第27話 オールドスクール vs ニュージェネレーション
「第二波、来ます!」
坂本千夏の鋭い声が、硝煙の立ち込める新宿第3迷宮のエントランス広場に響き渡った。
スタンピードの防衛戦。第一波をなんとか凌いだ俺たちの前に、休む間もなく次の群れが押し寄せてくる。
ゲートの奥、暗い迷宮の通路から姿を現したのは、先ほどよりも一回り以上も巨大な魔物たちだった。分厚い装甲のような皮膚を持つ『ハイ・オーク』や、強力な再生能力と猛毒を持つ『ポイズン・トロール』などの上位種が混ざっている。
「さあ、おじいちゃん。時代遅れの音楽でどこまでやれるか、見せてもらうよ!」
宙に浮くZ世代の天才DJ、アナスタシア――通称アーニャが、挑戦的な笑みを浮かべて俺を見下ろした。
彼女の周囲に展開されたホログラフィックなDJコンソールが、まばゆい光を放つ。
プラチナブロンドに近いライトブラウンの髪を揺らし、彼女の指先が虚空のパッドを高速で叩いた。
BPM140。
攻撃的なダブステップのビートが、戦場を揺るがした。
ウォブルベースと呼ばれる、電子的に極限まで歪ませた「ギュイイイン、ワウワウワウ」という機械的な重低音が、腹の底を直接殴りつけてくる。
「グアァァァァッ!!」
先頭を走るポイズン・トロールが、威嚇の咆哮を上げた。
だが、アーニャはその咆哮すらも己の音楽の一部へと変える。
「いただきましたっ!」
固有スキル【サンプリング・キャスト】。
トロールの怒声が魔法陣に吸い込まれ、一瞬でデジタル加工され、不気味なメロディラインへとリミックスされる。
「Drop the Bass(低音を落とせ)!!」
アーニャが両手を高く掲げ、一気に振り下ろした。
音楽がサビへと突入した瞬間、彼女の頭上から極大の氷塊と吹雪が、暴力的な質量となって魔物の群れに叩きつけられた。
ドガァァァァァンッ!!
数十体の上位魔物が、抵抗する間もなく一瞬で氷像と化し、粉々に砕け散る。
圧倒的。まさに広範囲殲滅の申し子だ。
最新のデジタルビートと魔法の融合は、確かにすさまじい破壊力を持っていた。
「どう!? 私のビート、最高でしょ! アナログのオジサンたちには真似できないスピードと火力だよ!」
アーニャが勝ち誇ったように叫ぶ。
確かに凄い。だが、俺はミキサーの前に立ち、静かに首を振った。
「火力は認める。だが、お前の音は『独りよがり』だ」
「なによ!」
「周りを見てみろ。誰もアンタに近づけない」
アーニャの広範囲魔法は味方をも巻き込む恐れがあるため、防衛部隊の兵士たちも、Sランクである俺たちのパーティメンバーでさえも、彼女の周囲に近寄ることができずにいた。
音楽とは本来、人を繋ぐものだ。
孤独なDJプレイは、いずれ破綻する。
「……さて、大人の余裕ってやつを見せてやるか」
俺は背負っていた愛用のベースギターを低く構えた。
安物のベースだが、手入れだけは欠かしたことがない。指板の感触が、俺の魂を数十年前のロックの黄金時代へと引き戻す。
俺が選んだのは、70年代の英国ハードロックを彷彿とさせる、重く、泥臭く、しかし抗いがたいウネりを持った8ビートだ。
真空管アンプ特有の、暖かみのあるオーバードライブ。
ズン、ダン。ズズ、ダン。
派手な電子音はない。
だが、そのシンプルな四分音符の刻みは、人間の心臓の鼓動に直接訴えかけるような「生のグルーヴ」を持っていた。
「行くぞ、お前ら! 俺のベースに乗れ!」
俺が叫ぶと、最前線に立つ仲間たちが一斉に呼応した。
「最高だぜ、リーダー! この腹に響くアナログの音、血が滾る!」
コソボ出身の重戦車、ザーナ・ベリシャが巨大なタワーシールドを構えて前進する。
押し寄せるハイ・オークの棍棒を盾で受け止め、その衝撃音すらも俺のロックビートのパーカッションとして取り込んでいく。
「フフッ、いいわね。私のステップにぴったりだわ」
斉藤ナナが鉄扇を開き、ブルージーなリズムに合わせて妖艶に舞う。
彼女の【浄化の舞】が、戦場に漂うトロールの毒気を中和し、味方に攻撃力上昇のバフをばら撒いていく。
「近藤さん、サビ行くわよ! 視線、いただき!」
千夏がドローンを巧みに操りながら、魔銃のトリガーを引く。
タン、タンッ! という乾いた銃声が、俺のベースラインに的確なアクセントを入れる。
「――そこっ!」
そして、主旋律。
村上環が大剣『紅姫』を構え、赤い閃光となって敵陣に飛び込んだ。
彼女は俺の作り出した強固なリズムの土台の上で、思う存分に暴れ回った。
デジタルな打ち込みでは絶対に出せない「タメ」と「揺らぎ」。
俺は環の剣の軌道に合わせて、コンマ数秒のタメを作り、スラップで強烈なアタックを叩き込む。
ザバァァァンッ!!
