第10話 パーティ名決定:【サウンド・オブ・ブレイブ】
『クラーケン・サーペント』討伐戦から数日後。
俺たちは、港区にある村上環の自宅、超高級タワーマンションの一室に集まっていた。
「……で、なんで俺がここで包丁を握ってるんですかね?」
俺は広大なアイランドキッチンの前で、ため息交じりに呟いた。
目の前には、高級スーパーで買い込んできた大量の食材が並んでいる。
「決起集会よ」
リビングのソファでくつろいでいた坂本千夏が、タブレットから顔を上げて言った。
「アンチ黙らせ作戦も成功したし、チャンネル登録者数も順調。ここらで一度、正式にパーティとしての結束を固めるべきでしょう?」
「だからって、なんで俺が料理担当なんです? デリバリーでいいじゃないですか。寿司とか」
「嫌よ。近藤さんの料理が一番美味しいんだもの」
隣で村上環が、当然のように言い放った。
彼女はキッチンカウンターに頬杖をつき、俺の手元をじっと見つめている。その目は完全に獲物を狙う猫のそれだ。
「前回のスペアリブ、忘れられないわ。……今日は何を作ってくれるの?」
「今日はリクエスト通り、鶏肉料理ですよ。ただし、普通のチキンソテーじゃ面白くない」
俺は観念して、調理モードに切り替えた。
Sランクの胃袋を掴んでしまった以上、生半可なものは出せない。
俺は冷蔵庫から、丸鶏一羽を取り出した。
「メニューは『海南鶏飯』。シンガポール式の茹で鶏ご飯です」
「チキンライス? ケチャップの?」
「違いますよ。鶏の出汁で炊いたジャスミンライスに、しっとりと茹で上げた鶏肉を添える、シンプルですが奥が深い料理です」
俺はまず、鶏肉の下処理に取り掛かった。
丸鶏の腹の中に、叩き潰した生姜、長ネギの青い部分、そしてニンニクを詰め込む。
次に、鶏皮の一部を切り取り、フライパンへ。
「まずは『鶏油』を作ります。これが味の決め手になる」
弱火でじっくりと皮を炒めると、黄金色の脂が滲み出てくる。
ジュワジュワという音と共に、香ばしい匂いがキッチンに広がる。環が鼻をヒクつかせた。
「いい匂い……」
「この脂に、みじん切りの生姜とニンニクを加えて香りを移します。そこに、洗っておいたジャスミンライスを投入」
ザララッ、と米を入れる。
日本の米ではなく、香りの良い長粒種を使うのがポイントだ。
透き通るまで米を炒め、鶏の脂と香りを一粒一粒にコーティングしていく。
「こうすることで、炊き上がった時にパラパラとした食感になり、噛むほどに旨味が溢れるご飯になるんです」
炒めた米を炊飯器に移し、鶏ガラスープと塩、少量のナンプラーを加えてスイッチオン。
次に、メインの鶏肉だ。
大鍋にたっぷりの湯を沸かし、生姜とネギ、酒を入れる。
「茹で鶏の極意は、沸騰させないことです」
「えっ、火を通さなくていいの?」
「グラグラ煮立たせると肉がパサつきます。沸騰したお湯に鶏を入れたら、すぐに極弱火にして、蓋をして余熱で火を通す。そうすれば、シルクのように滑らかな食感になります」
俺はタイマーをセットし、その間にタレの準備に入った。
海南鶏飯は、タレで食わせる料理と言っても過言ではない。
一つ目は、ダークソイソースをベースにした甘辛ダレ。
二つ目は、生姜とネギ油を混ぜたジンジャーソース。
三つ目は、フレッシュな唐辛子と酢、ニンニク、砂糖をブレンドした特製チリソース。
「3種類のソースで、味変を楽しんでもらいます」
「手が込んでるわねぇ。これ、お店出せるレベルじゃない?」
いつの間にかキッチンに来ていた千夏が、チリソースを指ですくって舐めた。
