第30話 魂のシャウト、言葉は魔力となる
爽やかな朝日が差し込む、世田谷のクランハウス。
ダンジョン探索へ向かう前のリビングでは、嵐の前の静けさ……というよりは、平和すぎる日常の風景が広がっていた。
「ウゥ〜〜〜ッ、ワンッ!」
フカフカの絨毯の上で、豆柴のファズが、自分と同じくらいの大きさがある茶色い猿のぬいぐるみと死闘を繰り広げていた。
このぬいぐるみは、昨日坂本千夏が「なんか顔が近藤さんに似てたから」という失礼な理由で買ってきたものだ。
ファズは短い前足を大きく広げ、猿のぬいぐるみに飛びかかる。
ガブッ! と猿の鼻先に噛み付くと、短い尻尾をパタパタと振りながら、一生懸命に首を振って「獲物」を仕留めようとする。
しかし、子犬の力では自分より大きなぬいぐるみを振り回すことはできず、逆に自分の体がブンブンと振り回されてしまい、ゴロンと仰向けに転がってしまった。
「キャンッ」
ひっくり返ったファズは、自分に覆い被さる形になった猿のぬいぐるみを、ピンク色の肉球でポカポカと連続で叩いている。「やられたな! こいつ!」と言わんばかりの愛らしい抵抗だ。
「……あはははっ! なにこの生き物、尊すぎるでしょ!」
ソファでコーヒーを飲んでいた西村実那子が、腹を抱えて笑っている。
昨日の『アッサムラクサ』とオレンジジュースの劇薬コンボで完全に活力を取り戻した彼女は、今日の「オーディション」に備えて、朝から俺の家に上がり込んでいた。
「おいファズ、あんまり綿を出すなよ。掃除が面倒なんだから」
「いいじゃない、元気で。菊雄に似た猿をボコボコにしてるんだから、将来有望な番犬ね」
実那子は立ち上がり、ファズの頭をわしゃわしゃと撫でた。ファズは「くぅ〜ん」と甘えた声を出し、実那子の指先をペロペロと舐める。
「実那子さん、すっかり馴染んでるわね」
準備を終えた千夏が、タブレットを片手にリビングへやってきた。
その後ろからは、いつもの漆黒の戦闘スーツに身を包んだ村上環が、少しだけ不満そうな顔をして歩いてくる。
さらに、ザーナ、ナナ、真生、アーニャの4人もそれぞれの装備を整えて集まってきた。
「当然よ。私と菊雄の付き合いは、あんたたちよりずっと長いんだから」
実那子はウィンクをして、傍らに立てかけてあった特注の魔導マイクスタンド『アレサ』を手に取った。
鈍器としても使える頑丈なマイクスタンドだ。
「さて。じゃあ、お手並み拝見といこうか。私のソウルが、あんたたちのパーティに相応しいかどうかね」
「ええ。期待してるわよ、Sランクの歌姫さん」
千夏が不敵に笑う。
環は無言で大剣の柄を握りしめ、俺の方をチラリと見た。
俺は「心配するな」とばかりに肩をすくめ、ミキサーとベースが入ったケースを背負った。
「よし、全員揃ったな。今日の現場は第28階層だ。張り切っていくぞ」
新宿第3迷宮、第28階層『狂乱の闘技場』。
ここはすり鉢状の古代コロッセオのような地形で、四方八方のゲートから絶え間なく魔物が湧き出してくる、いわゆる「乱戦エリア」だ。
「――来るわよ! 囲まれる前に陣形を組んで!」
千夏がドローンの映像を見ながら叫ぶ。
現れたのは『マッド・ケンタウロス』の群れ。下半身が馬、上半身が屈強な戦士の魔物で、機動力と突進力を兼ね備えている。
数が多すぎる。ざっと50体はいるだろう。
「ハッ! 最高のモッシュピットじゃないか!」
ザーナが巨大な盾を構えて前に出る。
ナナが鉄扇を開いて舞い始め、アーニャが空中にDJコンソールを展開した。
環は剣を抜き、いつでも飛び出せるように腰を落とす。
「待て」
俺は環の肩をポンと叩いて制止した。
そして、隣に立つ実那子と視線を交わす。
言葉は必要なかった。
互いの呼吸の深さ、目線の動き。それだけで、今から出すべき「音」のテンポが完全に共有される。
「……行くぞ」
俺はベースを構え、太いE弦を親指で強烈に叩いた(スラップ)。
バチィィィンッ!
