第21話 新拠点探しと、Sランクたちの金銭感覚
大手クラン【Noize】のマネージャーを追い返した翌朝。
俺のアパートは、かつてないほどの人口密度と熱気、そして物理的な圧迫感に包まれていた。
「……なぁ、お前ら。少しは遠慮ってものをだな」
俺がキッチンから声をかけると、リビングにひしめき合う5人の美女たちが一斉にこちらを向いた。
村上環は俺のベッドの上で剣の手入れをし、坂本千夏は唯一のテーブルを占領してタブレットを操作。斉藤ナナとザーナ・ベリシャは床に寝転がって海外の映画を観ており、太田真生に至っては俺の機材ラックと壁の隙間にダンボールで自作した「防音ハウス」に引きこもっている。
築40年、1Kの木造アパート。
男の一人暮らしでも手狭だった空間に、Sランク3名とAランク2名が入り浸っているのだ。
酸素が薄い。それに、彼女たちの持ち込んだ武器や防具、着替えなどの私物が、俺の生活空間を完全に侵食していた。
「仕方ないじゃない、リーダー」
千夏がタブレットから顔を上げた。
「ここが私たちの『サウンド・オブ・ブレイブ』の正式な事務所なんでしょ? だったら毎日出社するのは当然の義務よ」
「出社って……ここ俺の家なんだけど。環もタワマンがあるだろ」
「私の家は広すぎて落ち着かないの。近藤さんの家の方が、ご飯の匂いがしてホッとするわ」
環がベッドでゴロゴロしながら言う。Sランクの威厳はどこへやら、完全に実家に帰省した親戚の子供だ。
「それにしても、さすがに限界ね」
千夏が立ち上がり、部屋の惨状を見渡した。
「機材も増えてるし、そろそろ本格的な『クランハウス』を構える時期だと思うわ。私たち、もう立派なトップクランなんだから」
「クランハウスか。まあ、確かにこのままじゃ全員酸欠で倒れるな」
「でしょ? 実はもう、ギルドの不動産部門にいくつか物件を見繕わせているの。今日、これから内見に行くわよ」
「えっ、今日!?」
千夏の行動力は相変わらず嵐のようだ。
俺たちはあれよあれよという間に車に押し込まれ、都内の一等地へと向かうことになった。
「……おいおい、冗談だろ」
案内された物件の前に立ち、俺は口をポカンと開けた。
世田谷区にある、高い塀に囲まれた広大な敷地。
アイアンゲートの奥には、まるでヨーロッパの迎賓館のような三階建ての洋館がそびえ立っていた。
「元々はトップクランが所有していた物件らしいわ。地下にはギルド直結のプライベート転送ゲート付き。防音のトレーニングルーム、大浴場、そして最新設備の巨大なアイランドキッチン。セキュリティも最高ランクよ」
千夏が誇らしげに説明する。
ギルドの不動産担当者が、揉み手で俺たちを案内してくれた。
中に入ると、さらに圧倒された。
エントランスは吹き抜けで、シャンデリアが輝いている。
リビングは俺のアパートが10個は入りそうな広さで、防音室はそのままライブハウスとして使えそうなほどの音響設備が整っていた。
「いいな! これなら私のシールドバッシュの練習も気兼ねなくできる!」
「キッチンが凄いわ……近藤さん、ここならフルコースでも何でも作れるわよ」
ザーナと環が目を輝かせている。
真生も防音室の壁をコンコンと叩き、「反響音がない。完璧な無響室……ここに住みたいです」と珍しくテンションが上がっていた。
「で、お値段なんですが」
不動産担当者が、恭しくタブレットを差し出した。
そこに表示された数字を見て、俺の心臓が止まりかけた。
「……8億円?」
「はい。本来なら10億は下らない物件ですが、皆様はギルドへの貢献度が高い特A級クライアントですので、特別価格となっております」
8億。
一生かかっても稼げない数字だ。
俺はそっと後ずさりした。
「無理無理無理。俺の全財産集めても、この家のトイレのドアノブすら買えねえよ。もっと現実的な、中古の一軒家とかにしようぜ」
俺が提案すると、女性陣は不思議そうな顔で俺を見た。
「何言ってるのよ近藤さん。安すぎるくらいじゃない」
「は?」
「私たちの昨日の動画収益と、投げ銭、それにドロップ品の売却益を合わせれば、軽く1億は超えてるわ。それに私と環の個人資産を足せば、8億なんて現金で一括払いできるわよ」
千夏がサラッと言ってのける。
環も「私のカード、限度額ないから切っておこうか?」とブラックカードを取り出した。
ナナは「実家の蔵の壺をいくつか売れば足しになるぞ」と言い出し、ザーナに至っては「コソボの隠し財産をスイス銀行から動かすか」と国際的なマネーロンダリングを始めようとしている。
