第35話 決着はダンジョンでつけよう
世田谷のクランハウス。
深夜の苛烈なサイバー戦から一夜明けた朝のリビングは、嘘のように平和な静寂に包まれていた。
「クゥーン……」
陽光が差し込むソファの上で、豆柴のファズが丸くなっている。
俺は傍らの床に座り、アンプには繋がずにベースの弦を弾いていた。
ボン、ボゥン。
生音の低い振動が空気を伝わる。
そのかすかな振動に反応したのか、ファズがピクッと三角の耳を立てた。
短い足でトコトコと歩み寄り、俺の抱えるベースギターのボディに鼻先を近づける。クンクンと匂いを嗅ぎ、不思議そうに首をコテッと傾ける仕草がたまらなく愛らしい。
「どうしたファズ。お前も弾いてみるか?」
俺が一番太いE弦を指で弾くと、ブゥンという音と共に弦が激しく震えた。
ファズは「ビクッ!」と身をすくめ、後ずさる。だが、好奇心の方が勝ったのか、再び恐る恐る近づき、今度は震える弦に向かって右の前足を『チョイッ』と出した。
ペチッ。
小さなピンク色の肉球が弦に触れ、少しだけ不格好な音が鳴る。
「ワンッ!」
自分が音を出したことに驚き、ファズは嬉しそうに短い尻尾をちぎれんばかりに振って、俺の周りをクルクルと回り始めた。
「……はぁ。尊すぎます。心臓のBPMが上がりっぱなしです」
階段の踊り場から、徹夜明けの太田真生がフラフラと降りてきた。
彼女の右手にはしっかりとスマホが握られており、ファズのベーシスト・デビューの瞬間をバッチリ録画していたようだ。
「おはよう真生。よく眠れたか?」
「数時間だけ。でも、ファズの足音で目が覚めました。最高の目覚ましです」
真生がしゃがみ込むと、ファズは彼女の膝に飛び乗り、顔をペロペロと舐め回した。
無表情な天才スカウトの顔が、ふにゃふにゃにだらしなく崩れていく。
「さて、と。徹夜組の胃袋を労わる時間だな」
俺はベースを置き、キッチンへと向かった。
昨夜のラザニアで重くなった胃をリセットし、今日の「戦い」に向けて活力を養うための朝食だ。
「今日の朝ごはんは『鶏絲粥』。鶏肉の細切りが入った中華風の薬膳粥だ」
俺は昨夜のうちに、丸鶏のスープで生米からじっくりと炊き上げておいた粥の鍋を火にかけた。
米粒が完全に崩れ、花が咲いたようにトロトロになるまで煮込まれた白粥。そこに、丁寧に細かく裂いた鶏の胸肉を加える。
「生姜の千切りと、クコの実、松の実を入れてある。徹夜で疲れた肝臓と胃腸を、芯から温めて修復してくれるぞ」
仕上げにごま油を数滴垂らすと、鶏の滋味深い香りとごま油の香ばしさが湯気と共に立ち昇った。
その匂いに釣られたのか、二階から他のメンバーたちも次々と降りてきた。
「……あー、いい匂い。お腹空いたわ」
「私もだ。昨夜は怒りでカロリーを消費しすぎたからな」
村上環とザーナ・ベリシャが、寝癖をつけたままダイニングテーブルの席につく。
坂本千夏と西村実那子、そしてアーニャも眠そうな目を擦りながら集まってきた。
「はい、お待たせ。好みでこの『油条』――中華風の揚げパンをちぎって乗せてくれ。食感のアクセントになる」
どんぶりにたっぷりと盛られた中華粥を配る。
全員がレンゲを手に取り、熱々の粥をふーふーと冷ましながら口に運んだ。
「……あぁっ、染みる……!」
千夏が目を閉じて天を仰いだ。
「トロトロのお米に鶏の旨味がギュッと詰まってる。生姜が効いてて、体がポカポカしてくるわ」
「この揚げパン、スープを吸ってジュワッてなるのがたまらない。優しいのに満足感が凄いです」
真生も無心でレンゲを動かしている。
ペアリングとして用意した温かいジャスミンティーが、口の中をさっぱりと洗い流し、爽やかな香りで脳を覚醒させていく。
「……で、近藤さん。本当にいいの?」
粥を半分ほど食べたところで、千夏が真剣な顔つきになった。
「真生が命懸けで引っこ抜いてきた、あの【Noize】の不正データ。今すぐネットにばら撒けば、あいつら一発で社会的に抹殺できるのよ?」
「ええ。やりません」
俺はジャスミンティーの入った湯呑みを置き、千夏に向かってはっきりと答えた。
「昨夜も言いましたが、ネットの暴露合戦で相手を潰すのは、三流のやることです。あいつらは『俺の曲を盗んだ』と音楽を盾にして喧嘩を売ってきた。なら、こっちも音楽とダンジョン攻略という、一番目立つステージで叩き潰さなきゃ意味がありません」
俺が言うと、実那子がフッと鼻で笑い、それに同意した。
「アタシも菊雄と同意見よ。レイのやつ、昔から口と小細工だけは達者だった。ここでデータを晒しても、どうせ『ハッキングされた捏造データだ』とか言い逃れするに決まってるわ」
実那子はレンゲを置き、強い光を放つ瞳で俺を見た。
「偽物の音源でイキってる連中の鼻っ柱を、アタシたちの本物の『生音』でへし折る。それが一番効く復讐でしょ」
「そういうことです。千夏さん、プロデューサーとしての腕の見せ所ですよ。あいつらを逃げられない公式の舞台に引きずり出せますか?」
俺が問いかけると、千夏はニヤリと悪女のように笑い、眼鏡を押し上げた。
「……任せなさい。私を誰だと思ってるのよ。舞台なら、ちょうどいいのが来週あるわ」
「来週?」
「ええ。ギルド公式の大規模攻略イベント、『レイド・フェス』よ」
レイド・フェス。
