第18話 罠解除のリズム、彼女は指パッチンで道を開く
新宿第3迷宮、第27階層の最深部。
『機巧の回廊』を統べるボス、『クロックワーク・ガーディアン』が、重々しい金属音と共に立ち上がった。
それは、四本腕を持つ巨大な機械仕掛けのケンタウロスだった。
通常のボスと違うのは、部屋全体が彼の一部として機能していることだ。壁、床、天井、至る所に無数の銃眼や隠し刃、魔法陣が仕掛けられており、ボスが歯車を鳴らすたびに、部屋中から全方位の飽和攻撃が飛んでくる。
力押しでは決して突破できない、初見殺しの要塞。
――だが、今の俺たちにとって、それはただの「ガラクタの山」に過ぎなかった。
「……五月蠅いです」
パーティの最後尾。
俺のすぐ隣に立つ太田真生が、気怠げに呟いた。
彼女の目は半開きで、やる気は微塵も感じられない。だが、その手には音叉型の短剣が握られている。
俺はミキサーのフェーダーを調整し、ベースの弦を優しく弾いた。
今回の俺の役割は、前衛のテンションを上げることではない。
真生の【絶対調律】を極限まで引き出すための、「静寂」を作ることだ。
ボォォォン……。
深く、どこまでも澄んだ低音のサイン波が広がる。
環境音楽。
俺の奏でるベースラインが、ダンジョン特有の不快な反響音や、機械の駆動ノイズをマスキングし、真生の耳にとって最適な「無響室」を作り出す。
「……うん、いい音です。これなら、クリアに視えます」
真生が短剣の腹を指で弾く。
チィィィン……という澄んだ音が、俺のベースの低音と美しく和音った。
その瞬間、彼女の瞳に異質な光が宿る。
彼女には見えているのだ。この空間に張り巡らされた、目に見えない罠の魔力回路が。歯車の噛み合う周波数が。
「右壁面、30度の角度。毒ガス噴射管の共振点……そこ」
真生が指を鳴らす。
パチン、と乾いた指パッチンの音が響いた。
直後。
右の壁の中で、「バキンッ!」という何かが破裂する音がした。
ボスの号令で噴射されるはずだった毒ガスが、管の内部で逆流し、機能停止する。
「なっ……!?」
「今のは一体……?」
前線で大剣を構えていた村上環と、魔銃を構えていた坂本千夏が驚愕の声を上げた。
真生の指パッチンは、ただの音ではない。
対象の物質や魔力が持つ「固有振動数」を完全に把握し、それと全く同じ周波数の音波を叩きつけることで、共振現象を引き起こして物理的に破壊する神業だ。
「次。床下、半径5メートルの転送魔法陣。魔力波形がBマイナーで不協和音。……うるさいから、黙って」
パチン。
再び指が鳴る。
淡く光りかけていた床の魔法陣が、ガラスが割れるようにパリンと砕け散った。
「すげえ……」
俺はベースを弾きながら、思わず感嘆の息を漏らした。
彼女が指を鳴らすたびに、部屋中の凶悪なトラップが次々と無力化されていく。
これまでは一歩進むごとに罠を警戒し、解除に数十分を費やしていたのが嘘のようだ。ダンジョンの攻略速度が、文字通り倍、いや10倍以上に跳ね上がっている。
「ガガ……ピピピピ……!」
自慢の罠をすべて潰されたクロックワーク・ガーディアンが、混乱したような電子音を発した。
四本の腕を振り回し、直接的な物理攻撃に切り替えて突進してくる。
だが、ギミックを失った図体だけのボスなど、俺たちの前衛陣の敵ではない。
「ハッ! 罠がなけりゃ、ただのデカい案山子だぜ!」
ザーナ・ベリシャが前に出る。
彼女の巨大なタワーシールドが、ボスの剛腕を正面から受け止める。
ズドォォン! という凄まじい衝撃音が響くが、ザーナは一歩も引かない。【反響防御】が衝撃を音波に変換し、逆にボスを怯ませる。
「環! 千夏! 今だ、やっちまえ!」
「言われなくても!」
環が地面を蹴り、赤い閃光となって宙を舞う。
後方からは、斉藤ナナが鉄扇を舞いながら【浄化の舞】で攻撃力上昇のバフをかける。
ザーナが止め、千夏が魔弾で関節の装甲を撃ち抜き、ナナのバフを受けた環が大剣を叩き込む。
完璧な連携。一切の淀みがない。
真生が罠という「ノイズ」を消し去ってくれたおかげで、アタッカーたちは純粋な戦闘だけに集中できているのだ。
ギャリィィィン!!
