第36話 合宿! 温泉! 新曲作り!
大型の魔導バンが、深い緑に囲まれた山道を力強く登っていく。
目的地は奥多摩の山中にある、ギルド直営の探索者専用保養所だ。
「……空気が美味いな。マイナスイオンってやつか」
運転席でハンドルを握りながら、俺は大きく深呼吸をした。
助手席には豆柴のファズが大人しく座っている。後部座席では、村上環や坂本千夏たちが修学旅行の学生のように騒いでおり、太田真生だけがノイズキャンセリング・ヘッドホンを深く被り、死んだ魚のような目で車酔いと戦っていた。
来週に迫った一大イベント『レイド・フェス』。
そこで因縁の大手クラン【Noize】を叩き潰し、変異種ボスの一番槍を奪うため、俺たちは外部のノイズを完全に遮断したこの山奥で「強化合宿」を行うことにしたのだ。
「着いたわよ! みんな、荷物を下ろして!」
プロデューサーの千夏がパンパンと手を叩き、メンバーを急かす。
到着した保養所は、純和風の広大な木造建築だった。すぐ裏手には訓練用の擬似ダンジョンが併設されており、実践的なフォーメーションの確認ができる。
さらに、この施設最大の売りは、地下から汲み上げている源泉掛け流しの天然温泉だ。
「よし、まずは軽く訓練エリアで連携の確認よ! 新曲との音合わせも兼ねて、一汗かいてきなさい!」
千夏の号令で、SランクとAランクの美女たちが訓練場へと向かう。
俺もミキサーを運び込み、アンプのセッティングを行った。
今回は、広大なエリアをカバーするための指向性スピーカーを複数配置し、どの位置にいても俺の音が均等に届くように【調律】を行う。真生の的確な指示のおかげで、音響環境は完璧に仕上がった。
数時間後。
日が傾き始めた頃、初日の合同訓練は終了した。
個々の動きは申し分ない。だが、俺の中で、レイド・フェス本番で使うための「決定的な一曲」のメロディが、まだ完全に固まりきっていなかった。
「……ダメだな。ベースラインが少し重すぎる」
中庭のベンチで、一人アンプラグドでベースを弾きながら唸っていると、フワリと香水の匂いが漂ってきた。
「行き詰まってるわね、菊雄」
振り返ると、西村実那子が立っていた。
トレーニング用のジャージから、ゆったりとしたマキシ丈のワンピースに着替えている。首元には薄手のストールを巻き、完全にオフの装いだ。
「実那子か。まあな。大舞台用のアンセムを作ろうとしてるんだが、どうもパズルのピースが一つ足りない感じがして」
「ずっと機材とにらめっこしてるからよ。ちょっと付き合いなさい」
実那子は俺の腕を掴むと、強引に立ち上がらせた。
「付き合うって、どこにだ?」
「決まってるでしょ。せっかく温泉街に来てるんだから、息抜きよ」
保養所から少し坂を下ったところに、ひなびた温泉街が広がっていた。
夕暮れ時の通りには、硫黄の匂いと、饅頭を蒸す甘い湯気が立ち込めている。
浴衣姿の観光客がそぞろ歩く中、俺と実那子は並んで石畳の道を歩いた。
「こういうの、久しぶりね」
実那子は射的屋の店先で足を止め、コルク銃を構えた。
バンッ! という乾いた音と共に、棚に置かれた箱が綺麗に弾き飛ぶ。
「お見事。Sランクの動体視力をそんなことに使うなよ」
「いいじゃない。ほら、景品の温泉饅頭」
彼女はホカホカの饅頭を二つに割り、半分を俺に押し付けてきた。
口に入れると、黒糖の香ばしい生地と、上品な甘さのこし餡が口の中に広がる。
「……美味いな」
「でしょ? 糖分は大事よ」
傍から見れば、温泉街で食べ歩きを楽しむ大人のカップルだ。
だが、俺と実那子の間にあるのは、色恋というよりも、長い時間を共有した戦友としての空気だった。
俺たちは通りの中腹にある、無料の足湯スポットに腰を下ろした。
ズボンを膝まで捲り上げ、温かい湯に足をつける。
