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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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第17話 塩対応少女を動かす唯一の方法

 新宿第3迷宮、第27階層『機巧の回廊』。

 無機質な金属の壁と、絶えず鳴り響く歯車の駆動音。殺意に満ちた罠が張り巡らされたこのエリアに、俺たち『サウンド・オブ・ブレイブ』は再び足を踏み入れていた。


 だが、攻略のペースは先日と大して変わっていなかった。

 理由は明白だ。


「……あー、帰っていいですか」


 パーティの最後尾を、這うような速度で歩く少女。

 新たに加入した天才音響解析士・太田真生が、死んだような目をしながら呟いた。

 今日でこの台詞を聞くのは、すでに20回目くらいだ。


「ちょっと真生ちゃん! もっとシャキッと歩きなさいよ! さっきから全然進んでないじゃない!」

「環さん、声が大きいです。耳が痛い。……あ、そこのタイル、踏むと毒ガス出ますから避けてください」


 真生が気怠げに指を差す。

 先頭を歩いていた環が慌てて足を止めた。見れば、確かに床のタイルの色が周囲とわずかに違う。

 真生の【絶対調律】は本物だった。彼女の耳は、壁の奥で回る歯車のノイズや、魔法陣が発する微細な不協和音を聞き分け、すべての罠の位置を正確に特定してみせた。


 能力は、疑いようもなくSランク級だ。

 しかし、いかんせん「やる気」がない。


「もう疲れました。帰りたいです。お布団が私を呼んでます」

「まだ潜り始めて1時間しか経ってないわよ!?」


 プロデューサーの坂本千夏が頭を抱える。

 前衛で盾を構えているザーナは「おいチビ、私が小脇に抱えて走ってやろうか?」と物騒な提案をし、二日酔い気味のナナは「迎え酒ならあるぞ」とフラフラしながら絡んでいる。


「他人の汗の匂いも、お酒の匂いも嫌いです。それに、この階層……歯車の擦れる金属音がずっと頭の中で反響してて、吐き気がします。……やっぱり、私には無理でした。帰ります」


 真生が踵を返し、本気で帰路につこうとした。

 俺は慌てて彼女のフードを掴んで引き留めた。


「待て待て。このままじゃ日が暮れる。……よし、少し早いが休憩にしよう」

「休憩? 帰るんじゃないんですか?」

「帰る前に、飯を食ってけ。今日はアンタのために、とびきりの屋台飯を用意してきたんだ」


 真生の足がピタリと止まった。

 そのアンニュイな瞳の奥に、ほんの少しだけ「食欲」という名の光が灯るのを、俺は見逃さなかった。

 俺は安全な小部屋を見つけると、素早く愛用の調理機材を展開した。


「今日のメニューは『サテ』だ。東南アジアの串焼きだな」


 クーラーボックスから取り出したのは、竹串に刺さった大量の肉だ。

 鶏肉、牛肉、そして羊肉。

 昨夜から、特製のスパイス液――ターメリック、コリアンダー、クミン、すりおろしたレモングラスとガランガル、そしてココナッツミルクを混ぜ合わせたものに漬け込んである。

