第32話 【Noize】のリーダー、実は元バンドのボーカル説
数日前の、大手クラン【Noize】のマネージャー・木崎による引き抜き騒動。
あの一件以来、うちのパーティ『サウンド・オブ・ブレイブ』の結束はかつてないほど強固になっていた。
だが、その反動か、今日は珍しくクランハウスが静かだった。
環と千夏はギルド本部に新クラン設立の正式な手続きへ。
ナナとザーナと実那子の大人組は、「女を磨いてくる」と連れ立って高級スパへ。
真生は相変わらず地下の防音室で冬眠中だ。
リビングに残されたのは、愛犬の豆柴・ファズのブラッシングをしている俺と、ソファでタブレットを弄っているアーニャの二人だけだった。
「……ねえ、プロデューサー」
「なんだ」
「暇。どっか連れてって」
アーニャがタブレットから顔を上げ、青灰色の瞳で俺を見た。
いつものオーバーサイズのパーカーに、ショートパンツというラフな部屋着姿。
「俺はファズの世話があるからな。一人で行ってこいよ」
「やだ。荷物持ちがいないと不便だもん。……それに、今日は新しい機材を見に行きたいの。秋葉原に」
機材、という言葉に俺の耳がピクリと動いた。
元バンドマンであり、根っからの音響オタクである俺にとって、その単語は強力な引力を持っている。
「……秋葉原か。まあ、ファズの留守番の練習には丁度いいか。いいぞ、付き合ってやる」
「やった。着替えてくる!」
アーニャは弾かれたように立ち上がり、二階の自室へと駆け上がっていった。
数分後、彼女はストリート系のサイバーパンク風ファッションに身を包み、降りてきた。
傍から見れば、年の離れた兄妹か、あるいは……まあ、デートに見えなくもない。
秋葉原の電気街。
週末の雑踏を、俺たちは歩いていた。
「これ、最新のサンプラー。魔法陣に直接リンクして、BPMを自動で同期できる優れものなの」
専門店のショールームで、アーニャが目を輝かせながら機材をいじっている。
彼女の横顔は、戦闘中のような張り詰めたものではなく、純粋な音楽オタクのそれだった。
「なるほど、インターフェースが直感的だな。でも、低音域の出力が少し弱い。お前の『氷結魔法』の重さを乗せるなら、こっちのアナログ回路を通すタイプの方がいいぞ」
俺が隣からアドバイスすると、彼女は「ふーん」と俺の顔を覗き込んだ。
「おじいちゃんのくせに、デジタルの最新機材も分かるんだ」
「バカにすんな。昔はこういう機材のカタログばっかり見て、買えないから脳内でセッションしてたんだよ」
俺が苦笑すると、アーニャは少しだけ楽しそうに笑い、俺が勧めた機材をレジへ持っていった。
当然のように、彼女のブラックカードで一括払いだ。
俺はその重い箱を背負い、再び喧騒の中へと出た。
「お腹空いた。プロデューサー、何か美味しいもの食べさせて」
「そうだな。じゃあ、家に帰って何か作ってやるよ。ジャンクなやつが食いたいんだろ?」
「うん! ……あ、ちょっと待って」
駅へ向かう途中、アーニャがふと足を止めた。
彼女の視線は、交差点の頭上にある巨大な街頭ビジョンに向けられていた。
『――続いてのニュースです。現在、飛ぶ鳥を落とす勢いで快進撃を続けるトップクラン【Noize】。そのリーダーであるレイ氏が、昨日、第30階層の単独踏破という偉業を成し遂げました!』
アナウンサーの興奮した声と共に、大画面に映像が映し出される。
ダンジョンの最前線で、派手な光の魔法エフェクトと、洗練されたEDMのBGMを背に戦う一人の男。
銀色の長髪をなびかせ、派手なレザージャケットを着こなす、中性的な美貌の持ち主。
彼が魔法のステッキ――まるでマイクスタンドのような形状の杖――を振るうたびに、魔物たちが爆発して消えていく。
『圧倒的なカリスマ性と、音楽を融合させた独自のスタイル。彼はまさに、探索者界のロックスターと言えるでしょう!』
画面の中で、その男――レイが、カメラに向かってウインクをした。