歩き疲れた足が、湯の温度でじんわりとほぐれていくのを感じた。
「……はぁ、悪くないな」
「本当ね。で、実那子。ただの息抜きで俺を連れ出したわけじゃないんだろ?」
俺が本題を切り出すと、実那子は足湯の湯面を見つめながら、ぽつりと口を開いた。
「……レイのことよ」
かつてのバンドメンバーであり、今は大手クラン【Noize】のリーダーとして君臨する男。
そして、来週のレイド・フェスで直接対決する因縁の相手。
「あいつの音楽はペラペラだって、アタシたちの生音で叩き潰すって、頭じゃ分かってる。……でもね」
実那子は両手で自分の肩を抱くようにして、身をすくめた。
「いざあの戦場であいつの顔を見たら……アタシ、怒りで我を忘れてしまうかもしれない。あいつの顔を見るだけで、バンドを壊されたあの時の憎しみが湧いてきて……冷静に歌えなくなって、リズムが走っちゃうんじゃないかって、少しだけ怖いの」
実那子の横顔は、真剣だった。
彼女は自分の強さを誰よりも知っているがゆえに、感情の暴走がパーティの命取りになることも理解している。ボーカルのテンポが狂えば、曲は崩壊する。
「……心配すんな」
俺は足湯の中で、足の指を軽く動かしながら答えた。
「お前が怒りでリズムを走らせたとしても、俺が必ずベースラインで引き戻してやる。それに、お前のその『怒り』すらも、俺のミキサーで極上のシャウトに変換してやるよ」
俺は実那子の目を見た。
「俺はもう、お前を一人で歌わせるような真似はしない。お前はただ、自分の魂のままに歌えばいい。俺が最強の土台を作って支えるから」
俺の言葉を聞いて、実那子は数秒間じっと俺を見つめ、やがてフッと柔らかく笑った。
「……そうね。安心したわ。あんたが最高の音を鳴らすなら、アタシは世界一の歌姫になってやる」
彼女の迷いも、湯気と共に空へ溶けていったようだった。
俺たちは再び足湯の温かさを無言で楽しみ、すっかり日が落ちた温泉街を後にした。
保養所に戻ると、ちょうど夕食の時間だった。
今回はクランハウスのキッチンのように勝手が効かないため、保養所の厨房を特別に借りて調理を行う。
「今日の合宿飯は、スタミナ補給に特化した『きりたんぽ鍋』だ」
俺は巨大な土鍋をカセットコンロに乗せ、火にかけた。
ベースとなるスープは、昨日からクランハウスのキッチンで比内地鶏のガラを半日がかりで煮出し、冷凍して持ってきた濃厚な黄金色の出汁だ。そこに、キリッとした醤油と少しの酒、みりんで味を整える。
「具材はシンプルだが、質にはこだわってるぞ。炙って焦げ目をつけた手作りのきりたんぽ。弾力のある比内地鶏のモモ肉。マイタケ、ゴボウ、そして大量の『根せり』だ」
グツグツと煮立つスープの中に、根っこまで綺麗に洗った新鮮な根せりを投入する。
火を通しすぎないのがコツだ。
「いただきます!」
風呂上がりの浴衣姿に着替えた女性陣が、一斉に鍋をつつく。
「んんっ……! この出汁、凄いわね。鶏の旨味が信じられないくらい濃いのに、全然しつこくない」
千夏が目を丸くしてスープを啜る。
「お肉がプリプリしてて、噛むと押し返してくるみたい! このきりたんぽも、お米の粒感が残ってて、スープをたっぷり吸ってて最高!」
環も熱さにハフハフと息を吐きながら、夢中で口に運んでいる。
「この根せり、シャキシャキしてて香りが強いな。泥臭さが全くなくて、野性味だけがある」
ザーナが豪快に野菜を平らげていく。
極上の出汁と米が、訓練で空っぽになった彼女たちの胃袋に染み渡り、エネルギーへと変換されていく。
「秋田の郷土料理には、当然これだ」
俺が冷蔵庫から取り出したのは、雪冷えの温度までキンキンに冷やした、秋田の純米大吟醸酒。
透明なグラスに注ぐと、メロンやマスカットのような華やかな吟醸香が広がる。
