第11話 回復役がいない問題
『サウンド・オブ・ブレイブ』が結成されてから数週間。
俺たちの快進撃は続いていた。
同接数はアベレージで10万人を超え、動画の再生回数は右肩上がり。スポンサー契約の話も舞い込み、順風満帆に見えた。
――しかし。
現場の空気は、それほど明るいものではなかった。
「……ッ、くぅ!」
新宿第3迷宮、第22階層。
村上環が苦悶の声を漏らし、バックステップで距離を取る。
彼女の左腕がだらりと下がっている。
対峙しているのは『アーマード・リザード』の群れ。硬い鱗と、酸を吐く厄介な敵だ。
「環、無理しないで! ポーション使うわよ!」
後方から坂本千夏が叫び、腰のポーチから小瓶を取り出して投げる。
環はそれを空中でキャッチし、不器用に蓋を開けて一気に煽った。
傷が塞がっていく。だが、その表情は晴れない。
「……味が最悪」
「文句言わないの。高級品なんだから」
ポーションは即効性があるが、連続使用すると効果が薄れるし、何より「ポーション酔い」と呼ばれる倦怠感を引き起こす。
今の環の動きが鈍っているのは、疲労だけが原因ではない。
「近藤さん、BPM落として! 環の心拍数が限界近いわ!」
「了解!」
俺はミキサーを操作し、激しいロックから、少しテンポを落としたレゲエ調の曲にクロスフェードさせた。
ゆったりとした裏打ちのリズムが、戦場の空気を弛緩させる。
環はその隙に呼吸を整え、再び大剣を構えた。
戦闘終了後。
セーフティゾーンに戻った俺たちは、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……限界ね」
千夏がタブレットのデータを睨みながら言った。
「火力が足りないわけじゃない。防御だって、環の回避能力なら問題ないはず。でも、長期戦になるとジリ貧になるわ」
「回復役がいないからですね」
俺が指摘すると、二人は同時に頷いた。
今のパーティ構成は、近接アタッカー、遠距離アタッカー兼司令塔、バッファーの3人。
攻撃力はSランク級だが、継戦能力が致命的に低い。
ポーションだけでは、深層の長時間探索には耐えられないのだ。
「募集はかけてるんでしょう?」
「ええ。Aランク以上のヒーラー限定でね。応募は殺到してるわよ。『あの音柱のパーティなら無償でも入りたい』って奇特な子もいたわ」
千夏はため息をつき、首を振った。
「でも、全員不合格」
「不合格?」
「ええ。……リズムに乗れないのよ」
それが最大の問題だった。
俺のスキル【音響共鳴】は、パーティメンバー全員の心拍と魔力波形を音楽に同期させることで真価を発揮する。
だが、これは諸刃の剣だ。
音楽のセンスがない人間、あるいはリズム感の悪い人間がこの環境に入ると、逆に船酔いのような状態になって動けなくなってしまうのだ。
「環はリズム感ないけど、私の音に全幅の信頼を置いて委ねてくれるから成立してる。千夏さんは元々勘がいい。でも、他の連中は……」
「自分の詠唱リズムとBGMが喧嘩して、魔法が暴発するか、頭痛で倒れるか。……昨日のテスト生なんて、イントロ聴いただけで吐いてたわ」
千夏がお手上げのポーズをする。
俺たちのパーティに必要なのは、ただ回復魔法が使える人材ではない。
激しいビートの中でも平然としていられる、あるいはその音を乗りこなせる「音楽的な才能」を持ったヒーラーでなければならないのだ。
「そんな人材、どこにいるのよ……」
環が疲れ切った顔で天井を仰いだ。
俺たちの「音」についてこれる回復役。
それは、砂漠でダイヤモンドを探すような作業に思えた。
翌日。
探索は休みになった。
連戦の疲労を抜くためと、これ以上の無理は危険だという千夏の判断だ。
俺は久しぶりに昼まで泥のように眠り、溜まっていた洗濯物を片付けていた。
そこへ、スマホが震えた。
着信画面には『ボス』の文字。
「……はい、もしもし」
『今すぐ銀座に来て』
「はい?」
『4丁目交差点。30分以内ね。遅れたら罰金』
「ちょ、待っ……」
プツン。
一方的に通話が切れた。
俺はスマホを握りしめたまま、天を仰いだ。
休みの日くらいゆっくりさせてくれよ、ボス。
30分後。
俺は銀座4丁目の交差点に立っていた。
今日は休日ということもあり、歩行者天国は多くの人で賑わっている。
俺はサングラスをかけ、周囲を警戒しながら彼女を待った。
「お待たせ」
背後から声をかけられる。
振り返った俺は、一瞬言葉を失った。
そこにいたのは、いつもの戦闘スーツ姿の「剣姫」ではなかった。
淡いベージュのトレンチコートに、黒のタイトなニットワンピース。足元はヒールの高いロングブーツ。
髪は緩く巻かれ、大人の女性らしい雰囲気を漂わせている。
変装用の伊達メガネをしているが、その美貌は隠しきれておらず、道行く人々が振り返っては溜息を漏らしていた。
「……どう? 変じゃない?」
環が少し不安そうに上目遣いで聞いてくる。
「いえ、似合ってますよ。というか、目立ちすぎて変装になってません」
「ふふ、近藤さんに褒められるなら、バレてもいいわ」
