第26話 氷のDJ、Z世代からの宣戦布告
新宿第3迷宮の巨大なエントランス・ゲート前。
普段は探索者たちが談笑しながら準備を整えるその広場は、現在、血と硝煙の匂いが立ち込める凄惨な最前線と化していた。
「――押し返せ! 絶対にゲートを抜けさせるな!」
自衛隊とギルドの合同防衛部隊から、悲痛な怒号が飛ぶ。
ゲートの奥、暗い迷宮の通路から、津波のように無数の魔物が押し寄せていた。
ゴブリン、オーク、リザードマン。種類も等級もバラバラな魔物の群れが、ダンジョン内部の異常な魔力濃度に当てられ、理性を失って地上を目指しているのだ。
これが『スタンピード』。
だが、その濁流の最前列で、強固な防波堤となって敵を粉砕している者たちがいた。
「ハッハァ! どこを見てる! 私のステージはここだぜ!」
ザーナ・ベリシャが巨大なタワーシールドを地面に叩きつけ、【ハウリング・ロア】を発動する。
強烈な超音波が扇状に広がり、最前列の魔物たちの鼓膜を破壊し、動きを止めた。
「環、今よ!」
「言われなくても!」
坂本千夏の二丁魔銃から放たれた閃光弾が敵の目を眩ませ、その隙を縫って村上環が飛び込む。
赤い閃光となって宙を舞う大剣『紅姫』。
一振りで十数体の魔物が細切れになり、光の粒子となって消え去る。
俺は後方の安全な位置に機材を展開し、ミキサーのフェーダーを握っていた。
現在のBPMは160。疾走感のあるメロディック・スピード・パンク。
斉藤ナナの【浄化の舞】と同期させるため、激しさの中にもどこか透明感のあるシンセサイザーの音を混ぜている。
俺たちの『サウンド・オブ・ブレイブ』が受け持った防衛区画だけは、完全に魔物の侵攻をシャットアウトしていた。
「いいぞ、その調子だ! 第一波はもうすぐ尽きる!」
俺がマイクで指示を飛ばそうとした、その時だった。
ズゥゥゥゥンッ……!!
突然、鼓膜を突き破るような、異常な重低音が広場全体を震わせた。
俺のスピーカーから出ている音ではない。
もっと暴力的で、人工的で、耳障りな「ベース・ドロップ」の音。
「な、なんだこの音!?」
「右翼から来るぞ!」
防衛部隊の兵士たちが悲鳴を上げる。
見れば、右側の防衛区画から、猛烈な吹雪が巻き起こっていた。
ただの吹雪ではない。巨大な氷柱が次々と地面から突き出し、魔物たちを串刺しにしているのだ。
そして、その氷の惨劇の中心に、一人の少女が宙に浮いていた。
「……ッハ! モブの鳴き声、いただきっ!」
オーバーサイズのパーカーに、光るスニーカー。
プラチナブロンドに近いライトブラウンのロングヘアをなびかせた少女が、空中に展開されたホログラフィックなDJコンソールを狂ったような手つきで操作していた。
彼女は、オークの断末魔の悲鳴を魔法で「録音」し、それをその場で切り刻み、ピッチをいじって、狂気的なハードベースのビートに乗せているのだ。
「Drop the Bass(低音を落とせ)!!」
少女が両手を振り下ろす。
バガァァァァァァンッ!!
音楽のドロップに合わせて、極大の氷塊が魔物の群れに叩きつけられた。
数百体の魔物が一瞬で氷像と化し、砕け散る。
圧倒的な殲滅力。
だが、その攻撃範囲は無差別すぎた。氷の破片が味方の防衛部隊にまで降り注ぎ、陣形を滅茶苦茶にしている。
「おい、危ねえぞ! 味方を巻き込む気か!」
俺は思わず叫んだ。
彼女の出す音が、俺の作ったBGMと完全に干渉し、ひどい不協和音を生み出している。環たちの動きも、そのノイズのせいで一瞬鈍った。
俺はベースを手に取り、彼女の放つBPM150前後のハードベースに、即興でベースラインをねじ込んだ。
反発するのではなく、同化して、彼女のリズムをコントロールしてやる。
スラップ奏法で強烈なアタック音を出し、彼女のビートに「休符」を強制的に挿入しようとした。
バチンッ!
