、俺たちは夜明け前の冷たい山道を駆け下りた。
数十分後。バイクは視界の開けた展望台の駐車場に停まった。
眼下には、朝靄に包まれた東京の街並みが広がっている。遠くに見える新宿の摩天楼が、これから俺たちが向かう戦場だ。
「……いい景色だろ?」
「ああ。目が覚めるな」
ザーナは防波堤に腰掛け、大きく伸びをした。
俺はクーラーボックスを開け、機材を展開した。積んできたのはカセットコンロと、分厚い鉄でできた直火式のホットサンドメーカーだ。
「今日の朝飯は『キューバサンド』だ」
俺が取り出したのは、細長いパン――バゲットよりも少し柔らかいキューバパンだ。
横半分にスライスし、内側にマスタードをたっぷりと塗る。
パンの上に、自家製のローストポークを厚めにスライスして乗せ、さらにロースハム、スイスチーズ、そしてディル・ピクルスをたっぷりと重ねる。
「そして、ここからが重要だ」
俺はパンの表面に澄ましバターをたっぷりと塗り、熱したホットサンドメーカーで挟み込んだ。
それをコンロの火にかけ、上から体重をかけてギュッと押し潰すように焼いていく。
ジュウウウウッ……!
バターが焦げる香ばしい匂いと、溶け出したチーズの香りが、朝の澄んだ空気に溶け込んでいく。
両面をカリカリになるまでプレスして焼き上げ、斜めにカットする。
サクッ、という完璧な音が響いた。
「美味そうだな……!」
「飲み物はこれだ。『カフェ・クバーノ』。キューバ式のエスプレッソだ」
俺は保温ボトルから、濃く抽出してきたコーヒーを注いだ。そこにブラウンシュガーをたっぷりと加えて、スプーンで勢いよくかき混ぜ、甘い泡の層を作る。
「さあ、食ってくれ」
ザーナはキューバサンドを受け取り、大きな口を開けてかぶりついた。
ザクッ!
「……んんっ!!」
ザーナは雷に打たれたような顔で、手元のサンドイッチと俺を交互に見つめた。
「パンがサクサクだ! なのに中はチーズがトロトロで……プレスされることで、ローストポークの旨味とピクルスの酸味が完全に一体化してる! 噛むほどに新しい味が爆発するぞ!」
「押し潰して焼くことで、すべての具材が層じゃなく『一つの味』になるんだ。一口で完璧なバランスが味わえるだろ」
ザーナは夢中でサンドイッチを咀嚼し、合間にカフェ・クバーノをぐいっと煽った。
「……ハッ! 苦い! けど、すっごく甘い! 脳天をガツンと殴られたみたいに目が覚めるぜ!」
「強烈な肉の旨味には、これくらい甘くて濃いコーヒーじゃないと負けちまうからな」
俺も自分の分を頬張りながら、朝焼けの空を見上げた。
心地よい疲労感と、満腹感。
「……なぁ、髭」
ザーナがコーヒーの紙コップを持ったまま、ポツリと口を開いた。
「いよいよ今日だな。あの【Noize】の気取った連中を、正面から叩き潰す日が」
「ああ。アンタの盾があれば、俺たちは絶対に負けない」
「当然だ。私を誰だと思ってる。コソボの戦場を生き抜いた重戦車だぞ」
ザーナはニヤリと笑い、俺の肩をバンと叩いた。
「私の後ろで、最高のビートを鳴らし続けろ。お前の『音』がある限り、私の盾は絶対に砕けないからな」
「……了解だ。俺のベースラインで、アンタを世界一硬い壁にしてやるよ」
俺たちは、朝焼けの光の中で短く拳を突き合わせた。
決戦前の静かな儀式。
俺たちの心は、すでに完璧にチューニングされていた。
午前9時。
新宿第3迷宮の特設ゲート前は、異様な熱気に包まれていた。
『レイド・フェス』の開催。ギルド公式のイベントであり、国内外のメディアが殺到している。
プロデューサーの千夏は、受付やメディア対応で忙しなく駆け回っていた。
俺たちサポートメンバーは、割り当てられた専用テントの中で、機材の最終チェックを行っていた。
「……あれ?」
太田真生が、自分のノートPCと接続されたミキサーの画面を見つめながら、不快そうに眉をひそめた。
彼女の耳には、愛用のノイズキャンセリング・ヘッドホンが装着されている。
「どうした、真生。機材の不調か?」
「いえ……店長、この音声ライン、何かおかしいです」
真生はキーボードを叩き、波形データをモニターに表示させた。
「私たちの配信用の音声出力ラインに、微細な『遅延』を発生させるパケットが混入しています。それと、意図的な『ノイズ』を定期的に発生させるスクリプトも」
「なんだと?」
俺はモニターを覗き込んだ。
もし本番中にそんなものが作動すれば、俺のBGMと環たちの動きがズレてしまう。俺たちの最大の武器である「音響共鳴」のシンクロ率を根底から破壊する、極めて悪質な妨害工作だ。
「……【Noize】の連中だな」
俺が舌打ちすると、隣でスマホを弄っていたアナスタシア――アーニャが、面白そうに顔を上げた。
「へえ、物理的な結線にバックドア仕掛けるなんて、古典的だけど確実なやり方だね。……で、真生。発信源は特定できる?」
「もう特定しました。IPの経路を逆探知したら、すぐそこのDブロック……【Noize】の特設ベースにある、機材コンテナのサーバーからです」
