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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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第29話 歌姫の憂鬱、ソウルフルな再会

 アーニャが加入し、賑やかさを増した『サウンド・オブ・ブレイブ』のクランハウス。

 その日の午後、他のメンバーたちは千夏の発案で、新しい装備のフィッティングと動画撮影のために出かけていた。

 留守番を任された俺は、豆柴のファズのブラッシングをしながら、広大なリビングで久しぶりの静寂を満喫していた。


 ピンポーン。


 来客を告げるチャイムが鳴った。

 機材の配達だろうか。俺はファズをクッションに降ろし、エントランスのモニターを確認した。


「……えっ」


 カメラに映っていたのは、宅配業者ではなかった。

 ボリューミーなスパイラルパーマの黒髪。大きめのサングラス。70年代のソウルシンガーを彷彿とさせる、原色のサイケデリックなジャンプスーツを着こなした長身の女性。

 彼女はカメラに向かって、イライラしたように指を鳴らしていた。


「いるんでしょ、菊雄。さっさと開けなさい」


 モニター越しでも分かる、ドスの効いたハスキーボイス。

 俺は慌ててゲートのロックを解除し、玄関の扉を開けた。


「……久しぶりだな、実那子」

「ええ、本当にね。まさかあんたがこんな豪邸の主になってるなんて、世も末だわ」


 西村実那子。

 俺の昔馴染みであり、かつての音楽仲間。そして現在は、Sランク探索者『言霊歌手』として名を馳せるディーヴァだ。


 実那子はズカズカとリビングに入り込み、ソファにどっかりと腰を下ろした。

 ファズが不思議そうに彼女のブーツの匂いを嗅ぎに行く。


「相変わらず派手だな。ここにはどうやって?」

「ギルドのコネをフル活用したのよ。あんたたちのパーティ、今一番の注目株だからね」


 実那子はサングラスを外し、テーブルの上に投げ出した。

 その大きな瞳には、いつものようなギラギラとした活力がなく、どこか深い疲労の色が濃く落ちていた。


「……何か飲むか? コーヒーか、酒か」

「どっちもいらない。……それより、何か食べさせて。ここ三日くらい、まともなものを食べてないの」

「三日? 探索者の仕事でそれは致命的だぞ」


 俺は呆れながら、アイランドキッチンへと向かった。

 実那子は昔から、悩みを抱えると食が細くなる悪癖がある。

 彼女は今、何かに深く行き詰まっているのだ。それは彼女の覇気のない声を聞けば、元バンドマンの俺にはすぐに分かった。


「……で? 何があった」


 俺は冷蔵庫を開けながら背中越しに尋ねた。


「……声が、出ないのよ」

「喉を傷めたのか?」

「物理的な話じゃないわ。……私の歌に、『魔力』が乗らなくなったの」


 実那子のスキル【ソウル・シャウト】や【ラブ・バラード】は、彼女の歌声に込められた感情と魂が魔力に変換され、物理的な衝撃波や精神干渉を引き起こすというものだ。

 つまり、心が動いていなければ、ただの歌になってしまう。


「最近ずっとソロで潜ってたんだけど……ダメね。どんなにシャウトしても、自分の中で空回りしてるだけ。オーディエンスを圧倒するような、あの爆発的なグルーヴが生まれない」