「んっ! 辛っ! でも美味しい!」
「この辛さが、鶏の脂をさっぱりさせてくれるんですよ」
数十分後。
炊飯器から電子音が鳴り、同時に鍋の鶏肉も仕上がった。
土鍋の蓋を開けると、むわっと濃厚な鶏とジャスミンの香りが立ち昇る。
「完成です」
皿にパラリとしたご飯を盛り、その上に、しっとりと輝く鶏肉を切り分けて乗せる。
パクチーとキュウリを添え、3色のタレを小皿に用意すれば、完璧な『海南鶏飯』の一丁上がりだ。
「いただきまーす!」
美女二人の声が重なった。
環はまず、ジンジャーソースをたっぷりとつけた鶏肉を口に運んだ。
「……んんっ!!」
目を見開き、言葉を失っている。
「やわらかっ……! 何これ、噛まなくても溶けるわよ!?」
「低温調理に近い状態で火を通しましたからね」
「ご飯も凄い……噛むたびに鶏のスープがジュワッて出てくるみたい。生姜の香りが鼻に抜けて、止まらないわ」
環は一心不乱にスプーンを動かし始めた。
千夏の方も、チリソースとダークソイソースを混ぜて楽しんでいる。
「この甘辛いタレと辛いタレのコンボ、反則ね。ビールが進みすぎるわ」
「飲み過ぎないでくださいよ、まだ昼なんですから」
「いいじゃない、お祝いなんだから」
俺も自分の分を一口食べた。
うん、上出来だ。
シンプルな料理ほど、下処理の手間が味に出る。バンドのアンサンブルと同じだ。地味なリズム隊がしっかりしていれば、メロディは輝く。
あっという間に皿が空になった。
SランクとAランクの食欲は底知らずだ。
「ふぅ……美味しかった。もう動けない」
「甘いですね、環さん。まだデザートがありますよ」
「えっ、嘘。別腹発動するわ」
俺が冷蔵庫から取り出したのは、緑色のゼリー状の麺と、冷えたココナッツミルク。
東南アジアの定番スイーツ『チェンドル』だ。
「かき氷の代わりに、クラッシュしたココナッツミルクの氷を使ってます。この緑色のはパンダンリーフで香り付けした米粉のゼリー」
器にゼリーと甘く煮た小豆を盛り、ココナッツミルク氷をかける。
そして最後に、黒蜜のようなシロップをたっぷりと回しかけた。
「これが重要です。『グラ・マラッカ』。ココナッツの花の蜜を煮詰めたもので、黒糖よりもスモーキーで複雑なコクがあります」
真っ白な氷に、褐色のシロップがマーブル模様を描く。
環が一口食べると、とろけるような顔になった。
「……幸せ」
「チキンライスのスパイシーさが、この甘さでリセットされるわね。無限ループできそう」
千夏も絶賛だ。
俺はコーヒーを淹れ、二人がデザートを楽しむのを眺めながら、ふと感慨に耽った。
数週間前までは、コンビニの廃棄弁当を食べていた俺が、今はこうしてタワーマンションで美女二人に料理を振る舞っている。
人生、何が起こるか分からない。
「さて、と」
食後のコーヒーを飲みながら、千夏が表情を引き締めた。
仕事モードだ。
「お腹も満たされたことだし、今後の話をしましょうか」
「今後?」
「ええ。私たちのパーティ、実質的な結成は済んでるけど、まだ『組織図』が決まってないわ」
千夏はタブレットに図を表示した。
「まず、村上環。彼女はこのチームの『顔』であり、メインアタッカー。絶対的エースね」
「異論はないわ」
「次に私、坂本千夏。プロデューサー兼、遠距離火力、兼広報担当。チームの頭脳ね」
「自分で言うか」
「そして近藤菊雄さん。BGM担当、ポーター、シェフ、そして……」
千夏はそこで言葉を切り、俺を指差した。
「『リーダー』よ」
「……はい?」
俺は素っ頓狂な声を出した。
リーダー? 俺が?
