第14話 コソボからの黒船、金髪の重戦車
『腐食の森』攻略から数日後。
俺と斉藤ナナは、浅草の『ホッピー通り』にいた。
平日の昼下がりだというのに、通りは赤ら顔の呑兵衛たちで賑わっている。
路面に並べられた簡易テーブルと丸椅子。煮込みの匂いと、ジョッキがぶつかり合う音。
これ以上ないほど「昭和」な空間だ。
「……で、なんで俺たちはここで飲んでるんですか?」
俺はジョッキの結露を指で拭いながら尋ねた。
向かいに座るナナは、既にジョッキを半分ほど空け、至福の表情で煮込みを突っついている。
「親睦会だと言っただろう、リーダー」
「親睦会ねぇ……。環さんと千夏さんは誘わなくて良かったんですか?」
「あいつらは忙しそうだし、何よりこの空気感は分からんだろう」
ナナは煮込みの大根を口に運び、熱っ、と声を上げた。
今日の彼女は、いつものチャイナドレスではなく、ゆったりとした刺繍入りのスカジャンにデニムという、少しヤンチャな私服姿だ。
長い黒髪を一本に縛り、ノーメイクに近い薄化粧。
それでも隠しきれない美貌に、周囲のオヤジたちがチラチラと視線を送っているが、本人は気にする様子もない。
「それに、お前とは一度サシで飲みたかったんだ」
「光栄ですね。説教じゃなきゃいいんですが」
「バカ言え。礼だよ、礼」
ナナはニカっと笑い、俺のジョッキに自分のジョッキをぶつけた。
「あの時のワルツ、良かったぞ。あんなに気持ちよく踊れたのは久しぶりだった」
「そいつはどうも」
「私な、実家が厳しいんだ。伝統芸能としての『舞』を叩き込まれて育った。型、型、型……息が詰まりそうだったよ」
彼女は遠い目をした。
Sランク『精霊舞踏家』。その華やかな称号の裏には、俺たちには想像できない重圧があるのだろう。
「だから反動で酒に溺れたのか?」
「うるさいな。……でも、お前の選曲には『自由』があった。型にはめ込むんじゃなくて、私の動きに合わせてくれる。まるで、即興のセッションみたいにな」
「元バンドマンですからね。ボーカルを気持ちよく歌わせるのがベースの仕事です」
俺が言うと、ナナは嬉しそうに目を細めた。
「気に入った。やっぱりお前は私の専属になるべきだ」
「だから断りますって。……ほら、おかわりどうします?」
「黒ホッピー! 中多めで!」
俺たちは飲み続けた。
浅草から上野へ。アメ横を冷やかし、立ち飲み屋で串カツを食い、公園のベンチで缶ビールを開ける。
傍から見れば、休日の昼間からイチャつくカップル……というよりは、悪友同士の飲み歩きだ。
だが、その距離感は心地よかった。
環の「独占欲」とも、千夏の「駆け引き」とも違う。
もっとフラットで、対等な関係。
「……ふぅ。食った食った」
日が傾きかけた頃、ナナが満足げに腹をさすった。
「さて、シメはどうする? ラーメンか?」
「いや、さすがに食いすぎでしょう。少し場所を変えませんか。美味い酒と、いい音楽がある店を知ってるんです」
「ほう? 髭のリーダーおすすめの店か。それは期待できるな」
タクシーで向かったのは、六本木の路地裏にある老舗のロックバー『B-SIDE』だった。
重厚な木の扉を開けると、紫煙とアルコール、そして年代物のスピーカーから流れるアナログレコードの音が俺たちを迎えた。
店内は薄暗く、カウンターの奥には膨大な数のレコードが壁一面に並んでいる。
客層は様々だが、皆一様に音楽を愛し、酒を愛する静かな熱気を帯びていた。
「へえ……渋い店」
ナナが物珍しそうにキョロキョロしている。
俺たちはカウンターの端に座り、マスターにバーボンを注文した。
「ここ、昔よく来てたんです。バンド解散して金がない時も、ここだけは逃げ場所だった」
「なるほどな。お前の『音』のルーツってわけか」
流れている曲は、エリック・クラプトンの『Layla』。
枯れたギターの音色が、酔った体に染み渡る。
しばらく静かに飲んでいると、店の空気が変わった。
入り口のドアベルが鳴り、一人の客が入ってきた瞬間だ。
カツ、カツ、カツ……。