俺のベース音が、彼女の音楽に割って入った。
だが。
「……は?」
宙に浮く少女――アナスタシアが、不快げにこちらを睨みつけた。
神秘的な青灰色の瞳が、氷のように冷え切っている。
「なに今のクソダサいベースライン。昭和のオッサンかよ。私の完璧なミックスに、アナログのゴミ音混ぜないでくれる?」
少女はホログラムのコンソールを操作し、俺のベースの周波数だけをピンポイントで「ミュート」する魔法を展開した。
俺のアンプから、突然音が鳴らなくなる。
「なっ……!?」
「生楽器なんて博物館でやってなよ。今はデジタルの時代。私の『氷のビート』についてこれないなら、すっこんでて、おじいちゃん」
アーニャはヘッドホンを片耳に当てたまま、挑発的に舌を出した。
そして再びコンソールを操作し、無差別の氷結魔法を広範囲に撒き散らし始めた。
「あのガキ……!」
温厚な俺でも、音楽を、しかも生楽器を「ゴミ」呼ばわりされたことにはカチンときた。
「近藤さん! 魔物の第一波、止まったわ!」
千夏の声で我に返る。
見れば、俺たちとあのアーニャという少女の過剰火力のせいで、ゲートから溢れ出ていた魔物の群れが一時的に途切れていた。
『第一波、撃退! 各部隊、直ちに負傷者の手当てと陣地の再構築を行え! 次の波まで1時間の小休止とする!』
ギルドの指揮官からのアナウンスが響く。
俺はベースをスタンドに置き、小さく息を吐いた。
「……まあいい。今は味方同士でやり合ってる場合じゃない」
小休止に入った防衛キャンプ。
怪我人こそいなかったものの、Sランクのメンバーたちも第一波の猛攻でそれなりに疲労を溜めていた。
「腹減った……。魔力使いすぎた……」
環がパイプ椅子にだらしなく寄りかかりながら呟く。
「はいはい、分かってますよ。すぐに特効薬を作ります」
俺は手早くポータブルコンロを展開した。
こんな殺伐とした戦場で、のんきに料理を始める俺を周囲の探索者たちが奇異の目で見ているが、気にしてはいられない。ウチのじゃじゃ馬たちは、燃費が悪すぎるのだ。
「今日のメニューは『ロティ・プラタ』。シンガポールやマレーシアの屋台でよく食べられる、インド系のサクサクしたパンだ。それと、特製のスパイシー・チキンカレーを合わせる」
俺はクーラーボックスから、昨夜のうちに小麦粉、水、塩、少しの砂糖を混ぜて一晩寝かせ、丸めておいた生地を取り出した。
たっぷりのギーを手に塗り、生地を叩きつけるようにして薄く伸ばしていく。
パンッ! パンッ!
リズミカルな音を立てながら、俺は生地をピザ職人のように空中に放り投げた。
遠心力で生地が透けるほど薄く、巨大な円形に広がっていく。
「おおーっ」
環やナナが拍手をする。
極薄になった生地にさらにギーを塗り、空気を包み込むようにパタパタと四角く折りたたむ。何層にも重なったこの構造が、焼いた時に極上のサクサク感を生むのだ。
「これを、多めの油で揚げるように焼く」
熱した鉄板に生地を落とす。
ジュワァァァァァッ!!
ギーの甘く濃厚な香りが、血と硝煙の匂いを上書きして広場に立ち込めた。
表面が狐色になり、層の間に空気が入ってふっくらと膨らんでいく。
両面をカリッと焼き上げたら、最後は両手で生地をパンッと叩き潰す。これで層がほぐれ、羽毛のような軽さとサクサク感が完成する。
「焼けたぞ。保温しておいたチキンカレーのソースをたっぷりつけて食ってくれ」
俺が皿を渡すと、環たちは待ってましたとばかりに手づかみでロティ・プラタをちぎった。
「パリッ……サクッ……」
「……うわぁ、何これ! 外はクロワッサンみたいにサクサクなのに、中はもっちりしてる!」
「カレーのスパイスと、ギーの甘みがめっちゃ合うわね! これ、いくらでも食べられそう!」
千夏と環が歓声を上げる。
そこへ、不機嫌そうな足音が近づいてきた。
「……何、その匂い」
振り返ると、先ほどの氷結DJ少女、アーニャが立っていた。
ホログラムの衣装を解除し、ダボダボのパーカー姿に戻っている。
彼女は俺の焼いているロティ・プラタを、恨めしそうな、それでいて興味津々な目で見つめていた。
「おや、Z世代の天才DJじゃないか。腹が減ったのか?」