乾いた、しかし腹の底を揺らすような重厚なアタック音。
BPMは100。
決して速くはないが、一歩一歩が地面にめり込むような、重くて粘りのあるファンク・グルーヴ。
「Hooo……!」
実那子がマイクスタンドを握り、低く唸った。
俺の刻むベースラインの「裏拍」に、彼女の吐息が完璧に重なる。
ドンッ、タッ、ドズッ、パァン!
俺のベースがリズムの骨格を作り上げると、実那子はその骨格に血肉を与えるように、言葉を紡ぎ始めた。
「――Listen to my soul(私の魂を聴け)!!」
実那子のハスキーで、圧倒的な声量を持ったシャウトが闘技場に響き渡った。
固有スキル【ソウル・シャウト】。
彼女の歌声に込められた感情が、物理的な魔力波となって空間を震わせる。
突進してきていたケンタウロスの群れが、見えない壁に激突したかのように、ドゴォォォン! と一斉に吹き飛ばされた。
「なっ……!?」
「うそ……声だけで、あんな重い魔物を……!」
環と千夏が驚愕の声を上げる。
だが、これはまだイントロに過ぎない。
「菊雄! もっと下を太くして! アタシの声が上を飛ぶから!」
「へいへい! ディストーション踏むぞ!」
俺は足元のエフェクターを踏み、ベースの音を極限まで歪ませた。
まるで地鳴りのようなファズベースが、闘技場の石畳をビリビリと振動させる。
実那子はその重低音の波に乗り、ソウルフルなフェイクを入れながら歌い続ける。
「Get down(平伏せ)! 止まらないビートが、アンタらの足を止めるわ!」
言霊が発動する。
空気を切り裂くような高音のビブラートが響いた瞬間、立ち上がろうとしたケンタウロスたちの足が、石化したようにピタリと止まった。
【ラブ・バラード】の応用による、精神干渉のスタン効果だ。
「凄い……! 敵の動きが完全に止まってる!」
ドローンを操作していた千夏が叫ぶ。
真生も耳を塞ぐことなく、目を丸くして二人を見ていた。
アーニャに至っては、「なにあのマッシュアップ、ヤバい。私のサンプリングより生々しい……」と、完全にオタクの顔になっている。
「さあ、お前らの番だぜ!」
俺が叫ぶと、硬直していた環がハッとして我に返った。
敵は動けない。そして、俺のベースと実那子の歌声が、味方には強力なバフを与えている。
「……行くわよ!」
環が地面を蹴る。
赤い閃光が闘技場を駆け抜け、動けないケンタウロスたちを次々と両断していく。
千夏の魔弾が的確に急所を撃ち抜き、ザーナが残った敵を盾で粉砕する。
だが、俺が一番驚いたのは、環の動きだった。
いつもなら、俺のベースのリズムに「乗せられて」動いている彼女が、今日は違う。
俺と実那子が作り出す、生々しく揺らぐファンクのグルーヴに、環自身が自ら「合わせに」来ているのだ。
実那子の歌が伸びる時は、環の斬撃も大きく円を描く。
俺のベースが細かく刻む時は、環も細かいステップで連撃を叩き込む。
完璧なセッション。
「……凄い。あの二人、全く目を合わせていないのに」
後方でサポート魔法を展開していたナナが、信じられないというように呟いた。
「次の展開が、互いに手に取るように分かってるんだ。菊雄がタメを作れば、実那子がそこでシャウトする。実那子が息を吸う瞬間に、菊雄がベースを弾く。……あんなの、何百回、何千回と同じステージに立ってきた人間じゃないと絶対にできない『阿吽の呼吸』だ」
ナナの言葉通りだった。
俺と実那子は、かつて売れないバンドで、客が5人しかいないようなライブハウスでも、常に互いの音を聴きながら演奏してきた。
ボーカルの息遣いで、次にどんな音を出したいかが分かる。