 肉はすでに鮮やかな黄色に染まっていた。


「串焼き……焼き鳥ですか?」

「焼き鳥よりスパイシーで甘い。炭火で焼くぞ」


 俺は魔石駆動の無煙ロースターに火を入れ、網の上に串を並べた。

 ジュウッ! という音と共に、ココナッツミルクとスパイスが焦げる、強烈でエキゾチックな香りが立ち昇る。


「うわ、なにこの匂い……めっちゃお腹空く」

「ビールが欲しくなる匂いね」


 千夏とナナが身を乗り出してくる。

 真生も、少しだけコンロに近づいてきた。


 肉をひっくり返しながら、俺は小鍋でソースを作り始めた。

 サテの命は、肉そのものよりもこの『ピーナッツソース』にある。

 たっぷりのピーナッツバターをベースに、ケチャップマニス、タマリンドペーストの酸味、そして唐辛子の辛味を加えて火にかける。

 ドロリとした濃厚なソースが沸騰し、ナッツの香ばしさが加わった。


「それと、主食はこれだ」


 俺はタッパーを開け、綺麗に成形された白い塊を取り出した。

 バナナの葉の代わりとなる抗菌シートで包まれたそれは、一見するとただのおにぎりだ。


「特製おにぎりですか? 塩結び?」


 真生が首を傾げる。

 俺はニヤリと笑った。


「ただの白飯じゃない。『ナシレマッ』風のおにぎりだ。米を水じゃなく、ココナッツミルクとパンダンリーフ、生姜で炊き込んである」


 東南アジアでは、サテの付け合わせとして『ロントン』を食べる文化がある。それをダンジョンで片手で食べやすいように、俺流に「おにぎり」としてアレンジしたのだ。


「焼けましたよ。ソースをたっぷりつけて食べてください」


 俺は焼き立てのサテと、ココナッツおにぎりを皿に乗せ、真生に手渡した。

 彼女はおずおずと串を受け取り、ピーナッツソースを絡めて一口囓った。


「……んっ」


 真生の目が、今日一番の大きさで見開かれた。

 スパイスの複雑な香りが鼻に抜け、炭火の香ばしさと肉の脂が口の中に広がる。そこへ、ピーナッツソースの暴力的なまでの「甘辛さ」が押し寄せる。


「……美味しい。なにこれ、お祭りの屋台の匂いがするのに、味が深いです」

「おにぎりも食ってみろ。相性抜群だぞ」


 真生がおにぎりを齧る。

 ココナッツミルクのまろやかな甘みとパラパラとした米の食感が、サテの強烈な味を優しく包み込み、中和していく。

 無限に食べ続けられるループの完成だ。


「そして、この強烈な味を洗い流すペアリングはこれだ」


 俺はクーラーボックスから、琥珀色の液体が入ったボトルを取り出した。

 『リカール』。

 フランスで作られる、アニス風味のリキュール、『パスティス』の代表的な銘柄だ。


「お酒ですか?」

「アンタ、もうハタチになってるだろ? 強い酒じゃない、水割りだ」


 俺はグラスに氷を入れ、パスティスを注いだ。その時点では透明な琥珀色だ。

 そこへ、冷たいミネラルウォーターを注ぎ込む。


「わっ……色が変わった」


 環が驚きの声を上げた。

 水と混ざり合った瞬間、グラスの中の液体が魔法のように白濁したのだ。

 ウーゾ効果と呼ばれる現象。アニスの精油成分が水に反応して白く濁るのだ。


「飲んでみろ。好き嫌いは分かれるが、サテのピーナッツソースにはこれしかないってくらい合う」


 真生がグラスを受け取り、白濁した液体に口をつける。

 独特の、薬草のような甘い香りが広がる。


「……あ。すごく、すーっとします」


 真生の頬が微かに紅潮した。

 アニスの清涼感と甘草の風味が、口の中の油っこさを一瞬でリセットし、スパイスの余韻だけを美しく残していく。

 東南アジアの熱気と、南仏の涼風の出会い。


「……負けました。美味しいです。おにぎり、もう一個ください」


 真生は観念したように言い、ガツガツと二本目の串に手を伸ばした。

 環たちも「ずるい! 私たちにもちょうだい!」と騒ぎ出し、あっという間に串の山が消えていく。


 食後の余韻。

 パスティスのグラスを傾けながら、真生はふぅ、と小さく息を吐いた。


