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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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第38話 ナナとザーナ、最強の盾と矛

 奥多摩の山中にあるクランハウスでの強化合宿、三日目の早朝。

 日の出前の山々は深い霧に包まれ、窓を開けると、濡れた土と苔のむせ返るような青臭い匂いが鼻腔をくすぐった。


 俺は他のメンバーが起き出す前に一人で厨房に立ち、朝食と昼食の仕込みを行っていた。

 巨大な寸胴鍋に張った水に、利尻昆布と血合い抜きの本枯れ節を大量に投入する。温度を徹底的に管理しながら、一切の雑味がない黄金色の一番出汁を引く。

 コトコトと鳴る微かな水音と、鰹のふくよかな香りが、冷え切った厨房の空気を優しく満たしていく。

 昨夜の環との雨上がりの対話を経て、俺の心は不思議なほど穏やかに凪いでいた。大舞台である『レイド・フェス』に向けた新曲の輪郭も、この出汁のように少しずつ澄み切ってきている。


「……ん、髭。早起きだな」


 背後から、低くて心地よい、だが少し掠れた声がした。

 振り返ると、斉藤ナナが入り口の柱に寄りかかって立っていた。

 寝起きなのか、いつもは艶やかに整っている長い黒髪が少し乱れている。薄手の白いカーディガンを羽織っているが、スリットの入った部屋着の裾から覗く素足がいかにも寒そうだった。


「おはよう、ナナさん。……朝からそれか?」


 俺が呆れたように言ったのは、彼女の手にすでに「迎え酒」と思われる日本酒のワンカップが握られていたからだ。


「失礼な。これは今日一日の活力を前借りしているだけだ。……それより髭、少し外の空気を吸いに行かないか?」

「散歩か? 構わないが、その格好じゃ冷えるぞ。ほら」


 俺は近くの椅子にかけてあった自分のフリースパーカーを投げ渡した。

 ナナは「お、気が利くな」とそれを受け取り、頭からすっぽりと被った。俺のサイズなので、彼女が着ると袖が完全に余って「萌え袖」のようになっている。

 普段の「仙女」と呼ばれる浮世離れした美貌と、そのだらしないシルエットのギャップが少し可笑しかった。


 保養所の裏手から続く山道は、立ち込める霧のせいで視界が5メートルもなかった。

 俺たちは無言で石畳を踏みしめ、森の奥へと進んでいく。

 靴の裏で枯れ枝が折れる音と、遠くで鳴く野鳥の声だけが響く。


「……静かだな」

「ええ。真生が喜ぶくらいの無響空間ですね。で、何の用だ? わざわざ俺を誘い出すなんて、酒のつまみの催促じゃないんだろ?」


 俺がそう言うと、ナナはクスクスと肩を揺らして笑い、やがて霧に霞む巨木を見上げて歩みを止めた。


「そうだな。……なあ菊雄。最近、うちの壁役の様子がおかしいと思わないか?」

「ザーナが? まあ、レイド・フェスが近いから気合いが入ってるんだろう。あいつは防衛戦でのトラウマがあるし、責任感が強いからな」

「そこだよ、私が気に食わないのは」


 ナナはワンカップをチビチビと舐めながら、不満げに鼻を鳴らした。


「あいつの放つ音が、最近ずっと重苦しいんだよ。悲壮感が漂ってて、隣で踊ってるこっちのステップまで重くなる。……あれじゃあ、美味い酒も不味くなるってもんだ」


 ナナの横顔から、いつもの酒乱の面影が消え、Sランクの『精霊舞踏家』としての鋭い感性が顔を覗かせていた。

 彼女は自分の無力さに悩むようなタマではない。「自分の踊るステージが他人のせいで濁るのが許せない」という、生粋のパフォーマーとしてのエゴだ。


「私は自分が気持ちよく踊れれば、それでいい。私の舞は究極の自己満足だ。でもな、あの金髪の重戦車が、一人で全部の攻撃を受け止めようとしてガチガチに固まっているのを見ると、どうにも調子が狂うんだよ」

「……なるほど。だからアンタが、直接あいつに文句を言いに行こうってわけか」

「まあな。でもその前に、少し頭を冷やしたくてね。お前を道連れにした」


 ナナは悪戯っぽく笑い、俺を見た。


「ベースっていう楽器も同じだろう? ドラムが走ったり重くなったりすれば、お前も弾きにくい。そういう時、お前ならどうする?」

「力ずくで俺のビートに引き戻すか……あるいは、そいつの無茶苦茶なテンポすらも俺のグルーヴに取り込んで、もっとデカい音にしてやるか、だな」

「フフッ、言うじゃないか」


 ナナは持っていたワンカップの蓋を開け、俺の口元に突き出してきた。


「ほら、飲め。霧の中のデートの記念だ。そして今日は、私とお前であの重戦車を強制的に躍らせてやるぞ」

「……間接キスとか気にしないのか、アンタは」

「ハッ、今更だろう。ほら早く」


 結局、朝の冷たい空気の中で、俺たちは一口ずつその安い酒を回し飲みした。

 アルコールの刺激が、霧に冷えた体の中にじんわりと熱を広げていく。

 仙女との山道デート。それは、嵐の前の、奇妙に穏やかで美しい時間だった。


 保養所に戻ると、霧は晴れ、眩しい朝日が射し込んでいた。

 だが、裏手の擬似ダンジョン訓練エリアからは、朝の静寂をぶち壊すような轟音が鳴り響いていた。


 ズドォォン! ズドォォン!


