第31話 全員集合、これが俺たちのフルメンバーだ
西村実那子のオーディションから一夜明けた、休日の午後。
世田谷のクランハウスの広大なリビングは、黄色い歓声に包まれていた。
「きゃーっ! 可愛い! 似合ってるわよファズ!」
「ちょっと待って環、私が動画撮るから! アーニャちゃん、こっちから照明当てて!」
「了解、プロデューサー! 最高に盛れる角度でいくよ!」
絨毯の中央で、生後3ヶ月を目前に控えた豆柴の『ファズ』が、困惑したような顔で座っていた。
彼の首には、今日のために千夏たちが買ってきた「初めての首輪」が巻かれている。
鮮やかな赤地に、古典的な唐草模様。そして小さな金色の鈴が一つ。
フワフワの赤茶色の毛並みに、その赤い首輪は反則的なまでに似合っていた。
だが、ファズ本人は首の周りの異物感が気になって仕方がないらしい。
短い後足で首のあたりをカキカキしようとするが、足が短すぎて届かず、空を切っている。
「キャンッ」
首を振ると、チリン、と鈴が鳴った。
ファズはその音に驚き、自分の周囲に「見えない敵」がいると思ったのか、自分の尻尾を追いかけるようにクルクルと高速で回り始めた。
チリンチリンチリン! と鳴り続ける鈴の音。
やがて目が回ったのか、ファズはコテンと横に倒れ込み、「ふぅ」とため息をつくように鼻から息を吐いた。そして、諦めたようにドヤ顔でこちらを見上げてきた。
「……っっ! 致死量の可愛さだわ……!」
実那子が胸を押さえてソファに崩れ落ちる。
冷徹な『剣姫』である環も、顔をデレデレに溶かして「えらいねぇ、賢いねぇ」とファズを撫で回している。
ザーナが「なんだその細い紐は。コソボの軍用犬はもっと太いトゲトゲの首輪をするぞ」と文句を言いつつも、目尻は完全に下がっていた。
真生に至っては、チリンという鈴の音を小型マイクで録音し、「……凄くいい周波数です。サンプリングして使えそう」と呟いている。
平和だ。
俺はキッチンからその光景を眺めながら、思わず口元を緩めた。
昨日、実那子が正式に加入したことで、俺たちのパーティ『サウンド・オブ・ブレイブ』は総勢8名の大家族となった。
リーダー兼BGM係の俺。
メインアタッカーの環。
プロデューサー兼ガンナーの千夏。
ヒーラーのナナ。
タンクのザーナ。
スカウトの真生。
魔法アタッカーのアーニャ。
そして、ボーカルの実那子。
偶然と勢いで集まった凸凹なメンバーだが、戦力面でも音楽面でも、これ以上ないほど完璧なピースが揃った。
「さてと。それじゃあ、フルメンバー結成の祝賀会といくか」
俺はパンッと手を叩き、全員の視線をキッチンに集めた。
「今日のメニューは満場一致で『焼肉』だ。ただし、その辺のチェーン店じゃ食えないレベルの極上肉を用意したぞ」
「「「うおおおおっ!!」」」
美女たちの野太い歓声が響き渡る。
俺は巨大なまな板の上に、ドスッ、と重厚な肉の塊を置いた。
「まずは『タン』だ。ただの薄切りじゃない。一番脂の乗った根元の部分(タン元)だけを贅沢に切り出した、極厚切りの牛タンだ」
よく研いだ牛刀で、厚さ2センチほどに切り出していく。
鮮やかなピンク色に、美しいサシが入っている。
厚切りだと硬くて噛み切れないため、俺は肉の表面に細かく格子状の『隠し包丁』を入れていく。こうすることで、焼いた時に花が咲いたように開き、サクッとした歯切れの良い食感になるのだ。
「次に『ハラミ』。こっちは特製のフルーツダレに漬け込んである。リンゴとパイナップルのすりおろし、玉ねぎ、醤油、ごま油、そしてコチュジャン。酵素の力で極限まで柔らかくなってるぞ」
ボウルから取り出したハラミは、タレをたっぷりと吸い込み、魅惑的な琥珀色に輝いていた。
「そして『シマチョウ』だ。ホルモンは下処理が命だ。塩と小麦粉で徹底的に揉み洗いして臭みを抜き、味噌ベースの甘辛いタレで揉み込んである」
ダイニングテーブルの中央に設置された巨大な無煙ロースター。
すでに炭火に近い温度まで熱せられている。
俺は8人分の皿とタレ、そして山盛りのサンチュやキムチ、ナムルを並べた。
「さあ、座れ。宴の始まりだ」
メンバーたちが席につき、ロースターを囲む。
俺はまず、極厚の牛タンを網の中央に乗せた。
ジュウウウウウッ!!