 実那子は自嘲するように笑った。


「だから休業中。……そんな時よ、あんたのあの動画を見たのは」

「ああ……例のバズったやつか」

「剣姫を操る謎のDJ。世間はそう騒いでたけど、私はあのベースラインを聴いて一瞬で分かったわ。……あんたの音、昔よりずっと鋭くて、深く、生きていたから」


 実那子の言葉に、俺は少しだけ包丁の手を止めた。


「あんたのビートを聴いたら……無性に腹が立って、それと同時に、無性に腹が減ったの。だから押しかけに来たわ」

「……勝手な奴だな。ま、昔からだが」


 俺は苦笑し、調理を本格的に開始した。

 心身ともに疲労し、食欲を失っている彼女の胃袋を叩き起こし、魂に火をつけるための特効薬。

 それには、単なる優しいスープではダメだ。もっと暴力的で、複雑な「刺激」が必要だ。


「今日のメニューは『ペナン・アッサムラクサ』だ。マレーシアの屋台麺だが、普通のラクサとは全く別物だぞ」


 俺は鍋でサバの切り身を茹で始めた。

 青魚の強い匂いが立ち上る。サバに火が通ったら取り出し、丁寧に小骨を取り除いて身を細かくほぐす。これがスープのベースになる「旨味と重さ」だ。


「次にスパイスのペーストだ」


 俺は石のすり鉢を取り出し、生の赤唐辛子、レモングラス、ガランガル、そして『ブラチャン』を入れて、ゴリゴリと叩き潰していく。


 カンッ、ゴリッ、というリズミカルな音がキッチンに響く。

 スパイスの細胞が破壊され、複雑怪奇な香りが空中に解き放たれる。


「……すごい匂い。目が覚めるような、でもドロドロした匂いね」


 実那子がソファから身を乗り出し、鼻をヒクつかせた。


「ここからが本番だ。アッサムラクサの『アッサム』は『酸っぱい』って意味だ。その正体はこれ」


 俺はタマリンドの果肉を水で揉み出し、強烈な酸味を持つ茶色い汁を作った。

 さらに『トーチジンジャー』と呼ばれる、ピンク色の蕾を刻んで加える。これが入ることで、ミョウガや柑橘を混ぜたような、華やかでエキゾチックな香りが爆発する。


 鍋にスパイスペーストを炒めて香りを出し、サバの茹で汁、タマリンド汁、ほぐしたサバの身、そしてトーチジンジャーを加えて煮込む。


 グツグツと煮立つスープは、赤茶色く濁り、見た目は決して美しくない。

 だが、その香りは甘み、酸味、辛味、そして魚介の強烈な旨味がカオスのように混ざり合い、嗅いだ瞬間に唾液腺を強制的に決壊させる力を持っている。


「麺はこれだ。米粉で作られた、半透明で太い丸麺。ツルツルとした食感で、スープがよく絡む」


 サッと茹でた麺を深い丼に入れ、熱々の濁ったスープをなみなみと注ぐ。

 そしてトッピングだ。

 千切りにしたキュウリ、赤玉ねぎ、パイナップルのスライス、そしてたっぷりのフレッシュミント。


「最後にとどめのこれ。『ヘーコー』だ」


 俺はドロリとした黒いペースト――エビを極限まで発酵させて甘く煮詰めた、強烈な匂いを持つソースを、レンゲで掬ってスープの端に落とした。


「完成だ。ペナン・アッサムラクサ」


 俺は湯気を上げる丼を、実那子の前に置いた。


「……なにこれ。色んな匂いが喧嘩してるみたいだけど……すごく、美味しそう」


 実那子はレンゲを持ち、まずはスープを一口啜った。


「……ッ!!」


 彼女の肩が大きく跳ねた。

 大きな瞳が見開かれ、言葉にならない息が漏れる。


「酸っぱ……! 辛っ! でも……なにこの魚の旨味!」


 実那子は夢中で麺を啜り始めた。

 ズズッ、という音が響く。


「ミントの清涼感とパイナップルの甘さが、強烈な酸味と辛味を中和してる。それにこの黒いソースを溶かすと、味が途端に深くなって……!」

「色んな味がぶつかり合ってるように見えて、実は完璧なバランスで成立してるんだ。……バンドのセッションと同じだろ?」


 俺が言うと、実那子は顔を真っ赤にしながら、汗をかいて麺を啜り続けた。

 三日間の絶食が嘘のように、彼女の胃袋が、体が、この暴力的でソウルフルな一杯を求めて駆動している。

 彼女の内に秘められた熱い魔力が、スパイスに呼応して揺らめき始めていた。


「辛いだろう。今日のペアリングはこれだ」


 俺は冷蔵庫から取り出しておいたグラスを差し出した。

 中には、鮮やかなオレンジ色の液体。


「フレッシュのオレンジジュースだ。濃縮還元じゃない。甘味と酸味の強いバレンシアオレンジを、さっき手搾りしたばかりのやつだ」


 実那子は丼から口を離し、グラスを受け取ってゴクッと煽った。


「……はぁっ!」


 実那子が息を吐き出す。


「……最高。辛さで麻痺しそうだった口の中を、冷たいオレンジの果実味が優しく洗い流してくれる。酸味のベクトルが違うから、ラクサの余韻を消さずに、スッと爽やかにしてくれるわ」

「そしてまた、あの泥臭いスープが飲みたくなる。エンドレスだ」

「あんたって男は、本当に……! 胃袋のイコライザーをいじる天才ね!」


 実那子はオレンジジュースで一息つくと、再びアッサムラクサの丼に顔を埋めた。

 あっという間に麺を完食し、残ったスープの一滴まで飲み干す。


 カチャン、とレンゲを置いた実那子は、汗ばんだ額を拭い、大きく、本当に大きく息を吐き出した。


「……ふぅ。生き返ったわ」


 彼女の顔色は、ここに来た時の蒼白なものが嘘のように紅潮し、瞳にはかつてのディーヴァとしての強い光が戻っていた。


「どうだ。少しは声が出そうか?」


 俺がコーヒーを淹れながら尋ねると、実那子はソファの背もたれに深く寄りかかり、天井を見上げた。


「ええ。最高の気分よ。……やっぱり、あんたの作る飯と、あんたのビートは特別ね。私の魂の一番深いところに直接響いてくる」


 実那子は視線を俺に向けた。

 その目には、真っ直ぐな意志があった。


「菊雄」

「なんだ」

「私も、その『サウンド・オブ・ブレイブ』に入れてよ」

「……お前が? Sランクのソロ・シンガーが、わざわざパーティに?」

「ソロの限界を感じたから来たのよ。それに……」


 実那子は立ち上がり、俺の胸元を指でトンと突いた。


「最高のボーカルには、最高の『リズム隊』が必要でしょ? あんたがベースを弾くなら、私がその上で、誰も聞いたことがないような歌を歌ってあげる」


 それは、かつてバンド時代に交わしたことのあるような、熱い約束だった。

 だが、今はあの頃の俺たちじゃない。

 俺はFランクの底辺から這い上がったBGM係で、彼女は世界に名を轟かせるSランク探索者だ。


「……俺たちのパーティは、一癖も二癖もある連中ばかりだぞ。リーダーとして、お前みたいな大御所を簡単に迎え入れるわけにはいかないな」


 俺がわざと意地悪く言うと、実那子は不敵に笑った。


「いいわ。なら、オーディションをしてよ。私の歌声が、あんたのパーティに相応しいかどうか」

「……上等だ。明日のダンジョン探索、ゲストとして参加してもらうぞ」

「望むところよ!」


 ソウルシンガーの完全復活。

 彼女の情熱的な声が、静かだったクランハウスに響き渡る。


 『サウンド・オブ・ブレイブ』のセッションは、さらに厚みと熱を増そうとしていた。

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