 ザーナ・ベリシャが一人、既に激しいトレーニングを開始していたのだ。

 彼女がタワーシールドをダミーの石柱に叩きつけるたびに、大地が揺れる。

 汗に濡れたプラチナブロンドの髪が乱れ、アイスブルーの瞳には、どこか悲壮なまでの集中力……いや、焦燥感が宿っていた。


「……ザーナ、飛ばしすぎだぜ。まだ朝飯も食ってないのに」


 俺が声をかけるが、ザーナは止まらない。


「髭か……。止めるな。今のうちに、私の盾を『絶対』にしておかなければならない」

「絶対?」

「レイド・フェスの変異種……昨日ギルドから送られてきた事前データを見ただろ。あの魔力濃度、そして広範囲の殲滅攻撃。今の私の防御では、お前たちを完璧に守り切れる保証がない。……私は、二度と仲間を失いたくないんだ」


 ザーナの言葉の端々に、コソボの戦場での深いトラウマが滲んでいた。

 彼女にとって、ダンジョン攻略は単なるゲームやビジネスではない。常に「あの凄惨な記憶」との戦いでもある。守りきれなければ自分の存在価値はない。そんな強迫観念が、彼女を極限まで追い詰めていた。


「おい、電柱女」


 背後から、ナナがトコトコと歩み寄った。

 先程までのしんみりとした空気はどこへやら、彼女は俺のフリースを脱ぎ捨て、いつものスリットの入ったチャイナドレス姿に戻っていた。


「お前、さっきから見てれば、動きがカクカクしてて不細工だぞ」

「なんだと、ナナ! 私の真剣な訓練を不細工呼ばわりするのか!」

「ああ、不細工だ。重苦しい。そんな悲壮な顔で壁になられても、私のステップが狂う」


 ナナは指をパチンと鳴らした。


「いいか、ザーナ。お前は『盾』だ。でも、ただの動かない壁になろうとするな。お前の心が固まれば、お前の後ろにいる私たちのリズムまで固まってしまう。……戦いは、もっと適当でいいんだよ」

「適当……!? メガクランとの命とプライドを懸けた戦いを、適当にやれと言うのか!」

「そうさ。だってさ――」


 ナナはひょいと跳躍し、ザーナの巨大な盾の上に着地して腰掛けた。

 そのまま、目を見開いて硬直するザーナの鼻先を指差す。


「お前がいくら必死に守ったって、死ぬ時は死ぬし、壊れる時は壊れる。そんな重いもん背負わなくていい。それよりも、『今夜食べる髭のご飯が楽しみだ』とか、『次はどの高いワインを空けようか』とか……そういう『不純な動機』のために盾を構える方が、人間らしくてずっといい音が出るぞ?」


「……不純な、動機……?」


 ザーナが呆然と呟く。

 ナナの、あまりにも「天然」で「享楽的」な、だが一点の曇りもない言葉。

 それが、ザーナのガチガチに固まっていた精神の防壁を、あっさりと突き崩した。


「そうさ。お前が眉間に皺寄せて守ってくれたって、私たちはちっとも楽しくないんだよ。……おい、ザーナ。お前が守りたいのは、私たちの『命』か? それとも、私たちの『笑顔』か?」


 ナナの真っ直ぐな問いに、ザーナは言葉を失った。

 数秒の沈黙の後、ザーナの肩からふっと力が抜け、彼女は空を仰いで大きく笑い出した。


「……ハッハッハ! 参ったな。このチビめ……。私のトラウマを、酒の肴にしおって」

「ははっ、認めたな! ほら、飲め! 景気づけだ!」


 ザーナはナナから渡された水のボトルをひったくると、豪快に飲み干した。

 そして、空になったボトルを地面に投げ捨て、俺に向き直った。


「髭! 指揮を頼む! ……少し、私の盾のテンポを『軽く』してみたい」

「……喜んで」


 俺はミキサーの電源を入れた。

 選んだのは、これまでの重厚なメタルやロックではない。

 軽快なアップテンポの『スカ・パンク』だ。

 裏打ちのチャカチャカとしたギターカッティングと、脳天気なまでに陽気なホーンセクションの音が訓練場に響き渡る。


「ザーナ、ナナさん! 矛と盾のセッションだ! リズムを共有しろ!」


 ザーナが動いた。

 先程までの地面に根を張るような重苦しい突進ではない。裏打ちのリズムに合わせて盾を軽やかに操り、敵の攻撃を受け止めるのではなく、その衝撃を利用してダンスを踊るように方向を逸らしていく。

