表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
角だけ魔族の太郎さん〜人材育成から始める魔王軍マネジメント〜  作者: 山田太郎
第5章「裂け目の中で」
54/74

5-9 幕間:クラウス

 薄い帳の向こうで、焚き火の煙が揺れていた。

 焦げた土と薬草の匂いが、夜明け前の空気に混ざっている。


 野戦本部の天幕の中で、クラウスは報告書の束を指先で弾いた。


「……数字だけ見れば、悪くない戦果だが」


 紙には、黒いインクで几帳面に並んだ文字。


 ――敵兵、およそ三百名を戦闘不能。

 ――広域殲滅術式による戦死推定、百五十。

 ――前線からの後退なし。


 一見、教本に載せられそうな優等生の報告だ。


 だが、別の紙には別の文字が並んでいる。


 ――敵魔王軍、翌日も同一線で交戦を継続。

 ――物資の欠乏、確認できず。

――撤退の兆候なし。


「おかしい」


 クラウスは小さくつぶやいた。


 昨夜、こちらが放った広域殲滅魔法の残滓は、まだ外の大地に残っているはずだ。

 地図の上で指を滑らせる。


 森の縁、前哨地。

 そこに重ねた赤い印は、敵が膝を折るはずだった地点だ。


「ここで一度、敵の前線が崩れる。

 ……崩れないなら、どこかで埋めている」


 天幕の入り口が、遠慮がちに揺れた。


「クラウス殿、よろしいですか」


 顔を出したのは、伝令兼記録官の青年だった。

 まだ二十そこそこの、線の細い軍服姿。


「前線偵察隊からの追加報告です」


「そこに置いてくれ」


 クラウスは手を伸ばさず、まず青年の顔色を見た。


「死人は増えたか」


「……いえ。我が方の死者は、昨日の戦闘で報告済みの人数から増えておりません」


「敵は?」


「魔王軍側の遺体は、多くは燃やされており……正確な数は不明ですが、

 “想定より少ない”とのことです」


 想定より少ない。


 クラウスは椅子の背にもたれ、天幕の天井布を見上げた。


「……昨日の術式の威力が、落ちたわけじゃない」


 魔力の流れは、確かだった。

 詠唱も、陣の構築も、誤りはない。


 それでも、敵は立っている。

 広域殲滅を一度受けたあとも、前線を維持している。


 青年が、おずおずと口を開いた。


「ひとつ、気になる記述がありまして」


「言え」


「本日、交戦した隊の報告によりますと……

 『敵魔王軍の退却が、以前より秩序立っているように見えた』と」


 クラウスは視線を戻した。


「秩序立っている?」


「はい。

 “一部が崩れても、全体が雪崩を起こさない”と。

 “退くときの列が、妙にきれいだ”とも……」


 青年は、自分で言いながら眉をひそめる。


「ただの感想かもしれませんが」


「感想が一番、現場に近い」


 クラウスは短く言った。


 机の端に積まれていた古びた資料を、指でたぐる。

 士官学校の頃に読み込まされた、古戦場の記録。


 ――魔王軍は、力で押す。

 ――個々人の魔力に依存し、統制には欠ける。

 ――だからこそ、広域殲滅に脆い。


 古い文言が、今の戦況と噛み合わない。


「退き方を、誰かが教えている」


 クラウスが漏らした独り言に、青年が目を瞬かせた。


「退き方、ですか」


「そうだ」


 クラウスは机の上の地図に、指で線を引いた。


「踏ん張る場所と、下がる場所を決めている。

 “死なないための線”を、誰かが引いている」


 それは、教本の魔王軍像とは違っていた。


 青年が、少しだけ声を潜める。


「……柔角族の仕業、ということは……?」


 その単語が出た瞬間、天幕の中の空気が僅かに変わった。


 柔角族。


 クラウス自身、名だけは知っている。

 古い伝承に出てくる“角を持つ異族”。


 一国の軍を総動員しても倒せるか分からない、とまで書かれた、誇張だらけの危険種族。


「教本の端に書いてあったな」


 クラウスは肩をすくめた。


「柔角族を見たら、戦線を畳め。

 “神話級の脅威”につき、交戦は推奨されない、だと」


 青年は苦笑いを浮かべる。


「まあ、誰も実物を見たことはないんですが」


「……そのはずだ」


 クラウスは短く答えた。


 柔角族の伝承は、あまりに古い。

 魔族とも人類とも違う何かとして語られ、

 時には“戦の言い訳”として利用されてきた。


(だが、“統制された退き方”を教えられる存在がいるとしたら)


 クラウスは考えをそこまでに留めた。


 伝承に助けを求めるのは、老人の仕事だ。

 自分はまだ三十そこそこ。

 数字と現場の報告から考えるべき立場だ。


「……柔角族の線は、今はいい」


 クラウスはそう言って、青年から報告書を受け取った。


「今すぐ必要なのは、敵の“変化”だ。

 退き方が整っているなら、どこかに“教えたやつ”がいる。


 名前や姿はどうでもいい。

 問題は、そのせいで我が軍の消耗が計算通りにいかなくなっていることだ」


 青年は真剣な顔でうなずいた。


「前線への指示は、どうされますか」


「広域殲滅の頻度は、すぐには変えない。

 だが、“敵の退却の癖”を詳しく記録させろ。


 どの方向に逃げるか。

 誰が合図を出しているか。

 退いたあと、どこで隊列を立て直すか」


 クラウスは机の端に置いてあった魔導具に手を伸ばした。


 小さな水晶板のようなそれは、魔力を通すと薄く光る。


 そこに手のひらを当て、前線用の書式を呼び出す。


「“敵が賢くなっている可能性あり”——

 そう書いておけ」


 青年が思わず聞き返した。


「賢く、ですか」


「そうだ」


 クラウスは苦く笑った。


「愚かな敵は、楽だ。

 同じ罠に何度でも落ちてくれる。


 だが、戦い方を変えてくる敵は、面倒だ」


 水晶板に刻まれていく文字を見つめながら、

 クラウスは、燃えた森の光景を思い出していた。


 炎に呑まれた魔族たち。

 光の雨に沈黙した影。


 それでも、前線は崩れなかった。


「……誰かが、あの軍に“死に方”ではなく“生き残り方”を教え始めている」


 それが、ただの魔王なのか。

 古い伝承に語られる柔角族なのか。

 それとも、別の何かなのか。


 今のクラウスには、まだ分からない。


 ただ、ひとつだけ確かなのは――


「こっちも、新兵のすり潰し方を見直す頃合いかもしれんな」


 彼がぼそりと漏らしたその言葉は、

 天幕の布に吸い込まれるように静かに消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