環の一撃が、巨大なトロールを真っ二つに両断する。
俺たちの陣形は、一つの巨大な生き物のように機能していた。
互いの呼吸を読み、足りない音を補い合い、一つの楽曲を作り上げる。
それが、バンドの力だ。
数十分後。
第二波の魔物が完全に沈静化した時、結果は明らかだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
宙に浮いていたアーニャが地面に降り立ち、膝に手をついて激しく息を切らしていた。
彼女は一人で戦場を支配しようとした結果、膨大な魔力と体力を急速に消耗してしまったのだ。
対する俺たちは、汗こそかいているものの、誰一人として息を乱していない。
俺の【音響共鳴】によるサポートと、ナナの回復、ザーナの防御が完璧に機能し、疲労を極限まで抑え込んでいたからだ。
「……なんで、あんなアナログな音で……あんなに綺麗に動けるのよ……」
アーニャが悔しそうに俺を睨む。
「言っただろ。音楽は一人で鳴らすもんじゃない。誰かと合わせるから、何倍にも膨れ上がるんだ」
俺がベースをスタンドに置くと、彼女は唇を噛み締めて顔を背けた。
「……まだ、負けてない。魔力が回復したら、次はもっとBPMを上げて……」
「まあ待て。強がりは腹が減るだけだ」
俺はポータブルコンロを展開し、クーラーボックスを開けた。
「とりあえず、メシにするぞ。アンタも極限までカロリー使ったろ」
「べ、別にいらないし! 私はゼリー飲料で……」
アーニャの強がりを、彼女自身の腹の虫が「きゅるるる」という可愛らしい音で遮った。
俺は笑いを堪えながら、調理の準備を始めた。
「今日の戦中飯は『レチョン・カワリ』だ」
「れちょん……?」
「フィリピンの伝統料理で、豚の丸焼きを『レチョン』って言うんだが、野戦で丸焼きは時間がかかりすぎる。だから、下茹でしておいた豚バラブロック肉を使った『カリカリ揚げ焼き』にする」
俺がタッパーから取り出したのは、分厚い皮のついた豚バラ肉のブロックだ。
昨夜のうちにニンニク、ローリエ、黒胡椒と一緒に柔らかくなるまでじっくりと下茹でし、皮に無数の針で穴を開け、ビネガーを塗って冷蔵庫で完全に乾燥させておいたこだわりの逸品だ。
「この皮を極限までカリカリに爆ぜさせるのが、レチョンの醍醐味だ」
俺は中華鍋に多めの油を熱し、豚バラブロックをそっと油の中に投入した。
バチバチバチッ!!