ヒールの音が、リズムを刻むように響く。
現れたのは、とてつもない存在感を放つ女性だった。
身長は180センチを超えているだろうか。俺より高いかもしれない。
輝くようなプラチナブロンドのロングヘア。
彫りの深い顔立ちと、アイスブルーの鋭い瞳。
服装は、露出度の高いメタリックなドレスに、ゴツいミリタリージャケットを羽織っている。
そのアンバランスさが、彼女の野性味と美しさを際立たせていた。
「……デカいな」
ナナが小声で呟く。
その女性は迷うことなくカウンターの中央に進み、隣の客が座っていた席の背もたれに手を置いた。
客が慌てて席を譲る。
彼女は悠然と座り、マスターに指を一本立てた。
「ウォッカ。ストレートで。……あと、曲を変えて」
ハスキーで、少し訛りのある日本語。
彼女は懐から一枚のレコードを取り出し、カウンターに滑らせた。
「これをかけて。大音量でね」
マスターが苦笑しながらレコードを受け取り、ターンテーブルに乗せる。
針が落ちる。
ノイズの後に流れてきたのは、重厚なベースラインと、攻撃的なラップ、そして民族音楽的な旋律が融合したミクスチャー・ロックだった。
「……ぬ?」
俺は眉をひそめた。
聞いたことがない曲だ。だが、凄まじい熱量を感じる。
東欧のメロディラインに、西側のロックがぶつかり合っているような。
金髪の女性はグラスを傾けながら、指先でリズムを刻み始めた。
その指先が止まり、突然こちらを向いた。
「おい、そこの髭」
目が合った。
獲物を狙う猛禽類のような目だ。
「……俺ですか?」
「そうお前だ。お前、『音柱』だろ?」
店内の客たちがざわめく。
俺はサングラスの位置を直し、とぼけてみせた。
「人違いじゃないですかね。俺はただのしがない元バンドマンですよ」
「隠しても無駄だ。その死んだ魚のような目と、機材運びで鍛えられた独特の筋肉のつき方。動画で見たまんまだ」
彼女はグラスを持って、俺たちの席まで移動してきた。
近くで見ると、その迫力に圧倒される。
香水ではなく、火薬と鉄の匂いが微かにした。
「私はザーナ。ザーナ・ベリシャ。Sランク探索者だ」
「……コソボの?」
俺は思わず聞き返した。
ザーナ・ベリシャ。海外から来日したSランクとして、最近ニュースになっていた名前だ。
「鉄壁の歌姫」とか「戦場のディーヴァ」とか呼ばれていたはずだ。
「知ってるのか。光栄だな」
ザーナはニヤリと笑い、俺の隣のナナを一瞥した。
「で、そっちのちんちくりんは誰だ? 新しい女か?」
「ちんちくりんだと……!?」
ナナが眉を吊り上げて立ち上がる。
一触即発の空気。
俺は慌てて二人の間に割って入った。
「まあまあ、落ち着いて。彼女はチームメイトです。……で、Sランク様が俺に何の用です?」
「テストだよ」
ザーナは俺の胸倉を掴み、強引に引き寄せた。
顔が近い。青い瞳に自分の顔が映っている。
「お前の『音』が本物かどうか、試しに来た。ネットの評判なんて信じない。私は自分の耳と肌でしか納得しないタチなんでね」
「テストって……ここで戦う気ですか? 店が壊れますよ」
「戦わないさ。音楽の話をしよう」
彼女は掴んでいた手を離し、今流れている曲を指差した。
「この曲、知ってるか?」
「……いや、初めて聴きますね」
「だろうな。これは私の故郷、コソボのアンダーグラウンドで流行っていた曲だ。戦火の中で、若者たちが瓦礫の下で叫んでいた怒りと希望の歌さ」
ザーナは遠くを見るような目をした。
「お前の動画を見た時、私は懐かしさを感じたんだ。綺麗なだけのBGMじゃない。泥臭くて、必死で、生きるための音がそこにあった」
「……買い被りですよ」
「謙遜するな。そこでだ、音柱」
ザーナはカウンターに肘をつき、挑発的な視線を送ってきた。
「お前は日本のロックしか知らないのか? それとも、世界の痛みを知ってるのか? ……私を満足させる選曲ができるか?」
試されている。
彼女は俺の音楽的な引き出しと、その奥にある「魂」を見ようとしているのだ。
俺は少し考え、マスターに声をかけた。