「熱々の鍋の合間に、この冷酒で口の中をリセットする。米から作られた酒と、米から作られたきりたんぽ。合わないはずがない」
ナナが日本酒をクイッと呷り、大きく息を吐いた。
「……あぁ、美味い。キレがいいのに、後からお米の甘みが膨らむぞ。鍋の旨味を完全に引き上げてるな」
「飲みやすいです。お水みたいにスルスル飲めちゃいますね」
20歳で酒が飲める真生も、少し頬を赤くしながらグラスを傾けている。アーニャも「日本酒って初めて飲んだけど、フルーティーで美味しい」とチビチビと舐めるように楽しんでいた。
厳しい特訓の後の食事が、明日の合宿二日目に向けた最高のガソリンとなった。
夕食後。
いよいよ、この保養所のメインイベントである天然温泉だ。
大浴場は男湯と女湯に分かれているが、屋外の露天風呂は、高い竹垣一枚で仕切られているだけの構造だった。
俺は一人、男湯の広い露天風呂に浸かっていた。
(ファズは強い匂いと熱いお湯が苦手なため、部屋で真生と一緒に寝ている)
「……はぁ〜、極楽だ」
強い硫黄の匂いがする、白濁したお湯。
肩まで浸かると、全身の筋肉が溶けていくような錯覚に陥り、今日一日の疲労が完全に抜けていくのが分かった。
『きゃはははっ! ちょっとアーニャ、冷たい!』
『ザーナさん胸大きすぎ! 反則です!』
竹垣の向こう側――女湯からは、SランクとAランクの美女たちによる、凄まじく騒がしい声が聞こえてくる。
(……煩悩退散、煩悩退散)
俺は目を閉じ、精神を無にしてお湯の音だけを拾おうとした。
だが、そう簡単に平穏は訪れない。
「近藤さーん!」
突如、竹垣の向こうから千夏の声が降ってきた。
「背中流しに行きましょうかー? 追加料金なしの特別サービスですよー!」
「結構です! 間に合ってますから!」
俺が慌てて叫び返すと、今度は環の怒ったような声が聞こえる。
「ちょっと千夏! 何抜け駆けしようとしてるのよ! ……行くなら私が行くわよ!」
「環さんまで変な対抗心燃やさないでください! 事務所の風紀が乱れます!」
俺の制止も虚しく、さらにヤバい奴らが会話に参戦してくる。
「おい髭! こっちの湯船は狭い! そっちの広い方に、壁をぶち抜いて行っていいか!?」
ザーナが物理的な破壊を伴う提案をしてきた。
「絶対ダメだ! 出禁になるだろうが! 大人しくそっちに浸かってろ!」
「じゃあ、私が壁だけ凍らせて砕けばいいじゃん。そしたらただの広い混浴露天風呂だよ」
アーニャがサラッと恐ろしい魔法の行使を口にする。
こいつら、Sランクの能力を風呂場の拡張に使おうとするな。
「あっははは! 菊雄、相変わらずモテモテねぇ。あんたの苦労が偲ばれるわ」
実那子が面白がって大笑いしている。
「おーい、髭! 冷酒の持ち込みは許可されてるかー!?」
「ナナさん、お湯に浸かりながら飲むと倒れますよ! やめなさい!」
相変わらず、全く統制の取れていないバラバラなパーティだ。
だが。
「……ふっ」
竹垣越しに響く、彼女たちの笑い声、怒声、お湯の弾ける音。
それらの不協和音が、なぜか今の俺の耳には、心地よい一つの「和音」のように聞こえていた。
バラバラだからこそ生み出される、予測不能で圧倒的な熱量を持つセッション。
――ズン、タッ、ズズ、タッ。
不意に、俺の頭の中で、完璧なベースラインが鳴り響いた。
ずっと探していた、最後のパズルのピース。
そうだ。無理に音をまとめる必要なんてない。
彼女たちの個性を、そのまま暴力的なまでに叩きつけるような、最強のビートを作ればいい。
「……見えたぞ。俺たちの、最高のアンセムが」
俺は湯船の中で、一人ニヤリと笑った。
合宿の夜は更けていく。
来週のレイド・フェスに向けた決戦の準備は、温泉の熱気と共に、今、完全に整った。