「ご飯は最高でした。……でも、帰りたい気持ちは変わりません」

「まだ言うか」


 ザーナが呆れたようにため息をつく。


「だって、うるさいんです。この階層の金属音、私の耳には針で鼓膜を引っ掻かれてるみたいに痛くて……いくらご飯が美味しくても、労働環境がブラックすぎます」


 真生は両手で耳を塞ぎ、うずくまってしまった。

 彼女の【絶対調律】は、常人には聞こえないノイズまで拾ってしまう。この機巧の回廊は、彼女にとって拷問部屋のようなものなのだ。


「……なるほどな。アンタの『帰りたい』は、単なるサボりじゃなくて、物理的な苦痛から来てたわけだ」

「……はい」

「なら、話は早い」


 俺は立ち上がり、背負っていたミキサーの電源を入れた。

 そして、傍らに立てかけてあった安物のベースギターを手に取る。


「耳を塞ぐ必要はない。俺が『マスキング』してやる」

「マスキング……?」


 俺はシールドをミキサーに繋ぎ、ボリュームを調整した。

 ノイズキャンセリング・ヘッドホンと同じ原理だ。不快な騒音に対して、それと真逆の位相を持つ音の波をぶつけることで、音を相殺する。

 俺のスキル【音響共鳴】を使えば、その効果を空間全体に拡張できる。


 俺はベースの弦を弾いた。

 派手なスラップや、激しいピック弾きではない。

 指の腹で、優しく、深く、低音のサイン波に近い音を鳴らす。

 ボォォォン……という重厚な低音が、床を這うように広がっていく。


 環境音楽。

 規則的に鳴り続ける歯車の音を包み込み、中和し、別の心地よい音像へと変換していく。


「……え?」


 真生が耳から手を離した。

 彼女の周囲から、針で引っ掻くような金属ノイズが完全に消え去っていた。

 代わりに満ちているのは、深い水底にいるような、あるいは胎内にいるような、圧倒的で穏やかな『静寂』。

 俺のベースが作り出した、音響的な安全地帯だ。


「……静か。嘘みたい」


 真生は信じられないといった顔で、周囲を見回した。


「俺のベースが届く範囲内なら、アンタの耳を不快なノイズから守ってやる。静寂空間のデリバリーだ。……これで、労働環境の改善にはなったか?」


 俺がベースを弾きながら微笑むと、真生はぽかんと口を開け、それから小さく、本当に小さく笑った。


「……店長、すごいです。本当に魔法みたい」

「店長じゃない、リーダーだ」

「ふふっ。……分かりました。これなら、悪くないです」


 彼女は立ち上がり、スウェットの袖をまくった。

 その目には、先程までの死んだような光はない。プロの音響解析士としての、静かな集中力が宿っていた。


「ただし、定時退社は絶対ですからね。あと、帰ったらさっきのパスティス、もう一杯ください」

「約束しよう」


 俺が力強く頷くと、真生は音叉型の短剣を取り出し、チーンと鳴らした。

 その澄んだ音が、俺のベースの低音と美しく和音る。


「環さん、ザーナさん、ナナさん。……行きますよ。私が全部の罠を黙らせます」


 そこからの真生の働きは、まさに鬼神の如きものだった。

 俺の作り出す静寂空間の中で、彼女は指パッチン一つで罠の音響的弱点を突き、次々とトラップを破壊・無効化していった。

 

 毒矢の射出機は自壊し、落とし穴の機構は停止する。

 今まで足踏みしていたのが嘘のように、俺たちは第27階層を駆け抜けた。


 Sランクの火力と防御力、そしてAランクの神眼。

 それを繋ぐ、俺のBGM。


 『サウンド・オブ・ブレイブ』のパズルが、ついに完成した瞬間だった。


「……よし、ボス部屋が見えたぞ!」


 千夏がドローンの映像を見て叫ぶ。

 俺はベースを弾きながら、メンバーたちの背中を見つめた。

 ここから先は、深層の主との対話だ。

 俺はミキサーのペダルを踏み、アンビエントな静寂から、戦闘用の攻撃的なビートへと、滑らかに曲をクロスフェードさせていった。

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