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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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39/50

第39話 千夏と実那子、演出家の苦悩

 奥多摩の保養所での強化合宿、その最終日の深夜。

 昼間のうちにメンバー全員での『新曲』の音合わせを終え、他の面々が過酷な疲労で泥のように眠る中、一階の広大なラウンジには、まだ明かりが灯っていた。


「……ダメね。これじゃあ、ただの『強い奴らが好き勝手に暴れてるだけの動画』よ。あの【Noize】の連中を完全に喰うには、エンタメとしてのカタルシスが足りないわ」


 坂本千夏が、テーブルに散乱したタブレットとホログラムのモニターを睨みつけながら、深いため息をついた。

 彼女の目の前には、昼間のテスト走行の映像データと、【Noize】が過去に行った大規模レイド配信のアーカイブ映像が同時に再生されている。


 プロデューサー兼演出監督としての千夏の苦悩は、深い。

 菊雄がこの合宿で仕上げてきた新曲のデモは、環やザーナ、アーニャたちの強烈な個性を一切丸めず、不協和音スレスレでぶつけ合うような、すさまじくアクの強いビートだった。

 戦闘力としては申し分ない。だが、映像作品としての【Noize】の配信は、計算し尽くされたカメラワークとフォーメーションによる、一つの完成された『ショー』だ。


「生のライブ感を両立させつつ、この無茶苦茶な『音』を映像としてどうやって一つの作品にまとめるか……完璧な絵コンテが必要なのよ」


 千夏は赤毛をかきむしり、もう一度タブレットのタイムラインを白紙に戻した。


 そして、千夏の対面。

 同じテーブルの端では、西村実那子もまた、頭を抱えて唸っていた。


「ああもうっ……言葉が、降りてこないわ……!」


 実那子の手元には、五線譜が印刷されたノートとペンがある。

 書き殴られては黒く塗りつぶされた歌詞の断片が、いくつもページを汚していた。


「菊雄の野郎、とんでもないベースライン作ってくれちゃって。他の連中の音がデカすぎて、アタシのボーカルが埋もれちゃうのよ。この強烈なオカズの中で、どうやってメインディッシュとしての『歌』を立たせるか……」


 実那子はペンをテーブルに放り投げ、ソファの背もたれに深く沈み込んだ。

 二人のプロフェッショナルが、それぞれの領域で分厚い壁にぶち当たっている。

 ラウンジには、エアコンの微かな駆動音だけが重苦しく響いていた。


「……根詰めてるな、お二人さん」


 不意に、ラウンジの入り口から声がした。

 千夏と実那子が顔を上げると、エプロン姿の俺が、大きなお盆を手に持って立っていた。


「近藤さん? まだ起きてたの?」

「明日の決戦に向けた仕込みをしてたら、こんな時間になりましてね。ラウンジに明かりがついてたから、もしやと思って夜食を持ってきましたよ。千夏さん、少し休んだ方がいい」


 俺はテーブルの空いたスペースにお盆を置いた。

 実那子にも視線を向ける。


「実那子も、歌詞に行き詰まってるなら一息入れろ。プロの脳みそを回すには、糖分と強烈な刺激が必要だろ」

「……あんたのそのお節介、昔から変わらないわね」


 実那子が苦笑しながら身を起こす。


「で? 今夜の夜食は何なの。この時間から重たいお肉とかは勘弁してよね」


 千夏が目を瞬かせながらお盆の中を覗き込んだ。


「安心してください。夜食の王道、『バタートースト』です」

「トースト? 普通ね」

「俺が普通のものを出すと思いますか?」


 俺はニヤリと笑い、皿の上のトーストを指差した。


「ただのトースターで焼いたパンじゃありません。極厚にスライスした高級食パンを、『フライパン』で焼いてあるんです。たっぷりの『澄ましバター』を溶かし、弱火でじっくりと、パンの表面を揚げるようにして火を通しました」


 きつね色に輝くトーストからは、芳醇なバターの香りが湯気と共に立ち昇っている。

 食パンの表面は、まるで巨大なクルトンのようにカリカリに仕上がり、内側にはパンの水分がしっかりと閉じ込められている。


「でも、これだけじゃただの美味しいパンだ。今日の主役は、これに塗ってあるペーストです」


 トーストの表面には、薄く、しかし存在感のある黒褐色のペーストが塗られていた。


「なにこれ、チョコレート? それとも黒ゴマ?」

「『マーマイト』です。イギリスの伝統的な発酵食品ですね。ビールの醸造過程で出る酵母エキスから作られています」


 その言葉を聞いた瞬間、千夏が「えっ」と顔をしかめた。


「マーマイトって……あの、世界一好き嫌いが分かれるっていう悪魔のペースト? 私、海外ロケで一度食べたことあるけど、しょっぱくて独特の匂いがして、全然食べられなかったわよ」

「ええ。確かにそのまま舐めると、強烈な塩気と薬品のような発酵臭で悶絶します。でも、それは食べ方が間違っているだけなんです」


 俺は自信を持ってトーストを勧めた。


「マーマイトは、たっぷりのバターと一緒に、トーストに『ごく薄く』塗るのが正解なんです。バターの乳脂肪分と甘みが、マーマイトの強烈なクセを包み込み、酵母の持つアミノ酸の爆発的な旨味だけを引き出してくれる。騙されたと思って、一口食ってみてください」