真生は淡々と答える。
「ムカつく。私の完璧なミックスにゴミ混ぜようとするなんて、万死に値するんだけど」
アーニャがパーカーの袖をまくり上げ、青灰色の瞳をギラつかせた。
「ねえ、真生。ちょっと『害虫駆除』に行かない?」
「……だるいです。歩きたくないです」
真生は塩対応で即座に拒否したが、アーニャは彼女の腕をぐいっと引っ張った。
「いいから! 店長の音を汚されようとしてるんだよ? 腹立たないの?」
「……まあ、不協和音を押し付けられるのは不快です」
真生は渋々といった様子で立ち上がった。
俺は二人を止めようとしたが、アーニャが「プロデューサーはここで待ってて。Z世代のデジタル戦争は、ウチらに任せなさい」とウィンクをしてきた。
「無茶はするなよ。見つかったら面倒なことになるぞ」
「大丈夫、痕跡なんて残さないから」
そう言って、20歳の凸凹コンビはテントを出ていった。
【Noize】の機材ベースは、関係者以外立入禁止の厳重なセキュリティエリアにあった。
特設テントの裏手に横付けされた、頑丈な防音コンテナトラック。その入り口には、強固な電子ロックがかけられている。
「パスコード式か。ハッキングツール繋ぐ?」
「不要です」
真生は電子ロックのキーパッドに耳を近づけた。
そして、自分の音叉型短剣を取り出し、チーンと小さく鳴らす。
【絶対調律】。
真生の耳は、キーパッドのボタンが押された時に発生する微細な「電子音の周波数」の履歴を、空間の反響から読み取っていた。
「……ピ、ポ、パ、ピ。……『4・1・7・9』です」
真生が迷いなくボタンを押すと、カチャリという音と共に電子ロックが解除された。
「……相変わらず、人間辞めてる耳だね」
アーニャが呆れながら扉を開ける。
コンテナの中には誰もいなかった。全員、表のメディア対応や本番の準備に出払っているのだろう。
中央には、配信を管理する巨大なメインサーバーが鎮座していた。
「さーて、お掃除の時間だよ」
アーニャが自身のホログラムコンソールを展開し、サーバーのポートに直接ケーブルを接続した。
彼女の指が、虚空のキーボードを恐ろしい速度で叩き始める。
「セキュリティ甘すぎ。こんなんでサイバー戦仕掛けてくるとか、Z世代舐めんなっての」
アーニャはほんの数十秒で、サーバーの管理者権限を奪取した。
そして、俺たちの回線に仕掛けられていた妨害スクリプトを完全に削除し、二度と侵入できないように強固なファイアウォールを展開した。
「よし、駆除完了」
アーニャがコンソールを閉じる。
「……やり返さないんですか? 向こうの配信にノイズを混ぜるとか」
真生が尋ねると、アーニャはふんと鼻を鳴らした。
「そんな三流の泥仕合、プロデューサーが喜ばないでしょ。私たちは、一番目立つステージで、あいつらの偽物の音を正面から叩き潰すの。こんなコソコソした罠なんて必要ない」
「……そうですね。同感です」
二人の天才は、息の合った連携で敵の不正を完全に防ぎきり、誰にも気づかれることなくコンテナを後にした。
「ただいま戻りました」
「お疲れ。どうだった?」
テントに戻ってきた二人に、俺は淹れたてのアイスティーを手渡した。
「完璧だよ! 妨害電波は完全にカットして、鉄壁のファイアウォール敷いといたから。罠は仕掛けずに帰ってきてあげたよ」
アーニャが誇らしげにVサインを作る。
真生はアイスティーを飲みながら、ソファにコテンと倒れ込んだ。
「……少し歩いただけで疲れました。糖分を要求します」
「はいはい、用意してあるよ。二人ともよく我慢してくれた」
俺はクーラーボックスから、小さなタッパーを取り出した。
中に入っているのは、色鮮やかな『マカロン』だ。
昨夜、時間を見つけて焼いておいたものだ。フランボワーズ、ピスタチオ、そして塩キャラメルの3種類。
「うわっ、マカロン! 店長、こんなのも作れるんですか!?」
「手先は器用だからな。ガナッシュには少し洋酒を効かせてある」
真生とアーニャは、先程までの凄腕ハッカーの顔から一転、年相応の女の子の顔になってマカロンを頬張った。
「サクサクでネチッとしてる……! すっごく甘くて、疲れが吹き飛びます」
「ん〜! 有名店のやつより美味しい! プロデューサー、これ売ろうよ!」
二人がキャッキャと騒いでいると、テントの入り口が開き、千夏と環、そして実那子が戻ってきた。
「さあ、お喋りはそこまでよ!」
千夏がパンッと手を叩く。
その顔は、完璧なプロデューサーのそれに切り替わっていた。
「ギルドのゲートが解放されるわ。作戦は昨日の夜に詰めた通り。……近藤さん、準備はいい?」
「ああ。最高の『音』を鳴らす準備はできてる」
俺はベースを背負い、ミキサーのケースを手にした。
外に出ると、地鳴りのような歓声が俺たちを包み込んだ。
数万人の観衆と、無数のカメラ。
その熱気の中心へ向かって、俺たち『サウンド・オブ・ブレイブ』の7人と1匹は、堂々と歩き出した。
深層の主を屠るための、最後にして最大のライブが、今、幕を開ける。