ベースの弦を弾く強さで、次にテンポを上げたいのか下げたいのかが分かる。
長いブランクがあっても、魂に刻まれたグルーヴは消えない。
「――Everybody, say yeah!(みんな、叫べ!)」
実那子がマイクスタンドを高く掲げ、コール&レスポンスを要求する。
その声の魔力が、パーティ全員の武器に黄金色のオーラを纏わせた。
「これで……最後よ!」
環が、自身最大の大技【紅蓮十文字】を放つ。
黄金のオーラを纏った炎の十字が、残っていた十数体のケンタウロスをまとめて消し炭に変えた。
直後、俺のベースがドゥゥゥン……と最後の余韻を残して止まり、実那子の歌声もピタリと静寂に溶け込んだ。
完全勝利。
50体以上の強力な魔物を、誰も傷一つ負うことなく、しかも極めてスタイリッシュに全滅させたのだ。
「……ふぅ。まあ、こんなもんね」
実那子が額の汗を拭い、マイクスタンドを肩に担いだ。
その顔は、晴れやかで、満ち足りた表情をしていた。
昨日までの「歌の魔力が乗らない」と悩んでいた姿はどこにもない。
「最高だったぜ、実那子」
「あんたのベースが良かったからよ。……やっぱり、私の歌にはあんたの泥臭いビートが必要みたいね」
俺と実那子は、軽く拳を突き合わせた。
その時だ。
「……近藤さん」
剣を納めた環が、ツカツカとこちらに歩み寄ってきた。
その猫目は、どこか不機嫌そうに尖っている。
「どうしました、ボス。今日の動き、最高でしたよ。ファンクの裏打ちに完全に適応してました」
「そうじゃないわ」
環は俺の胸を指先でツンと突いた。
「……悔しいわ」
「え?」
「私と近藤さんのシンクロも完璧だと思ってた。でも、さっきの貴方と実那子さんの音を聴いて……次元が違うって分かっちゃったから」
彼女は唇を噛み締めた。
それは、アタッカーとしての敗北感ではなく、「彼の最高のパートナー」の座を奪われたような、純粋な嫉妬の感情だった。
「私じゃ、あんな風に貴方の考えてることを、目も見ずに理解することはできない。……やっぱり、昔からの仲間には敵わないのかなって」
環が少しだけ寂しそうに俯く。
俺は苦笑して、彼女の頭にポンと手を乗せた。
「馬鹿言っちゃいけません。俺と実那子は『音楽を作る』パートナーですが、俺とアンタは『戦場を生き抜く』パートナーでしょう? 役割が違うんです」
「……慰めなんていらないわ」
「慰めじゃないですよ。さっきのアンタの動き、俺たちのグルーヴを完璧に食ってましたからね。フロントマンとしては、アンタが一番です」
俺がそう言うと、環はパッと顔を上げ、耳まで赤くして「……そう」とそっぽを向いた。
チョロい。だが、そこがいい。
「ちょっと! 二人だけの世界に入らないでよ!」
千夏がズカズカと割り込んできた。
「実那子さん! 貴方の歌、最高だったわ! 視聴者も『神シンガー降臨!』って大盛りあがりよ!」
「ふふっ、光栄ね」
「決まりね! 今日から貴方も『サウンド・オブ・ブレイブ』の正式メンバーよ! これでうちのパーティは、世界最強のエンタメ集団になるわ!」
千夏がタブレットを高く掲げて宣言する。
ザーナも「いい声だったぜ!」と実那子の背中をバンバン叩き、ナナは「今度は酒を飲みながらセッションしよう」と誘っている。
アーニャも「……お姉さんの声、もっとサンプリングさせて」と目を輝かせていた。
こうして、ソロで行き詰まっていたSランクの歌姫は、俺たちのパーティの「最強のボーカル」として正式に迎え入れられた。
個性的な音が次々と重なり、俺たちの楽曲は、いよいよ誰も聞いたことのないような壮大なシンフォニーへと進化し始めていた。