 パリィの連続。

 その隣で、ナナが鉄扇を翻して舞う。

 青い光の粒子がザーナの盾を包み込み、防御の反発力をそのまま攻撃力へと変換していく。


 最強の盾と、最強の矛。

 二人のSランクが、俺の鳴らす陽気なビートの上で、かつてないほど自由に、楽しそうに躍動し始めた。


「……視えたわ。これが、私たちの『前衛』の完成形ね」


 朝食を終えて見学に来ていた千夏が、ドローンから送られてくる映像を見て満足げに頷いた。

 完璧な連携。一切の無駄を排除した、それでいて遊び心のあるグルーヴ。

 これこそが、俺たちの求める『サウンド・オブ・ブレイブ』の完成形に一歩近づいた瞬間だった。


 夜。

 今日の素晴らしい突破口を祝して、俺は厨房の熱源をフル稼働させて最高のスタミナ料理を作った。


「合宿三日目のメインは、奥多摩の恵みをふんだんに使った『軍鶏の山賊焼き』だ」


 俺がステンレスの調理台に乗せたのは、地元の養鶏場から仕入れた、身の締まった巨大な軍鶏の半身だ。


「山賊焼きの命は、醤油とニンニク、そして生姜をガツンと効かせたワイルドなタレだ。だが、俺流はさらに一工夫加える。タレの中に、すりおろした玉ねぎと少量の味噌、そして『奥多摩の地酒』を混ぜ込んでいる。これで肉の繊維を柔らかくしつつ、アルコールで臭みを完全に飛ばす」


 俺は軍鶏の表面にフォークで無数の穴を開け、真空パック機を使ってタレを細胞レベルまで一気に吸わせる。

 そして、片栗粉をたっぷりとまぶし、多めの油を引いた巨大な鉄鍋で、皮目から一気に揚げ焼きにする。


 バリバリバリッ!!


 油が弾ける暴力的な音と共に、焦げるニンニクの香りと鶏の脂の甘い香りが、保養所の食堂を完全に支配した。

 皮はポテトチップスのようにカリカリに泡立ち、身は弾力がありながらも溢れんばかりの肉汁を蓄えていく。


「焼けたぞ。デカいから、ハサミで豪快に切り分けて食ってくれ」


 大皿に盛られた山賊焼きの山。

 ザーナとナナが、真っ先に箸を……いや、もはや手で掴んでかぶりついた。


「……んんっ!! 最高だ!! この歯を押し返すような弾力、これこそ『肉』を食っている実感が湧く!」

「ニンニクがガツンと効いてて、たまらないぞ……! このカリカリの皮、反則級に美味い!」


 二人は競い合うように肉を平らげていく。

 その隣では、環と千夏、真生とアーニャ、実那子も、俺の作った特製の「冷製キャベツの塩揉み」を合間に挟みながら、夢中で軍鶏を頬張っていた。


「そして、今日のペアリングはこれだ。このワイルドな肉には、この『苦味』が一番合う」


 俺がクーラーボックスから取り出したのは、地元のマイクロブルワリーで作られた『奥多摩クラフトIPA』。

 ホップを通常の数倍も贅沢に使った、強い苦味とグレープフルーツのような柑橘系の香りが特徴のビールだ。


「冷えたグラスに注ぐと、ホップの爽やかな香りが広がる。IPAの鮮烈な苦味が、軍鶏の野性味をさらに引き上げ、噛むほどに旨味を増幅させるんだ。タレの甘辛さとホップの苦味が口の中でぶつかり合って、最高に分厚い味になるぞ」


 ナナがビールをクイッと煽り、大きく、満足げに息を吐き出した。


「……あぁ。生きてるな、私たち」


 彼女の何気ない、しかし温かな言葉に、ザーナが静かに、だが力強く頷いた。

 虚無でもなく、絶望でもない。

 明日もまた美味いメシを食い、バカな話をして、最高の音の中で笑いながら戦う。

 そんな単純で、だからこそ尊い「不純な動機」が、今の彼女たちの強固な盾となっていた。


「よし! 明日は合宿最終日だ! 全員で、あの変異種ボスをひれ伏させる最高のアンセムの最終調整をするぞ!」


 俺の掛け声に、美女たちがグラスを高く掲げて力強いユニゾンで応えた。

 不協和音は、もうどこにもない。

 俺たちの旋律は、今、一つの強固な意志となって、深層への道をはっきりと照らし出していた。

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