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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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第24話 不器用な剣姫の休日、そして嵐の予感

 世田谷の高級住宅街に建つ、8億円のクランハウス。


 『サウンド・オブ・ブレイブ』の新しい拠点での休日の朝は、驚くほど静かで穏やかだった。


 広大なリビングの窓から、柔らかな朝日が差し込んでいる。

 他のメンバーたちはまだ夢の中だ。

 昨日のツーリングの疲れで爆睡しているザーナ、夜通し機材のセッティングを微調整していた真生、相変わらず酒が残っているナナ、そして美容のために睡眠時間を絶対に削らない千夏。

 早起きなのは、年長者の俺と――。


「クゥーン、クンッ」


 足元で、小さな赤茶色の毛玉が跳ね回っていた。

 先日家族になったばかりの豆柴の赤ちゃん、『ファズ』だ。

 生後2ヶ月にも満たないその体は、両手にすっぽりと収まってしまうほど小さい。短い足で一生懸命にフローリングを駆け回り、時折ツルッと滑っては「キャンッ」と可愛らしい声を上げている。


「こらファズ、走り回ると危ないぞ」


 俺がソファに腰掛けながら声をかけると、ファズは短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら、俺の足元へとトコトコ駆け寄ってきた。

 そして、俺の足の甲にポフッと顎を乗せ、つぶらな黒い瞳で見上げてくる。


「……反則的な可愛さだな、お前」


 俺は苦笑しながらファズを抱き上げ、膝の上に乗せた。

 ミルクの甘い匂いと、子犬特有の高い体温。心臓がトクトクと速いリズムを刻んでいるのが伝わってくる。


「よし、ファズ。今日は新しい芸を覚えようか」


 俺はポケットから、犬用の小さなボーロを取り出した。

 それを見た瞬間、ファズの目が輝き、鼻をヒクヒクとさせる。


「まずは『お座り』だ」


 ボーロをファズの頭上へゆっくりと移動させる。ファズはボーロを目で追いかけ、自然と腰を落としてお座りの姿勢になった。


「よし、いい子だ。じゃあ次。……『お手』」


 俺はファズの目の前に、平らにした手のひらを差し出した。

 ファズは首をコテッと右に傾け、不思議そうに俺の手を見つめている。

 言葉の意味が分かっていないのだ。


「お手、だ。ここに前足を乗せるんだぞ」


 俺は優しくファズの右前足をつまみ、自分の手のひらの上に乗せた。

 そして、すかさず「よし!」と褒めてボーロを口元に運ぶ。

 サクサクと美味しそうにボーロを食べるファズ。

 これを何度か繰り返す。


「さあ、ファズ。……お手」


 手のひらを差し出す。

 ファズは少し考えるような素振りを見せた後、ぽふっ、と。

 小さく柔らかい、ピンク色の肉球が、俺の手のひらの上にちょこんと乗せられた。


「……っ!」


 俺は思わず息を呑んだ。

 破壊力が凄まじい。その健気な仕草と、肉球のぷにぷにとした感触に、30歳独身男の父性が爆発しそうになる。


「天才か、お前は! よしよし、偉いぞファズ!」

「ワンッ!」


 俺が思い切り撫で回してボーロをあげると、ファズは嬉しそうに俺の手をペロペロと舐めてきた。


「……朝から何やってるのよ、近藤さん」


 ふと、背後から呆れたような声が聞こえた。

 振り返ると、階段の踊り場に村上環が立っていた。

 いつもの凛とした戦闘スーツ姿ではなく、大きめのスウェットにハーフパンツという、完全に気を抜いた部屋着姿だ。

 寝起きなのか、長い黒髪が少し跳ねている。


「おはようございます、環さん。ファズの英才教育ですよ」

「ふうん。……おはよう、ファズ」


 環が近づいてくると、ファズは俺の膝から降りて、環の足元へと駆け寄った。

 環はしゃがみ込み、ファズの頭を優しく撫でる。

 冷徹な『剣姫』の面影はどこにもない。ただの犬好きな女の子の顔だ。


「近藤さん、コーヒー淹れてもらえる?」

「はいよ。朝食はどうします?」

「うーん、軽くでいいわ。……って、ちょっと待って」


 立ち上がった環は、俺がキッチンに向かおうとするのを手で制した。


「今日はオフなんでしょ? いつも近藤さんに料理も掃除も任せっきりだし……今日は私が家事を手伝うわ」

「……はい?」

「なによその疑いの目は。私だって、やればできるんだから」


 環はスウェットの袖を腕まくりし、ふんす、と鼻息を荒くした。

 俺は一抹の……いや、巨大な不安を覚えた。

 彼女は、あの『リズム感壊滅』の不器用なSランク探索者だ。戦闘での不器用さは俺のBGMでカバーできるが、日常生活の不器用さはどうにもならない。

 以前の家でも、彼女の部屋は足の踏み場もないほど散らかっていたと千夏から聞いている。


「お気持ちは嬉しいですが、俺がやりますよ。これもリーダー兼専属シェフの仕事ですから」

「ダメ。たまには私にやらせて。……えーと、とりあえず昨日のグラスとかがシンクに溜まってるわね。私が洗うわ!」


 環は意気揚々とキッチンに立ち、スポンジに洗剤をつけた。

 俺はハラハラしながら、少し離れたところから見守ることにした。


 彼女は高級なワイングラスを手に取り、スポンジで擦り始める。


「見てなさい。Sランクの集中力と正確性をもってすれば、皿洗いなんて――」


 キュッ、という高い音が鳴ったかと思うと。


 パリンッ!


