2-2 日常と戦の境界線
本部の生活区域に入ると、空気がゆっくりと温度を変えた。
大鍋の匂いが漂う食堂。
井戸端で子どもを抱えた魔族の母親。
日向で横たわる黒狼の魔獣が、気持ちよさそうに耳を動かす。
肩に力が入り続けていた俺は、思わず小さく息を吐いた。
(……こんな景色があるんだ)
ミラが隣で少しだけ微笑む。
「魔王軍でも、過ごす場所は普通の生活の場ですよ。
皆、働きながら暮らしています。」
ラグナが腕を組んで続けた。
「戦も仕事の一つだ。
巡回も調整も、全部がここの日常だ。
効率は悪いがな。」
(仕事……か)
その言葉に妙な実感があった。
目の前の光景には、軍よりも職場に近い空気が漂っていた。
生活区域を抜けると、
廊下の先の雰囲気が変わった。
治療室の前に、
座り込んでいる魔族たちの姿があった。
腕に包帯を巻き、
書類を片手に何かをまとめている者もいる。
誰も声を荒げず、
誰も弱音を大声で吐かない。
ただ静かに疲れを抱えたまま、
次の仕事へ向かう準備をしていた。
ミラは治療室の明かりを見つめた。
「本当はしっかり休ませたいんです。
でも、今の体制では……」
言葉はそこで途切れた。
ラグナが短く息を吐く。
「教育も引き継ぎも追いついていねぇ。
戦も調整も止まらねぇから、人が減る分だけ負担がのしかかる。」
太郎の胸に、
重たい塊がひとつ落ちた。
(……これが戦場ってやつなんだ)
血と叫び声ばかりだと思っていた。
でも違う。
戦って帰り、
明日の仕事のことを考えて座り込んでいる人たちがいる。
(……きついな)
本当にそう感じた。
治療室前の若い戦士が、
俺のほうを見て少しだけ表情を緩めた。
「柔角族……なんだか、少し楽になりました……」
「え、あ……」
答えるより先に、角が揺れた。
歩みを止めた反動だったが、
戦士はそれを見て安心したように目を閉じた。
胸が痛んだ。
(……こんなに疲れてるのに)
(俺みたいな、何もできない係長を見て……
安心するほど追い込まれてるのかよ)
その感情は、言葉にしなくてもはっきり分かった。
生活の匂いと、
戦の疲れと、
その両方を抱えて生きている人々の息遣い。
太郎は静かに思った。
(……これ、もう他人事じゃないな)
それだけだった。
けれど、その一つの感情が
太郎にとっての“始まり”になった。