ドクン。
俺の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「……うわぁ、エフェクト盛り盛り。あんなの、後でプロの編集チームがBGMと映像を合成してるだけじゃん。私とプロデューサーの『生音』には勝てないよねー」
アーニャが呆れたように毒づく。
だが、俺の耳には彼女の声は届いていなかった。
俺の目は、ビジョンに映るその男の顔に完全に釘付けになっていた。
銀色に染めてはいるが、あの独特の目つき、少し歪んだ口角の上がり方。
そして何より、マイクスタンドを握る時の、小指を少し浮かせるあの癖。
見間違えるはずがない。
何千時間、いや、何万時間と同じステージに立ち、あいつの背中を支え続けてきたんだ。
「……怜」
無意識のうちに、俺の口からその名前がこぼれ落ちていた。
「え? プロデューサー、今なんて?」
「……いや。なんでもない」
俺は慌てて視線を逸らし、足早に歩き出した。
間違いない。
あの【Noize】のリーダー『レイ』は、かつて俺のバンドのボーカルだった男だ。
メジャーデビュー目前、楽曲の権利とバンドの資金の全てを持ち逃げし、俺たちに多額の借金を押し付けて失踪した、あの裏切り者。
俺がFランクの荷物持ちにまで転落した、最大の元凶。
あいつが、なんでSランク探索者として、メガクランのトップに収まっているんだ。
俺の胸の奥で、数年前に封印したはずの、重く、黒く、冷たい怒りのようなものが渦巻き始めていた。
「……ちょっと、待ってよ! 早いってば!」
アーニャが小走りで追いかけてきて、俺のジャケットの袖を引っ張った。
「どうかしたの? 顔色、すごく悪いけど」
「なんでもない。ただ、少し……胸糞悪いノイズを聞いたせいだ」
「ノイズ……?」
アーニャは不思議そうに首を傾げたが、俺のただならぬ雰囲気を察したのか、それ以上は何も聞かなかった。
クランハウスに戻った俺は、モヤモヤした感情を振り払うように、キッチンの広大な調理台に向かっていた。
「アーニャ。ジャンクなものが食いたいって言ってたな」
「うん。でも、無理しなくていいよ?」
カウンター越しに座るアーニャが、少し心配そうに俺を見ている。
足元ではファズが「遊んで」と鳴いていたが、今はその余裕がなかった。
「無理なんてしてない。……料理をしてる時は、余計なことを考えずに済むからな」
俺はボウルに強力粉と強力粉、イースト、塩、オリーブオイルを入れ、力任せにこね始めた。
叩きつけ、伸ばし、また丸める。
生地の中に、俺の苛立ちをすべて封じ込めるように。
「今日のメニューは『シカゴスタイル・ディープディッシュピザ』だ」
発酵させた生地を、深さのあるケーキの焼き型のような鉄鍋に敷き詰める。
普通のピザとは違う。生地が器の役割を果たすのだ。
その底に、まずは大量のモッツァレラチーズを敷き詰める。これでもかというほど、暴力的な量を。
「その上に、イタリアンソーセージ、粗挽きのペパロニ、玉ねぎ、ピーマンを山盛りにする」
「うわ、もうカロリーの壁が見える……」
「まだだ。ここからがシカゴピザの真骨頂だ」
俺は別の鍋で作っておいた、トマトとニンニク、オレガノを煮詰めた濃厚なピザソースを、具材の上からたっぷりと流し込んだ。
まるでトマトの湖だ。
そして、その上からさらにパルメザンチーズを振りかけ、オーブンに突っ込む。
待つこと40分。
オーブンの中で、チーズが溶け、トマトソースが沸騰し、生地がカリカリに焼き上がる音が聞こえてくる。
グツグツ、ジュワァァァ……。
その音が、俺のささくれ立った神経を少しずつ鎮めてくれた。
「……焼けたぞ」
オーブンから取り出したスキレットを、鍋敷きの上にドンと置く。
厚さ5センチはあろうかという、極厚のピザの塊。
俺はピザカッターを力強く押し当て、6等分に切り分けた。
そして、ヘラで一切れを持ち上げる。
ズッ、ズズズズズ……!
