4-14 生き残った夜
長くなりましたが、四章のラストになります。
戦場の音が、少しずつ遠ざかっていった。
まだ完全に終わったわけじゃない。
それでも、さっきまでの「押しつぶされるような音」は、
ひとまず斜面の向こう側へ引いていったように感じられた。
「補給班と負傷者は、一度前哨地まで下げる!
第一小隊、交代で見張りにつけ!」
ガルドの声が、薄暗くなった空気に響く。
太郎は、箱を抱えた手の震えが止まらないのを感じながら、
イルスと一緒に斜面を下っていった。
足が土に取られるたび、
さっき見た光景が頭の中で勝手に反芻される。
魔族も、人類も、同じように血を流し、倒れていった。
違いがあるとしたら――角があるかないか、
肌や髪の色の「傾向」が少し違うくらい。
(それだけで、こんなことになってるのか)
答えは出ない。
考える余裕もない。
前哨地の柵が見えてきたころには、
太郎の脚はもう棒のようだった。
入口のところで、ウルダが待っていた。
包帯と薬草の束を抱え、
行き交う兵たちに次々と声をかけている。
「こっちの方、傷の深い人は治療室へ!
歩ける人は、自分で移動をお願いします!」
太郎たちに気づくと、ウルダが駆け寄ってきた。
「太郎さん! イルスさんも……無事でよかった……」
声が震えている。
それでも、泣き顔にはなっていない。
現場を回す人間の顔だった。
「回復薬の空瓶は、あとでまとめて出します。
足を引きずってる人が何人かいました」
イルスが淡々と報告する。
その声の奥にも、張り詰めた何かが残っていた。
「ありがとう。詳しい状況はあとで聞くわ。
今は、休める人から休んで」
そう言って、ウルダはすぐに別の負傷者へ向かっていった。
仮設の休憩用テントに入った瞬間、
太郎の脚から力が抜けた。
「……座っていいですか」
「むしろ、座ってください……」
イルスが苦笑のような顔をする。
木箱の上に腰を下ろすと、
全身から一気に疲労が押し寄せてきた。
指先までじんじんしている。
喉もカラカラだ。
それでも、不思議と「助かった」という実感は薄かった。
実感が追いつかない。
テントの入り口の方から、
低い声が漏れ聞こえてくる。
「さっき倒れたやつ、覚えてるか?
ほら、鎧が新品だった……」
「……初陣だったらしい」
「訓練、何回受けたって言ってた?」
「数えるほどだよ。
走らされて、素振りして、魔法をちょっと撃って……
まともな模擬戦なんて、してなかったってさ」
会話が、そこで途切れた。
誰も、続きの言葉を選べない。
太郎は思わず拳を握りしめる。
(それで、ここに出されたのか)
現世で、研修もろくにせず新人を現場に放り出す上司を
心の中で何度も殴り飛ばしたくなったことがある。
ここでは、その「現場」が、
死ぬか生きるかの境目になっているだけだ。
(教えられてないのに前に出させて、
死んだら「運が悪かった」で済ませるのかよ)
胃の奥が、冷たく重くなる。
ふと、太郎は自分の手の甲を見つめた。
血はついていない。
擦り傷が少しあるだけの、
ごく普通の人間の手だ。
視線をずらせば、
周囲で寝転がっている魔族たちも、
角と耳と肌の色を除けば、
やはり人間と変わらない。
額に汗をにじませて、
息を荒げて、
誰かの無事を気にしている。
鼻をつく血と薬草の匂いは、
魔族のものか、人類のものか、もう区別がつかない。
(……俺、本当はあっち側の人間なんだよな)
頭に手を伸ばす。
いつもの悪魔角カチューシャは、
やはりしっかりと張り付いていた。
この角があるだけで、
太郎は魔王軍の列に立っている。
もし、これがなかったら――
さっき見た人類兵の中に紛れ込んでいても、
きっと誰も疑わなかっただろう。
(角ひとつで、こっち側か、あっち側かが決まるのか)
それがどうしようもない現実なのだと分かっていても、
納得だけはできなかった。
「……太郎さん」
隣で、イルスがぽつりと声を出した。
「今日は、本当に、ありがとうございました」
「いや……俺、何もしてないですよ」
「そんなことないです。
回復薬、何本も運んでくれました。
あれがなかったら、立てなかった人が何人もいます」
イルスは、膝の上で握った拳を見つめたまま続ける。
「でも……やっぱり、足りないですね」
「足りない?」
「みんな、もっと戦い方を知らないといけない。
守り方も、下がり方も、倒れそうなときの頼り方も。
それを知らないまま出されて……
今日、戻ってこられなかった人たちが、います」
言葉の最後だけ、かすかに震えた。
太郎は、何も返せない。
返したい言葉はいくつも浮かぶのに、
どれも場違いに思えて喉で止まった。
(訓練が足りない。
教える人がいない。
それなのに、前に出されて、死ぬ)
頭の中で、現世と同じ構図が
もっと残酷な形で重なっていく。
(こんなの、おかしいだろ)
胸の奥に沈んだ言葉は、
まだ誰にも向けられない。
ただ、静かに積もっていく。
テントの隙間から、夜の空が見えた。
星の形は、現世で見たものとあまり変わらない。
違う世界のはずなのに、
空だけは、どこか同じように見える。
太郎は、星と星の間を見つめながら、
深く息を吐いた。
(俺は、魔王軍の側にいて。
頭には角が付いてて。
でも、本当は人間で。
人類と魔族が、ほとんど同じ顔で倒れていくのを見てる)
言葉にすれば、どこかの悪い冗談みたいだ。
それでも、これは現実で、
この世界では当たり前の光景なのだという。
(……このままで、いいわけがない)
はっきりとした答えにはまだ届かない。
ただ、そうとしか思えない感情だけが、
じわじわと形を取り始めていた。
太郎は、頭に触れていた手をそっと下ろした。
角は、相変わらずそこにある。
おもちゃのくせに、この世界での立場を決めている。
その重さを、ようやく本当の意味で
自覚し始めた夜だった。