彼女は嬉しそうに微笑むと、自然な動作で俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
柔らかい感触と、甘い香水の匂いが押し寄せる。
「……あの、環さん。これは何の用事ですか? まさかまた敵の視察とか……」
「違うわよ。デート」
「デート?」
「そう、デート。千夏と表参道に行ったんでしょう? だったら私とも行く義務があるわ。リーダーとしての公平性を保つためにね」
なるほど、そういう理屈か。
千夏との買い出しの話を聞いて、対抗心を燃やしていたらしい。
Sランクの負けず嫌いは、こういうところでも発揮されるのか。
「分かりましたよ。で、どこに行くんです?」
「私のお気に入りのカフェ。あと、近藤さんの服も見るわ。そのジャケット、気に入ってるみたいだけど、一着だけじゃ着回しがきかないでしょ」
「……お気遣い痛み入ります」
俺たちは銀座の街を歩き出した。
傍から見れば、休日の銀座を楽しむカップルそのものだ。
少し年上の男と、モデルのような美女。
すれ違う男たちからの嫉妬の視線が痛いが、悪い気はしない。
環は楽しそうだった。
ショーウィンドウを覗き込み、気になった店に入り、俺にあれこれと試着させる。
ダンジョンの中では見せない、年相応の25歳の表情。
彼女が背負っている「Sランク」という重荷を、今日だけは降ろせているなら、付き合うのも悪くない。
「ねえ、これどうかしら」
環が持ってきたのは、深紅のネクタイだった。
「赤……ですか。俺には派手すぎませんか?」
「いいのよ。貴方のベースの色に、私の色を足すの。マーキングみたいなものね」
「……物騒な言い方ですね」
俺は苦笑しながら、そのネクタイを受け取った。
買い物を終え、老舗の喫茶店に入った。
レトロで落ち着いた店内。俺はブレンドコーヒー、環はモンブランを注文した。
「……ふぅ」
環がケーキを一口食べ、幸せそうな息を吐く。
「生き返るわ。最近ずっとピリピリしてたから」
「そうですね。ヒーラー不在の問題は深刻だ」
俺が仕事の話に戻すと、環は少しだけ表情を曇らせた。
「……ねえ、近藤さん。もし、私たちがこのままヒーラーを見つけられなかったら、どうなると思う?」
「ジリ貧ですね。深層攻略は諦めて、安全な階層で稼ぐだけのパーティになるか……あるいは、無理をして誰かが欠けるか」
「嫌よ、そんなの」
環がフォークを置いた。
「私はもっと上に行きたい。誰も見たことのない景色を見たいの。……貴方の音と一緒に」
「俺もですよ。だからこそ、慎重に探さないといけない」
俺はコーヒーを一口啜った。
「音楽と同じです。無理やり合わせようとしても不協和音になるだけだ。運命的な出会いってのは、探している時には見つからないもんでしょう」
「運命、か。……私と貴方みたいに?」
環が意味深な視線を向けてくる。
俺は咳払いをして誤魔化した。
「……ま、焦らずいきましょう。千夏さんも手を尽くしてくれてますし」
「そうね。千夏は顔が広いから……って、あ!」
突然、環が窓の外を指差した。
喫茶店の窓からは、中央通りが見下ろせる。
「どうしました?」
「あれ、千夏じゃない?」
俺も視線を向ける。
人混みの中に、確かに見覚えのある赤毛の女性がいた。
坂本千夏だ。
だが、彼女は一人ではなかった。
隣に、小柄な人影がいる。長い黒髪の女性……いや、服装が奇抜だ。
中華風のドレスというか、漢服のようなものを着ている。
「誰だあれ? 知り合いですか?」
「うーん……見たことないわね。でも、千夏があんなに必死に話しかけてるなんて珍しい」
千夏は何かを熱心に説得しているように見えた。
相手の女性は、ふらふらと覚束ない足取りで、千夏の話を聞いているのかいないのか分からない様子だ。
「……もしかして、スカウトか?」
「かもね。行ってみる?」
「いや、野暮ですよ。千夏さんに任せましょう」
俺たちはその様子をしばらく眺めていたが、やがて千夏とその女性は路地の方へと消えていった。
「ふうん……新しい仲間、だといいけど」
環がモンブランの最後の一口を口に運ぶ。
「もし変な子だったら、私がシメるから」
「お手柔らかに頼みますよ、リーダーとして」
店を出ると、空は茜色に染まり始めていた。
銀座のネオンが灯り始める。
「今日は付き合ってくれてありがとう、近藤さん」
駅へ向かう道すがら、環が言った。
その顔は、来た時よりも晴れやかに見えた。
「楽しかったわ。……やっぱり私、貴方と一緒にいると調子がいいみたい」
「それは光栄です。またいつでも誘ってください、ボス」
「うん。次は……水族館がいいな」
「それはまた、ハードルが高いですね」
俺たちは笑い合いながら、雑踏の中を歩いた。
ヒーラー問題はまだ解決していない。
だが、こうして束の間の休息を取ることで、俺たちの結束は確実に強まっていた。
そして。
俺はこの時まだ知らなかった。
千夏が連れていたあの奇妙な女性が、俺たちのパーティに新たな「旋律」をもたらすことになるキーパーソンだということを。
風に乗って、どこかから微かに聞こえるジャズの音色が、次の展開を予感させるように響いていた。




