第25話 緊急クエスト発生:スタンピードの前兆
突如として鳴り響いたけたたましいアラート音は、俺たちの穏やかな休日を容赦なく切り裂いた。
ギルドから支給された専用端末の画面が、危険を知らせる真紅に染まり、けたたましい警告音を部屋中に響き渡らせている。
『特級警報:新宿第3迷宮において異常な魔力濃度の上昇を観測。スタンピード発生の危険性大。SランクおよびAランク探索者は直ちに第一防衛ラインへ集合せよ』
「……スタンピード。とうとう来ちゃったわね」
坂本千夏がタブレットを操作しながら、険しい表情で呟いた。普段の明るいプロデューサーの顔はそこにはなく、歴戦のAランク探索者としての冷徹な顔つきになっている。
スタンピード。ダンジョン内部の魔物が許容量を超え、地上へと溢れ出す大災害だ。かつてこの現象によって壊滅した都市は数知れない。それが今、日本の中枢である新宿で起きようとしているのだ。
「第一防衛ラインってことは、迷宮のゲート前を封鎖するってことだな」
二階から駆け下りてきたザーナ・ベリシャが、すでに戦闘用の重装甲を身に纏いながら言った。その手には、彼女の身長ほどもある巨大なタワーシールド『アイギス・ウーファー』が握られている。金属の擦れ合う重々しい音が、事態の深刻さを物語っていた。
「そうよ。ギルドの予測だと、あと数時間で第一波がゲートを突破するわ。規模は……未知数ね」
千夏が共有したデータを覗き込んだ俺は、思わず息を呑んだ。
通常時の50倍という異常な魔力濃度。それが意味するのは、単なるゴブリンやオークといった雑魚の群れだけではない。深層に潜む規格外の化け物たちが、一斉に押し寄せてくるということだ。下手な軍隊が何個師団あっても足りない絶望的な物量。
「……上等じゃない」
村上環が、愛用の大剣『紅姫』の刃を布で拭いながら、静かに、だが確かな闘志を込めて言った。彼女の猫目は、恐怖ではなく、純粋な戦意で爛ギラギラと輝いている。
「新宿は私たちのホームグラウンドよ。勝手に荒らされるのは我慢ならないわ。全部叩き斬ってやる」
「その意気だ。だが、一人で突っ走るなよ。今回は今までみたいなスポットでのボス戦じゃない、何時間続くか分からない長期戦になる」
俺は環の肩を軽く叩き、戒めた。
リビングには、二日酔いから完全に覚醒し、魔力のリボンを周囲に漂わせている斉藤ナナと、防音室から出てきて大量の解析機材をチェックしている太田真生の姿もあった。
「真生、耳は大丈夫か?」
「……はい、店長。防音イヤーマフの設定は完璧です。でも、外はきっと、すごくうるさいんでしょうね。魔物の咆哮、怒号、爆発音……想像しただけで吐き気がします」
「ああ。だから俺が、お前たちのために最高の防音壁を作ってやる」
俺はミキサーとスピーカーのバッテリー残量を指差し確認し、予備のケーブルと大容量のモバイルバッテリーをバックパックに詰め込んだ。
出撃準備は整いつつあった。
だが、部屋の空気は張り詰めている。
Sランクの彼女たちでさえ、これから始まる未曾有の防衛戦へのプレッシャーを感じているのだ。当然だ。失敗すれば、数百万の命が奪われ、この街が地図から消滅する。
「……よし。装備の確認は終わったな」
俺はパンッと手を叩き、全員の視線を集めた。
「出撃まであと1時間。その前に、俺たちの『儀式』を済ませよう」
「儀式?」
環が小首を傾げる。
「決まってるだろ。腹が減っては戦はできぬ、だ。これだけカロリーを使う大仕事の前に、何も食わないなんてあり得ない。極限の集中力を維持するためにも、良質なタンパク質と糖分を体に叩き込む必要がある」
俺はアイランドキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。
昨夜のうちに仕込んでおいた、とっておきの食材を取り出す。
「今日のメニューは『骨付きカルビ』だ。韓国の焼肉店で出てくる、あの長くてデカいやつだぞ」
タッパーの中には、骨を中心に長く切り開かれた分厚い牛肉が、醤油とごま油ベースの特製のタレに浸かっている。
「この肉の最大のポイントは、タレじゃなくて『切り方』にある。厚さ1センチはある肉の表と裏に、数ミリ間隔で斜めの切れ目を格子状に入れているんだ。いわゆる『ダイヤモンドカット』ってやつだな」
俺はトングで肉を持ち上げ、その美しい網目模様を見せた。
「こうやって物理的に肉の繊維を断ち切ることで、分厚い肉でも驚くほど柔らかく、噛み切りやすくなる。さらに、表面積が爆発的に増えるから、漬け込み時間が短くてもタレが中まで一瞬で染み込むんだ。肉の食感を活かしつつ、味を最大化するプロの技だ」
「それに、骨付きのまま焼くのが重要だ。骨の周りの肉には旨味成分が一番凝縮されているし、加熱することで骨髄からエキスが染み出して、肉全体を濃厚にコーティングしてくれる」
俺はダイニングテーブルの巨大な無煙ロースターの電源を入れた。
鉄板が十分に熱されたのを確認し、トングで長い骨付き肉を豪快に広げて掴む。
ジュゥゥゥゥゥウウウウッ!!