底に敷き詰められた大量のチーズが、滝のように伸びて溢れ出した。
トマトの酸味と、ペパロニの肉の脂、そして焦げたチーズの香りが、俺たちの顔面を強打する。
「やば……これ、ピザっていうか、チーズとトマトのダムじゃん……!」
アーニャが目を輝かせ、フォークとナイフで一切れを自分の皿に移した。
俺は彼女の横に、ペアリングの飲み物をドンと置いた。
「今日の飲み物はこれだ」
氷をたっぷり入れた巨大なグラスに注がれた、黒赤い炭酸飲料。
『チェリーコーク』。あるいはドクターペッパーだ。
「普通のコーラより、ケミカルで薬効感のある甘さが特徴だ。この暴力的なチーズとトマトの塊を胃に流し込むには、ビールよりも、この人工的なチェリーの香りと強炭酸が一番合う」
アーニャはピザを大きく切り取り、口に運んだ。
ハフッ、と熱さに耐えながら咀嚼する。
「……んんっ!!」
彼女の青灰色の瞳が、驚きに見開かれた。
「チーズが凄い! 溺れそう! でもトマトソースがすごくフレッシュだから、全然くどくない! ペパロニのスパイスも効いてて……これ、最強のジャンクフードだわ!」
彼女はチェリーコークをストローで一気に吸い込んだ。
「あー、合う! このチェリーの甘い香りが、ピザの塩気を一瞬で消してくれる! そしてまたチーズの沼に飛び込みたくなる……!」
アーニャは夢中でピザと格闘し始めた。
俺も自分の分を切り分け、無言で口に運んだ。
熱い。痛いほどの熱量を持ったチーズと肉の旨味が、胃袋を満たしていく。
食という暴力的な快感が、過去の嫌な記憶を強制的に上書きしていく。
「……ねえ、プロデューサー」
半分ほど食べたところで、アーニャがチェリーコークのストローを噛みながら、ぽつりと口を開いた。
「さっきのビジョンの男。……あの【Noize】のリーダー。プロデューサーの、昔の知り合いなんでしょ?」
「……なんでそう思った」
「分かるよ。プロデューサーの顔、すごく……悲しそうだったし、怒ってたから」
アーニャはフォークを置き、俺を真っ直ぐに見た。
普段の生意気な態度はない。ただ、俺を心配するような、まっすぐな瞳だった。
「……あいつは」
俺は深くため息をつき、隠しても仕方がないと観念した。
「あいつは、昔俺がやってたバンドのボーカルだ。俺たちの夢も、金も、全部持ち逃げして消えた……正真正銘のクズ野郎だ」
俺の告白に、アーニャは少しだけ目を伏せた。
「……そうなんだ。だから、こないだあのマネージャーが来た時も、環さんたちあんなに怒ってたんだね」
「いや、あいつらはこの事は知らない。ただ、俺が馬鹿にされたから怒ってくれただけだ」
俺は自嘲するように笑った。
「皮肉なもんだよな。俺から音楽を奪った奴が、ダンジョン配信で音楽を使ってトップに立ってる。……俺は、ずっとあいつの幻影に囚われていたのかもしれない」
俺が弱音を吐くと、アーニャは突然、テーブルの下で俺の脛を軽く蹴り飛ばした。
「いっ……! なにするんだよ」
「バカみたい。おじいちゃんらしくないよ」
アーニャは呆れたように鼻を鳴らした。
「あの男の音楽、確かに派手で綺麗だったよ。でもね、あんなのただの『打ち込み』のノイズじゃん。機械的で、作り物で、魂がこもってない」
彼女は俺の安物のベースギターが立てかけられている方を指差した。
「私は、あんなのより、プロデューサーが弾く泥臭いベースラインの方がずっと好き。だって、私たちを本気で踊らせてくれるのは、貴方の『音』だけだもん」
「アーニャ……」
「それにさ」
彼女はニカッと、本当に悪戯っ子のように笑った。
「私たち『サウンド・オブ・ブレイブ』のフルメンバーが本気出せば、あんな偽物のノイズなんて、一瞬でかき消せるよ。でしょ?」
その言葉は、20歳の少女からの、不器用で、しかし最高に力強いエールだった。
俺は胸の奥の冷たい塊が、嘘のように溶けていくのを感じた。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
俺は残っていたチェリーコークを一気に飲み干した。
人工的な甘さと、強烈な炭酸が、俺の魂を強制的にリブートさせてくれた。
「あいつの音楽は、もう過去の産物だ。俺の今の最高のメンバーは、お前たちなんだからな」
「そうそう! だから、もっと美味しいもの作って、私たちを働かせてよね」
「現金なやつめ」
俺は苦笑し、アーニャの頭を軽くポンと叩いた。
因縁の相手は、最強のメガクランのトップ。
だが、恐れることは何もない。
俺たちには、どんな強敵にも負けない、最高のグルーヴがあるのだから。
俺は立ち上がり、明日の深層攻略へ向けて、ミキサーのメンテナンスを始めた。




