4-10 前哨地の衝突
前哨地が見えたのは、空気の匂いが変わった頃だった。
馬車と魔獣の足音が止まるたび、
風の中に金属と焦げの匂いが混じる。
魔石灯の明滅に合わせて、地面の霧がわずかに震えていた。
太郎は喉がひゅっと細くなるのを感じた。
(……これ、戦いの匂いってやつか)
木々は静まり返っているのに、
森全体が深呼吸しているような、押し返してくる気配がある。
魔獣の車輪牛が低く唸った。
体毛が逆立ち、鼻先から白い息が荒く漏れる。
(こんな反応、今まで見たことない……)
妙な緊張が、馬車の魔導石にも伝わるのか、
車軸が小さく“キィ”と鳴った。
その瞬間だった。
前哨地の外周で、赤い光が弾けた。
「来るぞ!」
ガルドの声が夜を裂く。
森影から飛び出した黒い影は、
まるで地面そのものが形を変えて襲いかかってきたようだった。
野生の魔獣。
その目は、まばたきすらしない濁った紫色で、
呼吸のたびに胸が異様に膨らみ、
喉の奥から低く揺れる唸りが漏れる。
(……こんなの、どうやって止めるんだ)
第一小隊の数名が瞬時に前へ出る。
「迎撃!」
金属のぶつかる音。火花。咆哮。
太郎は目で追うことすらできない。
(速すぎる……判断する余地すらない動きだ……)
イルスが爪をぎりぎりで受け流し、
側面から別の隊員が斬り込む。
魔獣が怒声のような魔力を噴き出した。
砂が跳ね、空気がびりっと裂ける。
馬車を引く車輪牛が後ろ足で地面を蹴り、
車体が大きく揺れ、
太郎は思わず両手で支えた。
(戦闘中の馬車って……こんなに邪魔になるのか)
魔力と血の匂いが混じる戦いの場所。
そして、その匂いに引き寄せられる魔獣。
誰も説明しない。
しかし、太郎の体は理解していた。
魔獣の一体がイルスに跳びかかる。
「イルス、下がれ!」
ガルドが割って入り、
重い盾を魔獣の鼻先に叩きつける。
鈍い音とともに、魔力の火花が散った。
イルスは息を呑みながらも数歩退く。
「すみません、隊長!」
「謝るな、次を見ろ!」
短く、しかし確かな指揮の声。
三人の隊員が側面へ回り込み、
イルスが正面で牽制し、
ガルドがとどめの一撃を放つ。
黒い影が崩れ落ち、静寂が戻る。
太郎はその場に膝が落ちそうになるのを必死にこらえた。
(これが……前線……)
手は震え、息が浅い。
魔石灯が揺れ、影が揺れ、
自分の体だけが現実に取り残されているようだった。
(こんなのを……毎日……?)
思考が冷えていく。
ガルドが太郎のほうへ目線だけを向けた。
「太郎、無事だな」
「……はい……」
自分の声が、自分の声に聞こえない。
イルスが小走りで近づき、
太郎の肩に手を置いた。
「大丈夫ですか!?」
「……なんとか」
震える声を隠せないまま答えると、
イルスは静かにうなずいた。
「ここから先は、もっと気配が濃くなります。離れないでください」
太郎も無言でうなずくしかなかった。
森の奥で枝の折れる音が連続して響く。
ガルドが冷静な声で告げた。
「気を抜くな。まだ寄ってくる」
太郎の背に冷たい汗が伝う。
(……まだ、終わらないのか)
前哨地はすぐそこ。
しかし、たどり着く前に命の危険がある世界
なのだと、太郎はようやく実感した。
角が、風に揺れた。
その揺れは、太郎自身にも理由が分からないままだった。