こいつら、金銭感覚が完全にバグっている。
Sランク探索者がいかに稼いでいるか、その底知れなさを俺は思い知らされた。
「……待て待て。俺も一応リーダーだ。お前らだけに金を出させるわけにはいかない」
俺が最後の意地を見せると、千夏が俺の肩に腕を回してきた。
「いいのよ、リーダー。貴方は私たちの『音』と『胃袋』の管理者なんだから。お金は私たちが稼ぐ。貴方は最高の環境で、私たちを気持ちよくさせてくれればそれでいいの」
「そうよ。近藤さんは私のお抱えシェフ兼DJなんだから、養われて当然よ」
環までそんなことを言い出す。
完全に「ヒモ」の扱いだ。30歳にして、絶世の美女たちに8億円の豪邸で囲われることになるとは。
俺は抗うことを諦め、深い溜息をついた。
「……分かった。キッチンは俺の城にさせてもらうぞ」
「交渉成立ね! 担当さん、これ一括で買うわ」
かくして、俺たち『サウンド・オブ・ブレイブ』は、規格外のスピードで新たな拠点を手に入れたのだった。
豪邸の購入手続きを終え、その足で家具や生活用品の買い出しに向かうことになった。
大型のショッピングモールを歩きながら、俺たちはあれこれと必要なものをリストアップしていく。
「あ、ちょっと待って」
ペットショップの前を通りかかった時、真生が急に立ち止まった。
彼女の視線は、ガラス張りのショーケースの奥に釘付けになっていた。
「どうした、真生?」
俺が近づいて覗き込むと、そこには小さな小さな命がうずくまっていた。
生後55日目の豆柴の赤ちゃんだ。
「……うわぁ」
環が声を漏らし、千夏やナナ、ザーナも一斉にショーケースに張り付いた。
無理もない。その破壊力はSランクの魔物をも凌駕していた。
毛色は明るい赤茶色。
両手にすっぽりと収まってしまいそうなほど小さな体は、まるでコロコロとした毛玉のようだ。
短い足でよちよちと歩き、ガラス越しにこちらを見つめるつぶらな黒い瞳。
あどけない顔つきで、小さく「クゥ〜ン」と鳴きながら、ピンク色の肉球をガラスに押し当ててきた。
「な、なんて可愛い生き物なの……!」
「コソボにはこんなに小さくて丸い犬はいなかったぞ! 守護せねば!」
普段は冷徹に敵を切り伏せる環も、大盾で敵を粉砕するザーナも、完全にメロメロになっている。
豆柴の赤ちゃんは、短い尻尾をパタパタと振りながら、大きなあくびをした。
その口から覗く小さな乳歯と、あどけない仕草。
俺の胸の奥でも、何かがキュンと鳴った。
「……店長。この子の心拍数、すごく優しくて、安心するリズムです」
真生がガラスに額をくっつけながら、ぼそりと呟いた。
「この子がいれば、ノイズの多い日でも安眠できそうです。……飼っちゃダメですか?」
真生の懇願するような上目遣い。
そして、他の4人も「リーダー、お願い!」「私たちがちゃんと面倒見るから!」と一斉に俺を見てきた。
……新しい家は8億円の大豪邸だ。防音室もあるし、庭だってドッグランが作れるほど広い。
ペット不可のボロアパートとは違う。
「……分かったよ。新しい家族を迎えよう」
「やったー!!」
美女たちの歓声がショッピングモールに響いた。
その日の夕方。
まだ家具の少ない新居のリビングで、俺たちは車座になっていた。
中央には、フカフカのクッションに包まれた小さな豆柴がいる。
「ほーら、こっちおいで」
環が指を鳴らすと、豆柴は短い足でトコトコと歩き、彼女の指先を甘噛みした。
まったく痛くないのだろう。環は「んふふ」とだらしない声を漏らしている。
「名前、どうする? やっぱ和風の犬だし、小太郎とか?」
千夏が尋ねる。
俺は豆柴のフワフワとした毛並みを撫でながら、少し考えた。
「……『ファズ』はどうだ?」
「ファズ?」
「ギターやベースのエフェクターの名前だ。音を歪ませて、毛羽立ったような温かい音を出すんだ。この子の毛並みみたいにさ」
俺がそう言うと、豆柴は自分の名前だと分かったのか、「ワンッ!」と元気よく短く吠えた。
ミルクの匂いがする、小さくて高い鳴き声。
「ファズ。いい名前ね」
「決定だな! 我がクランの最年少メンバーだ!」
ナナとザーナが拍手をする。
真生は静かにファズを膝の上に乗せ、その温かい鼓動を確かめるように目を閉じていた。
8億の豪邸と、Sランクの美女たち、そして手のひらサイズの豆柴。
俺の人生は、どうやら完全に新しいフェーズに入ったらしい。
騒がしくて、温かくて、時々桁外れに非常識な俺たちの日常が、この新しいステージで本格的に幕を開けた。