「マスター、レコード棚見てもいいですか?」
「おう、好きにしな」
俺は棚の前に立ち、指を走らせた。
コソボ出身。戦火の記憶。そして、今の攻撃的なミクスチャー・ロック。
彼女が求めているのは、ただ激しいだけの曲じゃない。
「痛み」を共有し、それを力に変えるためのアンセムだ。
俺の指が、一枚のレコードで止まった。
90年代、グランジ・ブームの火付け役となったバンドのアルバム。
ニルヴァーナではない。もっと重く、暗く、しかし底知れぬ力強さを持ったバンド。
「……これだ」
俺はレコードをマスターに渡し、針を落としてもらった。
重苦しいベースのイントロが始まる。
『Alice in Chains』の『Rooster』。
ベトナム戦争に行った父親の苦悩を描いた曲だが、その歌詞とメロディは、あらゆる「戦う者」の魂に響く普遍性を持っている。
「……ほう」
ザーナが目を細めた。
曲が進むにつれ、彼女の表情が変わっていく。
挑発的な色が消え、静かな共感が広がっていく。
サビの叫びのようなボーカルが響く頃には、彼女はグラスを握りしめ、微かに震えていた。
「……いい選曲だ」
曲が終わると、ザーナは短く言った。
「派手なメタルで誤魔化すかと思ったが……まさか、こんな渋い球を投げてくるとはな」
「アンタの目を見て決めましたよ。戦うことに疲れてるけど、それでも戦場以外に居場所がない……そんな目をしていたから」
俺が言うと、ザーナはハッとして、それから大きな声で笑った。
「ハハハ! 参ったな。私の心の内まで見透かすか、DJ」
「職業病ですよ」
ザーナは立ち上がり、残ったウォッカを一気に飲み干した。
「合格だ、近藤菊雄。お前の音、気に入った」
「そいつは光栄です」
「私を雇え」
「……はい?」
唐突な提案に、俺は耳を疑った。
「聞こえなかったか? 私を雇えと言ったんだ。お前たちのパーティ、『サウンド・オブ・ブレイブ』だっけか? そこに入れてもらおう」
「ちょ、ちょっと待ってください。Sランクの引き抜きなんて、そんな簡単には……」
「金の問題じゃない。私は私の背中を預けられる『音』を探していたんだ。お前なら、私の盾のリズムに合わせられる」
ザーナは俺の肩をバンと叩いた。痛い。骨が軋む音がした。
「タンクがいないんだろ? 私がいれば、あのひ弱な剣士も、もっと自由に動けるはずだ」
「ひ弱とは聞き捨てならないな、デカ女」
ナナが横から口を挟む。
「環は強いぞ。それに、お前が入ったら私の踊るスペースがなくなる」
「ハッ、チビは私の後ろに隠れてろ。最高の特等席を用意してやるよ」
バチバチと火花が散る。
Sランク同士のプライドのぶつかり合い。
だが、ザーナの提案は魅力的だった。
確かに、俺たちのパーティには「壁」がいない。環も千夏も回避型で、ナナは回復役だ。
敵の攻撃を一手に引き受けるタンクがいれば、戦略の幅は劇的に広がる。
「……ボスとプロデューサーに相談しないと決められませんが」
「構わん。どうせ断らないさ。……明日の朝、事務所に行く。住所は特定済みだ」
ザーナはウィンクをして、支払いを済ませることもなく店を出て行こうとした。
そしてドアの前で振り返り、ニカっと笑った。
「楽しみにしてるぞ、マエストロ。私をどう『演奏』してくれるのか」
ドアが閉まる。
嵐が去った後のような静寂が、店に戻った。
「……とんでもないのを拾っちまったな」
俺は頭を抱えた。
ナナが呆れたように言った。
「お前、本当に変な女を引き寄せる才能があるな」
「嬉しくない才能ですよ」
「ま、いいんじゃないか? あいつ、口は悪いが腕は確かだぞ。コソボでの武勇伝は私も聞いてる」
ナナは自分のグラスを掲げた。
「新しいトラブルに乾杯だ」
「……乾杯」
俺たちはグラスを合わせた。
剣姫、プロデューサー、酒乱のダンサー。そして今度は、金髪の重戦車。
俺のパーティは、一体どこへ向かおうとしているのか。
スピーカーから流れるブルースが、俺の未来を暗示するように、少しだけ切なく響いていた。