肉を鉄板に乗せた瞬間、爆発的な音がリビングに響き渡った。
焦げる醤油とニンニク、そして和牛の濃厚な脂の香りが、一気に空気を支配する。ダイヤモンドカットされた切れ目が熱で開き、そこからグツグツと肉汁が湧き出している。
さっきまでの張り詰めた死線の緊張感が、暴力的なまでの『食欲をそそる匂い』によって強制的に上書きされていく。
「うわぁ……」
千夏がゴクリと喉を鳴らした。
環やザーナも、吸い寄せられるようにロースターの周りに集まってくる。
足元では、ファズが「クンクン」と鼻を鳴らしてソワソワと尻尾を振っていた。
「焦がさないように、でも香ばしく焼き上げるのがコツだ」
俺は肉の表面に滲み出た肉汁を見逃さず、絶妙なタイミングで裏返す。
焼き色がついた部分が、飴色に輝いている。
ハサミを使って、骨から肉を切り離し、一口大にジョキジョキと切り分けていく。鉄板の上で肉が踊る。
「よし、焼けたぞ。サンチュとエゴマの葉、それに特製の辛味噌とキムチを用意してある。好きなように巻いて食ってくれ」
「いただきます!」
5人の美女たちが、一斉に箸を伸ばした。
環はサンチュの上に肉とキムチを乗せ、大きく口を開けて頬張った。
「……んんっ!!」
彼女の猫目が見開かれる。
「柔らかっ……! すごい、分厚いお肉なのに、噛んだ瞬間にホロってほどけていく! 切れ目の中にタレがしっかり入り込んでて、噛むたびにジュワッて肉汁と旨味が溢れてくるわ!」
「エゴマの葉の香りが最高ね。それにこの骨の周りのお肉、少し筋張ってるけど、味が濃くてめちゃくちゃ美味しい!」
千夏も骨の周りの肉をしゃぶりながら絶賛する。
ナナとザーナは言葉も発せず、ただひたすらに肉を焼き、巻き、食らい続けていた。
真生は少し熱そうにハフハフと息を吐きながらも、「……美味しいです。脂が甘い」と小さな笑みを浮かべている。
「待て待て、肉だけじゃない。今日のペアリングはこれだ」
俺はキッチンカウンターの下から、独特の装飾が施されたガラス瓶を取り出した。
中には無色透明な液体が入っている。
「これは『ロキシー』。ネパールやチベットの伝統的な蒸留酒だ。ヒエや米、粟を発酵させて作るお酒で、アルコール度数は40度を超える。……今日は決戦前だからな、少し気付け薬になってもらう」
俺は小さなショットグラスにロキシーを注ぎ、彼女たちに配った。
「アルコール度数が高いから、一気にいかずに、少しずつ舐めるように飲んでくれ。甘辛くて脂っこいカルビの後味を、この酒がスパッと切り裂いてくれる」
ナナがグラスを手に取り、匂いを嗅いだ。
「……独特の香り。少し麹のような、でもすごく澄んでいて、どこかフルーティーな匂いね」
彼女はクイッとグラスを傾けた。
「カハッ……! 強い! でも、すっごくクリア!」
ナナの顔がカッと紅潮する。
「喉の奥がカーッと熱くなるけど、口の中の肉の脂とタレの甘さが、嘘みたいに消え去ったわ。そして……また猛烈に味が濃い肉が欲しくなる!」
「本当だ。この胸の奥から湧き上がってくる熱い刺激、気合いが入るぜ!」
ザーナもロキシーを煽り、再びカルビに手を伸ばす。
濃厚で甘辛いカルビと、強烈なアルコールのロキシー。
それは、これから始まる過酷な死闘を前にした、最高のカンフル剤だった。
俺は肉を焼き続けながら、彼女たちの顔を眺めた。
先程までの蒼白な緊張感は完全に消え去り、瞳には闘志と活力がみなぎっている。
俺の料理が、俺の選んだペアリングが、彼女たちの魂のエンジンに火をつけたのだ。
「……さて」
俺はトングを置き、全員を見渡した。
「腹は膨れたな。体は温まったか」
「ええ。完璧よ」
環が立ち上がり、大剣の柄を強く握りしめた。
その瞳には、最強の『剣姫』としての誇りと自信が満ち溢れていた。
「いいか、相手がどれだけの物量で来ようと関係ない。俺たちは『サウンド・オブ・ブレイブ』だ」
俺はミキサーのフェーダーに指をかけ、機材の冷たい感触を確かめながら静かに言った。
「千夏さんが最高のステージと射線を構築し、真生が不快なノイズを消し去る。ザーナが強固な壁となって敵をせき止め、ナナが癒やしと加護の音を奏でる。そして、環が主旋律を刻む」
俺はニヤリと笑った。
「俺は後ろで、お前たちが世界一気持ちよく踊れるビートを鳴らし続ける。だから……何も恐れず、存分に暴れてこい」
「「「応!!」」」
力強い返事が、リビングに響き渡る。
窓の外を見ると、東京の空は不気味な紫色に染まり始めていた。
遠くから、新宿方面へ向かう自衛隊や警察のサイレンの音が、絶え間なく、そして何重にも重なって聞こえてくる。
スタンピードの始まり。
だが、不思議と俺の心に恐怖はなかった。
俺の隣には、世界最強で、そして最高に手のかかる仲間たちがいるのだから。
「行くわよ、みんな。私たちの最高のライブの始まりよ!」
千夏の号令とともに、俺たちはクランハウスを飛び出した。
俺の第2の青春は、いよいよ最も激しいサビへと突入しようとしていた。