 千夏と実那子は顔を見合わせ、おずおずとトーストに手を伸ばした。

 そして、サクッ、と音を立ててかじる。


「……んっ!?」


 千夏は眼鏡の奥で目を丸くした。


「なにこれ……! 最初はバターの甘さが来るのに、後から信じられないくらい濃厚な旨味が……! しょっぱいんだけど、チーズとかお肉を食べてるみたいな深いコクがあるわ!」

「サクサクのパンの食感と合わさって、直接ガツンと響く味ね……! あの独特な匂いも、バターと混ざるとローストしたナッツみたいな香ばしさに変わってる。美味しい……!」


 実那子も驚愕の声を上げ、二口目、三口目と夢中でトーストを頬張り始めた。

 バターの優しさと、マーマイトの凶暴な旨味。相反する二つの要素が、口の中で完璧なハーモニーを奏でている。


「そして、この極端な旨味の余韻を断ち切るペアリングが、これです」


 俺はお盆から、氷がたっぷり入ったグラスを取り出した。

 中には、淡い黄緑色の炭酸飲料が注がれている。


「『シークヮーサー・ジュース』です。沖縄産の無糖のシークヮーサー果汁を、強炭酸水で割りました」


 千夏がトーストを飲み込み、グラスを受け取って一口飲んだ。


「……ッ、すっっっぱ!!」


 千夏が酸っぱさに片目をつむる。


「でも……すごく鮮烈! 果汁の強烈な酸味と一緒に、皮の微かな『苦味』が喉を駆け抜けていくわ。マーマイトの重たい旨味とバターの脂が、一瞬で洗い流されたみたい!」

「本当ね……。深夜の重たい頭が、この酸味と苦味でパッと冴え渡るわ。口の中に爽やかな雷が落ちたみたいにクリアになる」


 実那子もグラスを見つめ、感嘆のため息を漏らした。

 濃厚な旨味の塊であるバタートーストと、極限まで酸っぱく、微かに苦いシークヮーサー・ジュース。

 対極にある二つの味が口の中で完璧なセッションを奏でる体験が、行き詰まっていた二人のクリエイティビティに強烈な雷を落としたのが分かった。


「……ねえ、千夏」


 シークヮーサー・ジュースの氷をストローで鳴らしながら、実那子が不敵な笑みを浮かべた。

 その瞳には、先程までの憂鬱な色はなく、鮮烈な閃きの光が宿っている。


「アタシ、分かったわ。無理に他の連中の音に合わせようとするからダメだったのよ」

「と言うと?」

「菊雄の作ったこの『マーマイト』みたいにアクの強い新曲には、綺麗にまとまった言葉なんていらない。アタシはアタシで、このシークヮーサーみたいに、全員の音を切り裂くような『規格外の酸味』をぶつければいいのよ。それが、この曲の最高のフックになる!」


 実那子はペンを手に取り、真っ白な五線譜に向かって猛烈な勢いで言葉を書き殴り始めた。

 迷いはない。彼女の魂の奥底から湧き上がる熱いパッションが、そのままインクとなって紙に刻み込まれていく。


「……なるほどね。アクの強い個性を、さらに強烈なアクセントでまとめ上げる」


 千夏もまた、タブレットを手に取り、眼鏡の奥で鋭い光を放った。


「映像の演出も同じよ。バラバラな個性を無理に一つの画面に収めようとしてたからスケールが小さくなっていた。そうじゃない。最初は個々の戦いをあえてバラバラに多カメで映し出して……」


 千夏は俺の顔を見た。


「近藤さんのビートと実那子さんの歌声が重なるサビの瞬間に、その不協和音を実那子さんのシャウトと一緒に『一つのカメラ』へと強制的に収束させる。圧倒的な一体感の演出! ……これなら、【Noize】の機械的なショーを完全に喰えるわ!」


 千夏の手が、タブレット上で流れるように絵コンテを切り直していく。

 天才演出家と、Sランクの言霊歌手。

 二人のプロフェッショナルが、俺の提示した土台の上で、ついに『正解』へと辿り着いた瞬間だった。


「……お役に立てたようで何よりです」


 俺は空になった皿をお盆に乗せ、静かに微笑んだ。

 これで、俺たちが大舞台で放つ「弾」の設計図は完全に仕上がった。

 あとは、俺がその設計図通りに、いや、それ以上の熱量でベースを弾き鳴らすだけだ。


「菊雄! ここのBメロの入り、少しテンポを走らせてもいい!?」

「ああ、構わない。俺が裏拍で無理やり引き戻してやる」

「近藤さん! サビの直前で照明を全部落とすから、そこで2小節だけ完全な『無音』を作って!」

「了解です、プロデューサー。鳥肌が立つようなブレイクを作って見せますよ」


 深夜のラウンジで、熱を帯びたセッションの打ち合わせが続く。

 夜明けは近い。

 この合宿で培ったすべての成果は、数時間後に控えるレイド・フェス本番に集約される。

 俺はシークヮーサーの爽やかな香りが残るグラスを片付けながら、かつてないほどの高揚感と、戦場への渇望で胸を熱くしていた。

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