「ちょっと待ってください。俺はただのFランクですよ? 雇われの荷物持ちです」
「ランクなんて関係ないわ。このチームで一番全体が見えていて、冷静な判断ができるのは貴方よ」
「そうね」
環も頷いた。
「私は戦闘に入ると周りが見えなくなるし、千夏は演出にこだわりすぎて無茶をする。貴方が手綱を握ってくれないと、このパーティは空中分解するわ」
「それに、貴方の『音』は私たちの指揮者でしょ? 指揮者がリーダーをやるのは当然の理屈よ」
千夏の言葉に、俺は反論できなかった。
確かに、戦闘中に指示を出しているのは俺だ。
曲の展開に合わせて「行け」「引け」「溜めろ」と叫んでいる。
「……責任重大ですね」
「給料分は働いてもらうわよ。あ、ちなみにリーダー手当として、報酬の配分率は見直しておいたから」
「それはありがたいですが……」
俺はため息をつき、頭を掻いた。
30歳、元バンドマン。
いつの間にか、SランクとAランクを率いるリーダーになってしまったらしい。
まあ、バンドでもベースがリーダーをやることは多い。全体のリズムを支える役回りだからだ。
「分かりました。腹を括りますよ。……ただし、俺の指示には従ってもらいますからね」
「ええ、ボス」
「了解、リーダー」
二人がニヤニヤしながら敬礼する。
やれやれ、手のかかる部下を持ったものだ。
「で、もう一つの懸案事項。パーティ名よ」
千夏がタブレットをスワイプする。
画面には、先日のテスト配信の時に俺が提案し、保留になっていた名前が表示された。
『サウンド・オブ・ブレイブ』
「正直、まだダサいと思ってるんだけど」
「酷いな」
「でも、視聴者の反応を見ると、意外と受け入れられてるのよね。『BGM』とか『音』に関連する名前だから覚えやすいって」
「まあ、分かりやすくはありますね」
環がチェンドルの残りをすくいながら言った。
「私は嫌いじゃないわよ。勇者の響き、なんて。私たちが奏でる音が、誰かに勇気を与えるなら、それは素敵なことだもの」
その言葉に、俺はハッとした。
かつて俺が音楽を始めた理由。
誰かの心を震わせたい。誰かの背中を押したい。
その初期衝動が、この名前に込められていたのかもしれない。
「……じゃあ、これでいきましょう。俺たちの名前は『サウンド・オブ・ブレイブ』だ」
「いいの? もっとカッコいい名前じゃなくて」
「これがいいんです。俺たちが奏でる音で、世界中を勇気づける。最高じゃないですか」
俺が胸を張ると、千夏はニヤリと笑った。
「決まりね。変に捻るより、ストレートな方が案外刺さるものよ」
「じゃあ、改めて」
環がコーヒーカップを掲げた。
俺と千夏もそれに続く。
「新生『サウンド・オブ・ブレイブ』の結成を祝して」
「「乾杯!」」
カチン、とカップが触れ合う音が、静かなリビングに響いた。
窓の外には、東京の絶景が広がっている。
この街のどこかに、まだ見ぬダンジョンが、強敵が、そして新しい仲間たちが待っている。
俺はジャケットの襟を正し、二人の美女を見渡した。
最強の剣姫と、敏腕プロデューサー。
そして、リーダー兼シェフ兼DJのオッサン。
悪くない布陣だ。
俺の人生の第2章、ここからが本当のスタートだ。
「よし、食ったら片付けだ。明日は早朝から深層アタックだぞ」
「えー、リーダーがやってよー」
「食べた人が洗うのがルールです。さあ動く!」
文句を言う二人の背中を押しながら、俺は小さく笑った。
騒がしくて、美味しくて、刺激的な日々。
これ以上のBGMはないだろう。