環の【円月殺】が、ボスの動力源である胸の魔石を真っ二つに両断した。
ガーディアンは機能を停止し、崩れ落ちて巨大な鉄屑の山へと変わった。
「……終了、ね。お疲れ様」
千夏がドローンを回収しながら、眼鏡を押し上げる。
戦闘時間はわずか3分。
この階層の平均討伐時間が1時間であることを考えれば、異常なタイムだ。
「はぁ……終わりましたか。帰っていいですか」
真生は短剣をしまい、その場にぺたりと座り込んだ。
「まだ帰らないわよ。ドロップ品の回収があるでしょ」
「私は荷物持ちじゃありません。それに……頭を使いすぎて、もう脳みそが限界です。糖分が足りません。餓死します」
「大袈裟ねぇ……」
環が苦笑するが、真生の顔色は本当に青白かった。
異常な集中力で空間内のすべての音を処理するのは、想像を絶するカロリーを消費するのだろう。
俺はベースを背中に回し、バックパックから愛用の機材を取り出した。
「待たせたな。今日はアンタのために、とびきり冷たくて甘い特効薬を用意してきたぞ」
「……おやつ、ですか」
真生の半開きの目が、ほんの少しだけ見開かれる。
俺が取り出したのは、魔石駆動式のポータブル・アイスクリームメーカーだ。
ダンジョンの最深部でこんなものを持ち歩いている探索者は、世界中探しても俺くらいだろう。
「今日のメニューは『ジェラート』だ。ただのアイスクリームじゃない、本場イタリア仕込みの空気を含んだ滑らかなやつだ」
俺はクーラーボックスから、昨夜のうちに仕込んでおいたジェラートのベース液を取り出した。
新鮮な牛乳、生クリーム、砂糖、そして今日の主役であるフレーバー。
「今回は『ピスタチオ』だ。シチリア産の最高級ピスタチオペーストを惜しみなく使っている」
薄緑色のベース液をマシンに流し込み、スイッチを入れる。
ウィィィン……という静かな駆動音と共に、内部のパドルが回転し始める。
急速冷却されながら、適度な空気が練り込まれていく。この空気の含有量が、ジェラート特有の「ねっとりとした滑らかさ」を生み出すのだ。
「いい匂い……ナッツの香ばしい匂いがします」
「甘いものは別腹だぜ!」
真生だけでなく、環やザーナ、ナナ、千夏もわらわらと集まってきた。
さっきまで死闘を繰り広げていたSランク探索者たちが、アイスメーカーの周りで目を輝かせている図は、なんともシュールだ。
「ジェラートができるまで、ペアリングの飲み物を作ろう。今日の飲み物はこれだ」
俺は別の水筒から、琥珀色のシロップを取り出した。
「『クラフト・レモネード』。単なるレモン汁と砂糖じゃない。レモンの皮と果汁に、蜂蜜、クローブ、カルダモン、シナモンを加えて一晩煮詰めた特製シロップだ」
グラスに氷をたっぷりといれ、シロップを注ぐ。
そこへ、強炭酸のミネラルウォーターを一気に注ぎ込んだ。
シュワァァァッ! という爽快な音と共に、黄金色の泡が弾ける。
柑橘系の爽やかな酸味に、スパイスの複雑でエキゾチックな香りが混ざり合い、それだけで喉が鳴るような香りが周囲に漂った。
「ピーッ、ピーッ」
マシンの完了音が鳴った。
蓋を開けると、そこには絹のようになめらかで、艶やかな薄緑色をしたジェラートが完成していた。
「できたぞ。特製ピスタチオジェラートだ」
俺はディッシャーでジェラートを丸くすくい、冷やしておいたガラスの器に盛り付ける。
最後に、ローストした砕きピスタチオを散らしてアクセントを加えた。
全員にジェラートの器と、レモネードのグラスを手渡す。
「いただきます」
真生が誰よりも早くスプーンを手に取り、ジェラートを口に運んだ。
その瞬間、彼女の動きがピタリと止まる。
「……っ!」
無表情だった顔に、じわじわと血色が戻っていく。
「なにこれ……凄く、なめらか。舌の上で溶けるっていうより、消えるみたい」
「空気を絶妙に含ませているからな。味はどうだ?」
「濃厚です。ピスタチオの豆の味がガツンと来て、生クリームのコクが後から追いかけてくる……。コンビニのアイスとは次元が違います」
真生は夢中でスプーンを動かした。
他のメンバーも同様だ。
「うわ、美味しい! ナッツの女王って言われるだけあるわね」
「このザクザクしたトッピングの食感も最高だぜ!」
環やザーナも大絶賛だ。
俺はニヤリと笑い、グラスを指差した。
「口の中が甘くなったら、そのレモネードで洗い流してくれ」
真生がレモネードを一口飲む。
炭酸の刺激と共に、彼女が小さく「あ」と声を漏らした。
「……すっきりします。レモンの酸味だけじゃなくて、スパイスの香りが奥深いから、ジェラートの濃厚なミルク感に負けてない」
「そうだ。ジェラートの『重さ』を、レモネードの『軽さ』と『酸味』がリセットしてくれる。これで、また無限にジェラートが食えるって寸法だ」
濃厚と爽快の往復運動。
疲労した脳髄に、極上の糖分とビタミンが染み渡っていく。
真生の顔からは、先程までの「帰りたい」というオーラは完全に消え去り、代わりに至福の表情が浮かんでいた。
「……ふぅ。ごちそうさまでした。生き返りました」
綺麗に空になった器を置き、真生はレモネードのストローを弄りながら言った。
「どうだ、俺の労働環境は。少しは気に入ったか?」
俺が尋ねると、真生は少しだけ視線を逸らし、スウェットの袖を弄りながら答えた。
「……まあ、悪くないです。店長のベースの音があれば、耳も痛くないし」
そして、彼女は俺を真っ直ぐに見て、今日初めての小さな、本当に小さな微笑みを浮かべた。
「明日も、このレベルのおやつが出るなら……定時までは、しっかり働いてあげます」
「言ったな? 俺のレパートリーはまだまだ底なしだぞ。覚悟しておけよ、天才スカウト」
「……楽しみにしています」
塩対応の天才少女が、完全に俺の「音」と「飯」に陥落した瞬間だった。
環が「ちょっと、近藤さんに甘えすぎじゃない?」と口を尖らせ、ザーナが「ハッハッハ、お前もすっかりこのパーティの虜だな!」と真生の頭を撫で回す。
真生は「やめてください、髪が乱れます」と嫌がりながらも、本気で逃げようとはしなかった。
これで、本当にピースは揃った。
前衛、後衛、回復、索敵。そして、それらを束ねる俺の音楽。
『サウンド・オブ・ブレイブ』は、今度こそ深層の壁を越える。
俺は空になった器を片付けながら、明日からのさらに激しいセッションに向けて、心の中で静かにフェーダーを押し上げた。




