2-1 本部の空気
【第二章 魔王軍、本部案内】
朝会がようやく終わり、重たい扉がごうんと閉まった。
会議室を出ながら、俺は小さく息を吐く。
(……疲れたのは、発言もしてない俺なんだけどな)
周りの魔族たちはもっと疲れた顔をしていた。
言い合いをしていた連中も、扉の外では黙り込んでいる。
そんな中で、ミラがこちらに向き直った。
「太郎さん。
本部内のご案内をしてもよろしいでしょうか。
柔角族の方には、まず全体像を知っていただくのが良いとされています。」
「えっと……案内していただけるなら、助かります」
返事をしながら、改めて自分の立場を思い出す。
捕虜でも囚人でもない。
この世界では、俺は柔角族として保護されている客人だ。
そう説明は受けた。
頭では分かっている。
けれど、心はまだ追いついていなかった。
(客人……ね。
実際には、よく分からないまま角を大事にされてるだけの係長なんだけど)
そんな俺の内心など知らないラグナが、豪快に笑う。
「本部の内側を見りゃ、魔王軍がどんだけギリギリで回ってるか分かるぞ。
柔角族には、まずそこを見てもらわねぇとな」
「ギリギリ、ですか……」
「おう。余裕なんてどこにもねぇ。
だが、守らなきゃならねぇもんは山ほどある」
その言葉に、胸のどこかが小さく引っかかった。
廊下に出ると、朝会とは別の働く空気が流れていた。
書類を抱えて走る魔族。
壁に貼られた当直表らしき板。
魔石で照らされた掲示板には、何かの連絡がびっしりと書き込まれている。
(……ああ、そうだ。
職場だ、ここ)
会社のフロアとはまるで違うのに、感じるものは妙に似ていた。
慌ただしさ、誰かのために動いている気配、それなのに、どこか疲れた足取り。
ミラが俺の歩調に合わせて続ける。
「ここが、本部の中枢に近い区画です。
各隊の詰所や連絡部屋、治療室、休憩所などが集まっています」
「休憩所……あるんですね」
「形だけは、ですが」
ミラの口元が、少しだけ苦く歪んだ。
すれ違う魔族たちは、皆ちらりとこちらを見る。
俺ではなく、俺の角を。
視線に敵意はない。
むしろ、妙な期待と安心が混ざっている。
「柔角族だ……」
「本当にいたんだな……」
「本部にいるなら、少しは落ち着くか……」
そんな小さな声が、聞こえないふりをしていても耳に入ってくる。
(……そんな期待されても困るんだけどな)
俺は、ただのしがない係長だ。
伝説の調停者なんかじゃない。
でも、彼らの表情を見ていると、
「違います」と言い切るのが、少しだけ躊躇われた。
安心したように息を吐く者。
こちらへ、ほんの少しだけ頭を下げて通り過ぎる者。
「柔角族」という言葉とともに向けられる視線は、
思っていた以上に、まっすぐだった。
「太郎さん」
ミラが、少しだけ柔らかい声で呼びかける。
「さきほどの朝会、お疲れになりましたよね。
混乱している姿ばかりお見せしてしまって、申し訳ありません」
「いえ……俺は見ていただけですから」
「見ていただけたことが、既に助けになっていますよ」
「え?」
思わず聞き返すと、ミラは少しだけ目を細めた。
「柔角族がいる、というだけで。
皆、“なんとかなるかもしれない”と思えるんです」
その一言に、返す言葉が詰まった。
(なんとかなるかもしれない、か……
そんなふうに見られたこと、今まであったか?)
現世では、
「太郎さんならどうにかしてくれる」なんて言葉は、
冗談半分の押し付けでしかなかった。
ここで向けられている視線は、少し違う。
弱さも疲れも全部抱えたうえで、
それでも前を向きたいと願っている人たちの目だった。
ラグナがふと振り返り、ニヤリと笑う。
「安心しろ太郎。
お前にいきなり無茶な仕事は振らねぇよ。
まずは“見てるだけ”でいい」
「それは……助かります」
「見てるだけでも、お前の角は揺れる。
それだけで勇気づけられるやつもいる」
「……それは単に、俺の歩き方のせいだと思うんですが」
そう言った瞬間、角が小さくぴょんと揺れた。
ラグナは真剣な顔で頷く。
「ほらな。
やっぱり柔角族だ」
(頼むから、そこだけは疑ってくれ……)
心の中で頭を抱えながらも、
俺は二人の後ろについて歩き続けた。
魔王軍がどんな場所で、
ここで働く連中がどんな顔をしているのか。
それを知ることが、
今の俺にできる、最初の一歩なんだと思いながら。