「あ……」


 環の握力に耐えきれず、薄いクリスタルグラスが粉々に砕け散った。


「……」

「……環さん、力入れすぎです。ゴブリンの首を絞めてるんじゃないんですから」

「わ、分かってるわよ! たまたま力加減を間違えただけ! 次のお皿はちゃんと……!」


 環はムキになって陶器の平皿を洗い始めた。

 しかし、彼女の動作は「1・2・3・4」という一定の単調なリズムだ。皿の曲面に沿って滑らかに洗うということができず、カクカクとロボットのような動きになっている。

 見ていて危なっかしいことこの上ない。


 ツルッ。

 泡で滑った皿が、環の手からすっぽ抜けた。


「あっ!」


 俺は反射的に手を伸ばし、床に落ちる寸前で皿をキャッチした。


「……危ないところでしたね」

「ご、ごめんなさい……」


 環はすっかりシュンとして、耳を赤くして俯いてしまった。


「やっぱり私、ダメね。剣を振ることしか取り柄がない。家事一つまともにできないなんて……お嫁にいけないわ」

「そんなことで落ち込まないでくださいよ。餅は餅屋です」


 俺は環の隣に立ち、彼女の手からスポンジを受け取った。


「ほら、貸してください。……皿洗いにも『リズム』があるんです」


 俺は環の背後に立ち、彼女の濡れた両手を、自分の手でそっと包み込んだ。

 背中合わせの、いわゆる「二人羽織」のような体勢になる。


「こ、近藤さん……!?」


 環の肩がビクッと跳ね、耳の裏まで真っ赤に染まるのが分かった。

 シャンプーの甘い香りが、ダイレクトに鼻腔をくすぐる。

 だが、俺はあくまで「指導」として冷静を装った。


「いいですか。力でこするんじゃなくて、皿の形に合わせてスポンジを滑らせるんです。ワルツのような3拍子のリズムで。……イチ、ニ、サン。イチ、ニ、サン」


 俺が彼女の手を動かしながらリズムを取ると、スポンジは滑らかに皿の汚れを落としていく。

 環の緊張が少しずつ解け、俺のリードに身を任せ始めた。


「……本当だ。なんだか、ダンスを踊ってるみたい」

「でしょう? 何事もリズムですよ、ボス」


 しばらくそうして皿を洗っていると、環がぽつりと呟いた。


「……近藤さんの手、大きくて……温かいわね」

「そりゃ、男の手ですからね。荷物持ちでマメだらけで、アンタの綺麗で細い手とは大違いだ」

「ううん。……私、この手、好きよ」


 環が少しだけ頭を後ろに傾け、俺の胸に体重を預けてきた。

 背中から伝わる柔らかい感触と体温に、俺の心臓のBPMが一気に跳ね上がりそうになる。

 これはいけない。30歳の理性が試されるシチュエーションだ。


「……コホン。さ、洗い物はこれで終わりです。お腹空いたでしょう、お昼にしましょうか」

「……もう、近藤さんの意気地なし」


 環が小さく唇を尖らせたが、すぐに「でも、ご飯は楽しみ」と笑顔に戻った。


 休日のブランチ。

 俺は手早く本格的なパスタを作ることにした。


「今日のメニューは『本場のカルボナーラ』です」


 俺はフライパンに、細かく切った『グアンチャーレ』を投入した。ベーコンよりも脂の甘みが強く、本場のカルボナーラには欠かせない食材だ。

 弱火でじっくりと脂を引き出し、カリカリになるまで炒める。

 ボウルには、卵黄、たっぷりのペコリーノ・ロマーノ、そして粗挽きのブラックペッパーをすり鉢で潰して混ぜ合わせておく。生クリームは一切使わない。