凄まじい破裂音が響き渡る。
皮に残ったわずかな水分とゼラチン質が熱された油と反応し、まるでポップコーンのように次々と弾けていく。
香ばしい豚の脂の匂いと、微かなビネガーの酸味が、戦場の血と硝煙の匂いを完全に塗り替えていく。
「うわあああ、ヤバい匂い! 絶対美味しいやつだこれ!」
千夏がカメラ用のドローンを寄せながら叫ぶ。
環やザーナ、ナナも、先ほどまでの戦闘の緊張を忘れ、中華鍋の周りに群がってきた。
アーニャも、遠巻きにしながらもチラチラとこちらを見ている。
肉が美しい狐色になり、皮全体に細かい気泡が浮き出てカリカリになったところで、油から引き上げる。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
まな板の上で包丁を入れるたびに、クリスピーで軽快な音が響く。
外側の皮はガラスのように薄く弾け、内側の赤身と脂身はしっとりとジューシーな肉汁を保っている。完璧な火入れだ。
「ソースは2種類用意した。フィリピン定番の『レバーソース』。豚のレバーペーストに酢と砂糖、パン粉を加えて煮詰めた濃厚な甘辛ソースだ。もう一つは、刻んだ玉ねぎと唐辛子、ニンニクをたっぷり入れた『スパイシービネガー』」
俺は皿にレチョン・カワリを山盛りにし、アーニャの前に突き出した。
「ほら、カロリーの暴力だ。意地張ってないで食って回復しろ」
アーニャは恨めしそうに俺を見たが、抗いがたい肉の暴力的な香りに負け、震える指で一切れつまんでレバーソースをつけた。
「……カリッ」
その瞬間、彼女の青灰色の瞳が限界まで見開かれた。
「……っ! なにこれ、皮がスナック菓子みたいにサクサク! なのに中のお肉がジュワッて溶ける……レバーのソースがすごく深くて、甘くて……」
「ビネガーの方も試してみろ。脂のくどさを一瞬で消して、次の肉が欲しくなる」
アーニャは言われるがままに、今度はビネガーに浸してもう一口頬張る。
「あ、酸っぱ辛い! 本当だ、これなら無限に食べられる……」
彼女はもはや意地を張ることも忘れ、ダボダボのパーカーの袖をまくり上げ、両手で豚肉を頬張り始めた。
環やザーナたちも「負けてられない!」とばかりに皿に群がり、あっという間にレチョンの山が消えていく。
「そして、この極限のカロリーを流し込む、今日のペアリングはこれだ」
俺はクーラーボックスから、青と銀の細長い缶を数本取り出した。
「『レッドブル』」
「……え? エナドリ?」
千夏が目をパチクリさせる。
「そうだ。氷をたっぷり入れたグラスに注ぐ」
シュポッ、という小気味よい音と共に、黄金色の液体をグラスに注ぐ。
独特のケミカルな甘い香りが漂う。
「ただのエナジードリンクじゃない。極上の豚の脂と、刺激的なソース。それを、このカフェインとアルギニンの塊で胃袋の奥底まで洗い流すんだ。スタンピード防衛戦っていう異常な極限状態に、これほど相応しい飲み物はない」
俺がグラスを渡すと、アーニャはゴクリと喉を鳴らしてそれを受け取り、一気に煽った。
「……ぷはぁっ!」
アーニャの顔がカッと紅潮し、その瞳に明確な活力と熱が戻った。
「……アンタ、本当にムカつく。こんなジャンクで最強の組み合わせ、反則じゃん」
彼女は空になったグラスを置き、手の甲で口元を拭った。
「Z世代の天才DJも、俺の昭和のアナログな飯には勝てなかったか?」
俺が意地悪く笑うと、彼女は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……べ、別に! 飯の勝負なんてしてないし! 音楽の勝負だって、まだ終わってないんだからね!」
だが、その言葉に先ほどの刺々しい敵意はない。
彼女は立ち上がり、自身のホログラムコンソールを再起動すると、俺のベースアンプのすぐ隣に移動させてきた。
「……次は、少しだけアンタのアナログな音に、私のビートを重ねてあげる。足引っ張らないでよね、プロデューサー」
「へいへい。お手柔らかに頼むよ、お嬢ちゃん」
俺はベースを構え直し、ミキサーの電源を入れた。
オールドスクールとニュージェネレーション。
相容れないはずの二つの音が、今、同じ戦場で、少しだけ歩み寄って混ざり合おうとしていた。
レッドブルのカフェインが、俺の血中を駆け巡るのを感じる。
ゲートの奥から、第三波の地鳴りが聞こえてきた。
俺たちの長い長いライブは、まだ終わらない。




