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角だけ魔族の太郎さん〜人材育成から始める魔王軍マネジメント〜  作者: 山田太郎
第5章「裂け目の中で」
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5-5 落ちてくる空

 空気が、急に重くなった。


 前線のほうを見ていた隊員が、息を呑む音を立てる。


「……なんだ、あれ」


 太郎もつられて顔を上げた。


 曇りがちだった空の一角。  そこだけ、輪郭がぼやけていた。


 雲でもない、煙でもない。  空の皮だけ、薄くめくれて、その裏側に白い光が滲んでいるように見える。


 肌が粟立った。


(……嫌な感じしかしない)


 遠くで、ガルドの怒鳴り声が響く。


「前列、五歩下がれ! 盾を前に詰めるな、退路を潰すな!」


 イルスの声もすぐに重なった。


「後退路、右側優先! 負傷者は二人一組で!」


 太郎は岩陰の前で、荷車の位置をもう一度だけ確認した。


 岩と荷車のあいだに、人が二人並んで通れる程度の隙間。  左右に箱を寄せて、“通路”を一本だけ残してある。


「ここから入って、ここから抜ける!」


 近くにいた隊員に向けて、太郎は短く指で示した。


「戻ってくるやつは右側通路。左側で止まるな、立ち止まったら詰まる!」


「りょ、了解!」


 隊員が喉を鳴らしながらうなずく。  その後ろで、すでに何人かの負傷者が肩を貸し合いながらこちらへ向かってきていた。


 空が、さらに軋む。


 見上げれば、さっきのめくれた場所が膨らんでいる。  裏側の光が濃くなり、滲んでいた輪郭が、今度ははっきりと輝き出した。


 耳鳴りがした。  魔石のある箱が、かすかに唸る。


「……広域魔法だな」


 いつの間にかそばに来ていた隊員が、低く漏らした。  太郎は思わず問い返す。


「やばいやつ?」


「一撃目で前列を削るつもりだ。防ぎきれねぇやつだ」


 説明はそれだけ。  

 けれど十分だった。


(ここで詰まったら、前も後ろもまとめて潰れる)


 太郎は岩陰の入口に立ち、深く息を吸い込んだ。


「戻るやつ、こっちだ! 走れるやつは走れ! 倒れたら、誰かが巻き込まれるぞ!」


 声が自然と大きくなる。  言い方は、現場で混線したレジ前を捌くときと似ていた。


「肩、空いてるやつは負傷者を一人拾え! 一人で歩かせるな!   止まるな! しゃがむな! 通路で転んだら後ろが死ぬぞ!」


 怒鳴りながら、自分の声が震えているのが分かった。


 最初の一人が、血だらけの足を引きずりながら通路に飛び込んでくる。


「こっち! 岩の陰までまっすぐ! 止まらない!」


 二人目は肩を貸されている。  三人目は盾を片腕で抱えたまま、歯を食いしばって走ってくる。


 荷車が横に並ぶ狭い通路を、魔族たちが流れ込んでくる。  鎧がぶつかり合い、荒い息が耳をかすめる。


 ひとりがつまずいて前のめりになった。


「掴まって!」


 太郎はとっさに腕を伸ばし、胸当てを掴んで引き上げる。  背中に別の隊員がぶつかり、荷車の車輪が土をえぐった。


 足元が滑りかける。  それでも倒れなかったのは、荷車の取っ手を握りしめていたおかげだった。


 頭の角が、ぐらりと揺れた。


 そんなことを気にしている暇はない。


「まだ通れる! 次、来い!」


 叫びながら、視界の端で前線の輪郭を見た。


 盾の列が、じわじわと下がってきている。  ガルドが前で何か叫んでいるが、音がうまく届いてこない。


 代わりに、空の音が近づいてきた。


 高い音と低い音が、同時に鳴っている。  耳の奥を針で刺されているような、それでいて胸の中が震えるような、嫌な重なり方だった。


「太郎さん!」


 イルスの声が飛んでくる。


 ふり返ると、彼が数人の隊員を押し出すようにして通路へ誘導していた。


「こっちはもう限界です! 前線、下がります!」


「分かった! まだいける、急げ!」


 通路を駆け抜ける足音が、さっきより荒く、速くなる。  

 誰も余計なことは喋らない。

 歯を食いしばる音と、息を飲む音だけが聞こえる。


 岩陰のさらに奥で、ウルダに似た声が負傷者に何か指示を出しているのが聞こえた。  

そこまで考えが及んで、すぐに頭から吹き飛んだ。


 空が裂けた。


 光が落ちてくる――そう表現するしかないものだった。


 さっきまで膨らんでいた空の一角から、白と青の混ざった炎みたいなものが、ゆっくりと、しかし確実に地面へ降りてきている。


 雷のようでもあり、滝のようでもあり、巨大な槍がいくつも束になって突き刺さってくるようでもあった。


「伏せろ!」


 誰かの叫び声が、太郎のすぐそばで爆ぜた。


 太郎は通路の入口から半歩だけ身を引き、岩陰の内側へ身体を押し込む。


 次の瞬間、世界がひっくり返った。


 轟音。


 地面が跳ね上がり、肺の中の空気が勝手に押し出される。


 視界が真っ白になった。熱と衝撃と、破片が混ざり合って押し寄せてくる。


 肩に何か固いものがぶつかり、頬に石のかけらが刺さるような痛みが走る。


 倒れまいと荷車の取っ手を掴んだ手が、勝手に痺れた。


(——死んだ)


 一瞬、本気でそう思った。


 音が消えた。  

 いや、耳がついていけなくなっただけだ。


 鼓膜の内側で、きゅう、と高い音だけが鳴り続けている。


 土の味が口の中に広がった。何かが頬を伝って、顎へ落ちる。


 膝が震える。それでも、腰が抜ける前に、太郎は歯を食いしばって荷車に体重を預けた。


「——っ!」


 声を出したつもりだが、自分の耳には届かない。


 それでも喉は動いている。岩陰の入口に身を寄せ、太郎は全力で叫んだ。


「まだ動けるやつ、入れ! 止まるな!」


 風が抜ける。さっきまで前線があった方向から、熱い空気と砂混じりの風が吹き込んでくる。


 遅れて、何かが崩れ落ちる音が届いた。


 視界が少しずつ戻る。


 前線だった斜面の一部がえぐられ、黒焦げの土と、割れた岩がむき出しになっていた。さっきまで盾を構えていたあたりに、白く煙る巨大な穴が開いている。


 その手前を、何人かの影がふらつきながら走ってくるのが見えた。


「こっちだ!」


 太郎は通路の前にもう一度立ち、手を振った。


 盾を捨てて走ってくるやつ。誰かを肩に担いだまま、足を引きずりながら駆けてくるやつ。


 目が合った瞬間、ほんの僅かに緩む表情。次の瞬間には、また必死な顔に戻る。


 岩陰と荷車のあいだの狭い通路を、戦場の残り火のような息遣いが何度も通り抜けていった。


 少し離れた場所で、ガルドが新しいラインを指で示しているのが見えた。


 えぐられた地面の手前。岩陰と荷車の位置を基点に、再び盾の列が組み直されていく。


 その様子を見たとき、太郎はようやく、肺の奥に残っていた空気を吐き出した。


 頭の上で、角がまた、小さく揺れた。


 風のせいか、手の震えのせいか。  どちらでもよかった。


 ただ、通路は、まだ生きていた。

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