その名を聞いて、環やザーナの顔色が変わった。
それは年に一度、日本中のトップクランが集結し、深層に現れた未討伐の高難易度ボスを一斉に攻略する大規模な祭典だ。
ギルドが公式にドローンカメラを投入し、全国に同時中継される。そこでの一番槍を取ったクランは、名実ともにその年のトップの座を手にする。
「今年のターゲットは、第30階層に出現したという噂の変異種ボスよ。こないだレイが単独踏破したってニュースになってたけど、あいつが倒したのは通常のエリアボス。今回のターゲットは、その直後に最深部の隠しエリアで観測された、規格外の変異種よ」
千夏はタブレットを操作し、配信用のカメラを起動する準備を始めた。
「もちろん【Noize】も、自分たちの庭を荒らされたくないから総力を挙げてエントリーしてるわ」
「なるほど。絶好の舞台ですね」
「ええ。今からウチの公式チャンネルで、緊急の生配信をやるわ。近藤さん、環、実那子さん、カメラの前に立って」
突然の配信開始に戸惑いながらも、俺たちはリビングの壁を背にして並んだ。
千夏がカウントダウンを出し、配信がスタートする。
深夜の炎上騒動の直後ということもあり、開始数秒で同接数は10万人という異常な数字を叩き出した。
コメント欄は『泥棒』『釈明会見か?』という罵倒で埋め尽くされている。
「カメラの前の皆さーん、おはようございまーす!」
千夏が明るい、しかしどこか凄みのある声でマイクを握った。
「『サウンド・オブ・ブレイブ』プロデューサーの坂本千夏です。昨夜から、とあるメガクランのリーダー様が、ウチのBGM担当を『泥棒』呼ばわりして随分と盛り上がっているようですね」
千夏はカメラに向かって、挑発的に微笑んだ。
「証拠がない、捏造だ、と言い合うのは時間の無駄です。私たちは探索者であり、パフォーマー。決着をつける場所は、ネットの掲示板じゃありません」
千夏は俺たちの方へ手を向けた。
俺は一歩前に出て、サングラス越しの視線をカメラに向けた。
「【Noize】のリーダー、レイ。画面の向こうで見ているんだろう?」
俺は低い声で、かつての元相棒に語りかけた。
「俺がお前の曲を盗んだ? 笑わせるな。打ち込みのペラペラな合成音に頼らなきゃ戦えないような奴の曲なんて、一小節たりともいらねえよ。俺のバックには、世界最高のメンバーがついてるんでね」
「その通りよ」
実那子が俺の隣に並び、カメラを睨みつけた。
「レイ。アンタの小手先のノイズなんか、アタシの歌声一つでかき消してあげる。……来週の『レイド・フェス』。そこで、どちらが先に第30階層のボスをブチのめせるか、勝負しなさい」
そして最後に、村上環が大剣を床に突き立て、凛とした声で宣言した。
「逃げるなんて言わせないわよ。最強の座も、最高の音楽も、私たちが力ずくで証明してみせる。……首を洗って待っていなさい」
配信はそこで唐突に切られた。
時間にしてわずか数分。
だが、そのインパクトは絶大だった。
『うおおおおお!!』
『公開挑戦状キタコレ!』
『サウンド・オブ・ブレイブ、強気すぎるww』
『Noize、これ逃げられないだろ』
『レイド・フェスがバチバチの代理戦争になったぞ!』
コメント欄の空気が、一瞬にして「炎上」から「熱狂」へと反転した。
エンターテインメントにおいて、正義と悪の図式、そして直接対決ほど大衆を惹きつけるものはない。千夏のプロデュースは見事に当たった。
「……完璧ね」
千夏がタブレットを確認し、満足げに頷いた。
「これで【Noize】は勝負を受けざるを得ないわ。もし断れば、『実は合成がバレるのが怖くて逃げた』と世間に思われる。あそこまでデカくなったクランは、スポンサーの目を気にしなきゃいけないから、プライドを傷つけられるのを一番恐れるのよ」
数十分後。
千夏の読み通り、【Noize】の公式アカウントから短いメッセージが発表された。
『売名行為には辟易するが、その挑戦、受けて立つ。レイド・フェスにて、本物の音楽と力というものを教えてやろう』
「……引っかかったわね、馬鹿な男」
実那子が冷たく笑う。
これで舞台は整った。
日本中の注目が集まるレイド・フェス。
そこで俺たちの「生音」が彼らの「合成音」を凌駕し、先にボスを討伐すれば、誰の目にもどちらが本物かは明らかになる。
「相手はメガクランだ。数の暴力と、あの手この手の妨害工作を仕掛けてくるだろうな」
俺はメンバー全員を見渡した。
環、千夏、ナナ、ザーナ、アーニャ、真生、実那子。
総勢8名のフルメンバー。
「だが、負ける気はしねえ。俺の作る飯を食って、俺の鳴らすビートで踊れば、お前らは世界最強だ」
「当然よ、リーダー」
「コソボの重戦車に任せておけ!」
「定時でボスを倒して帰ります」
全員の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
足元では、ファズが「ワフッ!」と気合を入れるように吠えた。
「よし。来週の決戦に向けて、今日から地獄の特訓だ。まずは……スタミナをつけるために、昼飯はガッツリ肉を焼くぞ!」
俺たちの戦いは、ネットの海から再び熱い血と汗が飛び交うリアルなダンジョンへと戻ってきた。
不協和音を叩き潰すための、強烈なクレッシェンドが今、始まろうとしていた。