「べ、別に! コンビニのゼリー飲料あるし。……ただ、なんかいい匂いがしたから見に来ただけ」
強がっているが、彼女のお腹がキュルルと小さく鳴ったのを、俺の耳は聞き逃さなかった。
事前にギルドのデータで見た覚えがある。彼女はロシア出身だが、日本の家庭料理……いや、とにかく美味しいものには目がないらしい。
「まあ、そう意地を張るな。同じ防衛戦を戦う仲間だ。毒は入ってないから食ってみろ」
俺は焼きたてのロティ・プラタを一枚、ペーパーに包んで彼女に差し出した。
アーニャは迷った末、素早い手つきでそれをひったくり、端っこを少しだけ齧った。
「……っ!」
その瞬間、彼女の青灰色の瞳が見開かれた。
サクサクとした食感。ギーの芳醇なバターの香り。そして、スパイシーなカレーの刺激が、疲労した脳にダイレクトに突き刺さる。
「……な、何これ。油の塊じゃん。カロリーの暴力じゃん……でも、美味しい……」
彼女はブツブツと文句を言いながらも、両手でロティ・プラタを持ってハフハフと食べ始めた。
「待て待て、それだけじゃ口の中が辛くなるだろ。今日のペアリングはこれだ」
俺はクーラーボックスから、プラスチックのカップを取り出した。
中には、緑色のゼリー状の麺と、甘く煮た小豆。そこにクラッシュアイスを入れ、冷たいココナッツミルクを注ぐ。
最後に、黒蜜のように濃厚なパームシュガーのシロップを回しかけた。
以前、環の家で作ったこともある『チェンドル』だ。
「今回は飲み物としてアレンジした。太めのストローで、下からよく混ぜて飲んでみろ」
アーニャはプラタを頬張りながら、ストローを咥えた。
ズズッ。
「……あ」
彼女の表情が、完全に崩れた。
「なにこれ……甘くて、すごく冷たい! ココナッツの香りと、この黒糖みたいなシロップが……カレーの辛さを一瞬で消してくれる! しかもこの緑色のゼリー、つるんとしてて食感が最高……!」
「熱くて辛いプラタと、冷たくて甘いチェンドル。エンドレス・リピートできる至高の組み合わせだ。……どうだ、おじいちゃんの作るアナログな飯も、悪くないだろう?」
俺が意地悪く笑うと、アーニャはハッとして、慌ててそっぽを向いた。
「べ、別に! 飯が美味いからって、アンタの音楽を認めたわけじゃないからね! あんな古臭いベース、私の最新のEDMには絶対に勝てないんだから!」
「ほう? 言ってくれるじゃないか」
俺も負けじと、腕を組んだ。
「お前のやってるサンプリング魔法は確かに強力だ。だが、あれはただの『ノイズの暴力』だ。味方とのグルーヴが一切ない。あんな独りよがりなDJプレイじゃ、長丁場のライブは乗り切れないぜ」
「何よ! 私の氷のビートが独りよがりだって言うの!?」
「事実だ。……なら、次の第二波で勝負するか?」
俺の言葉に、アーニャは瞳をギラつかせた。
「いいよ! どっちがより多くの敵を倒して、この戦場を沸かせられるか! 私が勝ったら、アンタのそのダサい機材、全部窓から投げ捨ててもらうからね!」
「いいだろう。俺が勝ったら、お前はウチのパーティに入って、一からアンサンブルの基礎を学んでもらう」
バチバチと火花が散る。
アナログなオッサンベーシストと、デジタルネイティブな天才DJ少女。
全く相容れない二つの音楽性が、スタンピードの最前線で激突しようとしていた。
「……なんか、近藤さんってああいう生意気な子相手だと、ムキになるわよね」
環がロティ・プラタを齧りながら、呆れたように呟く。
「ま、いいんじゃない? アーニャの氷結魔法は強力だし、ウチのパーティに広範囲殲滅役が加われば、戦術の幅が劇的に広がるわ。近藤さん、絶対に勝ちなさいよ」
千夏が悪巧みをするプロデューサーの顔で笑った。
遠くから、再び地鳴りのような魔物の咆哮が聞こえ始める。
第二波の接近だ。
「行くぞ。俺のビートで、あのお子様を踊らせてやる」
俺はミキサーの電源を入れ直し、ベースのシールドを繋いだ。
Z世代からの宣戦布告。
受けて立とうじゃないか。平成生まれを昭和扱いするその生意気な耳に、時代遅れと呼ばれようと決して色褪せない、泥臭いロックンロールの力を刻み込んでやる。