「茹で上がったパスタをフライパンに入れ、グアンチャーレの脂を吸わせます。そして火から下ろし、少し粗熱を取ってから、卵とチーズのソースを一気に絡める」


 火が強すぎると卵が固まってボソボソになってしまう。

 フライパンを素早く煽り、パスタの茹で汁と脂、卵黄を乳化エマルジョンさせる。

 とろりとした黄金色のソースがパスタに絡みつき、濃厚なチーズと肉の香りがキッチンに立ち込めた。


「完成です」


 皿にこんもりと盛り付け、追いブラックペッパーをふりかける。


「いただきます!」


 環がフォークでパスタを巻き取り、口に運ぶ。


「……んんっ!! 濃厚! 生クリーム入ってないのに、すごくクリーミー!」

「チーズと卵黄、そして豚の脂が完璧に混ざり合っているからです。グアンチャーレの塩気とカリカリ感もいいアクセントでしょう」

「最高……。ブラックペッパーのピリッとした辛さが、ソースの重さを引き締めてるわ。これ、お店の味以上よ」


 環は幸せそうにパスタを頬張る。

 俺はそれを見ながら、自分もパスタを味わった。

 ペアリングとして用意した、レモンを絞った微炭酸のミネラルウォーターが、濃厚な口当たりをさっぱりと洗い流してくれる。


 穏やかな休日の昼下がり。

 ファズは満腹になってクッションの上で丸くなり、環は美味しそうに俺の作った飯を食べている。

 戦闘の緊張感から解放された、この平凡で平和な時間が、いつまでも続けばいいのにと本気で思えた。


 ――しかし。


 俺たちの日常は、常に『非日常』と隣り合わせだ。


「……近藤さん。環。ちょっといいかしら」


 階段を降りてきた千夏の声が、いつもとは違う低く深刻なトーンだった。

 彼女の手には、ギルドから支給された専用のタブレット端末が握られている。


「どうしたの千夏。そんな怖い顔して。ご飯食べる?」

「後でいただくわ。それより……これを見て」


 千夏がタブレットをテーブルに置いた。

 画面には、新宿エリアの広域マップと、不気味な赤い波形を示すグラフが表示されていた。


「ギルドの観測データよ。昨日の深夜から、新宿第3迷宮……私たちが拠点にしているあのダンジョン周辺の『魔力濃度』が、異常な数値を記録し始めているの」

「異常な数値?」


 俺が覗き込むと、そのグラフは右肩上がりの二次曲線を描き、レッドゾーンを振り切ろうとしていた。


「通常時の、50倍近い濃度よ。これはただのボスの発生や、深層の活性化なんてレベルじゃない」


 千夏の顔に、焦燥の色が浮かぶ。


「……ギルド本部は、これを『ダンジョン崩壊』――つまり、モンスターの街への大氾濫の『前兆』だと判断したわ。先ほど、Sランク及びAランク探索者に対し、緊急招集命令が下った」


 スタンピード。

 ダンジョンの許容量を超えた魔物が、地上へと溢れ出す大災害。

 過去に何度か発生し、その度に街一つが壊滅するほどの被害を出している。


 俺と環は顔を見合わせた。

 フォークを置いた環の目から、先程までの穏やかな休日の色は完全に消え去っていた。

 代わりに宿るのは、研ぎ澄まされた刃のような、最強の『剣姫』としての闘志。


「……休日は終わりのようね」

「ええ。準備してちょうだい。私たちの『音』を、最大音量で鳴らす時が来たみたいよ」


 窓の外の空が、いつの間にか厚い鈍色の雲に覆われ始めていた。

 嵐の予感。

 俺は無言で立ち上がり、地下の防音室に置かれた相棒を取りに向かった。

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