一瞬で脂が溶け出し、網の下に落ちて白い煙が立ち昇る。
隠し包丁を入れた表面が熱で反り返り、美しい網目模様が浮かび上がった。
表面はカリッと香ばしく、中はレア気味に焼き上げる。
「焼けたぞ。味付けは塩と、特製の『ネギ塩レモン』だ。ごま油で和えた刻みネギをたっぷり乗せて食ってくれ」
「いただきます!」
環が誰よりも早く箸を伸ばし、ネギを乗せた厚切りタンを口に放り込んだ。
「……んんっ!!!」
環の猫目が、限界まで見開かれた。
「サクッて……サクッて切れた! なのに中から肉汁がジュワァァァって……! ネギの風味とレモンの酸味が、脂の甘さを限界まで引き出してる!」
「うわ、本当だ……! 薄切りのタンとは別の食べ物みたい。噛むたびに旨味が爆発するわ!」
千夏も目を丸くして絶賛する。
実那子は目を閉じて天を仰ぎ、ザーナは「コソボの肉より100倍美味いぜ!」とバンバン机を叩いている。
「肉だけじゃないぞ。今日のペアリングはこれだ」
俺は冷蔵庫から、あらかじめ用意しておいたピッチャーとグラスを取り出した。
「今日は特別だ。全員アルコール入りでいくぞ。『最強の氷結レモンサワー』だ」
グラスの中には、氷の代わりに「カチカチに凍らせたレモンのスライス」がタワーのように積み重なっている。
そこに、強炭酸水とウォッカをたっぷりと注ぎ込む。
アーニャがグラスを受け取り、少しだけ顔をしかめた。
「ウォッカ……ロシア出身だからって、みんなが強いわけじゃないんだけど」
「嫌なら炭酸水にするか?」
「飲む! でもジンジャエールで割って、少し甘くして!」
俺はアーニャのグラスにだけジンジャーエールを足してやり、甘めのモスコミュール風レモンサワーに仕上げた。
「真生はウォッカ入りでいいか? 以前、サングリアもパスティスも飲んでたしな」
「はい。今日は定時退社じゃなくて宴会ですから。強めでお願いします」
真生がいつもの塩対応の中に少しだけウキウキした色を滲ませてグラスを受け取る。
「氷が入ってないから、どれだけ飲んでも味が薄まらない。むしろ、飲めば飲むほどレモンの果汁が溶け出して、酸味と香りが濃くなっていく魔法のサワーだ」
ナナがグラスを受け取り、ゴクリと煽った。
「……ッッ!! カハッ!!」
ナナの顔が瞬時に紅潮する。
「なにこれ……! 炭酸の刺激とレモンの酸味が、焼肉の脂を文字通り『一掃』したぞ! 口の中が完全にリセットされて……またすぐに肉が欲しくなる!」
「本当だ。ウォッカのキレとレモンの果汁がすごくフレッシュで美味しいです。濃いお肉のツマミとして最高ですね」
真生もグラスを両手で持ちながら、幸せそうにアルコール入りのサワーを口に運んでいる。アーニャも「甘くて飲みやすい!」とご満悦だ。
極厚の牛タン。タレが焦げる匂いがたまらないハラミ。そして、噛むほどに甘い脂が溢れ出すシマチョウ。
熱くて濃厚な肉を口いっぱいに頬張り、キンキンに冷えた強酸味のレモンサワーで流し込む。
この暴力的な温度差と味覚のコントラストが、8人の食欲を無限に加速させていく。
「おい髭! ハラミ追加だ! もっと焼け!」
「近藤さん、サワーのおかわり! レモンもっとマシマシで!」
「はいはい、焦るな。肉ならいくらでもあるからな」
俺はトングを両手に持ち、DJがターンテーブルを操るような手つきで網の上の肉を管理していく。
焼け具合、食べるペース、そしてグラスの空き具合。
全員のリズムを読み取り、最適なタイミングで最高の音を提供する。これも立派なコンダクターの仕事だ。
「……それにしても、いい眺めね」
実那子がレモンサワーのグラスを傾けながら、微笑んだ。
「最初は、あんたが女の子たちの尻に敷かれてるだけかと思ったけど。こうして見ると、完全にこの空間を支配してるのは菊雄ね」
「支配なんて大層なもんじゃねえよ。俺はただのご飯係だ」
「謙遜しないの。戦場でも食卓でも、あんたが『土台』を作ってくれてるから、私たちは自由に歌って踊れるのよ」
実那子の言葉に、環が口の周りにタレをつけながらコクコクと頷いた。
「そうよ。近藤さんがいないと、私たちただの烏合の衆だもの」
「そうだな。あの不快なノイズを消してくれるのも、店長だけですから」
「おじいちゃんのビート、ダサいけど悪くないしね」
真生とアーニャも、それぞれの言葉で同意する。
千夏が笑いながら、全員のグラスにサワーを注ぎ足した。
「これでボーカル入って、私たちのバンドは完成したわね。……近藤さん、次の目標はどうするの?」
「決まってるでしょう」
俺は自分のグラスを持ち上げた。
「まだ見ぬ深層。そして、俺たちの『音』を世界中に響かせることだ。まずは……最近、ウチの動画のパクリみたいな真似をしてる、あの目障りなクランの鼻を明かしてやらないとな」
「ああ、『Noize』ね。あいつら、最近ウチへの妨害工作が露骨になってきてるわ」
千夏が顔をしかめる。
大手クラン『Noize』。かつて俺たちを引き抜こうとし、俺を侮辱して帰っていった連中だ。
あそこには、俺の過去に深く関わる「因縁の相手」がいる。
「どんなノイズだろうと、私たちのフルコーラスで全部かき消してやるわ」
実那子がマイクを握るように、トングを高く掲げた。
「そうね。私たちの剣と、魔法と、歌と……そして近藤さんのBGMがあれば、負ける気はしないわ」
環が力強く宣言する。
「さあ、新生『サウンド・オブ・ブレイブ』の門出に!」
「「「乾杯!!」」」
8つのグラスが、ロースターの上で盛大な音を立ててぶつかり合った。
足元では、ファズが「ワンッ!」と祝福するように鳴き、首元の鈴がチリンと可愛い音を立てる。
30歳の元バンドマンが、ひょんなことから結成した最強のパーティ。
全員の息は完全に重なった。
ここから先は、俺たちの快進撃を見せつける番だ。
肉の焼ける匂いと、笑い声に満ちた夜は、いつまでも続いていた。




